第8話 二つ戦場と沈黙の抵抗


​陽菜は、再び本部からの指示で国際会議に出席するため、先進国の都市に戻った。しかし、彼女の任務はもはや「グローバル・ハート」の体裁を保つことではなかった。


彼女の目的は二つ。一つは、国際社会に訴えかけることで、本部による物資の滞留や、武装勢力への流れ込みといった不正から現場を守る「盾」となること。もう一つは、裏切りの決定的な証拠を集めることだった。


​陽菜は、昼間は完璧な組織のスタッフとして会議に出席し、夜は眠る間も惜しんで、本部内の輸送データや予算の流れを秘密裏に調査した。


​彼女は、輸送部門と武装勢力との間で交わされた、暗号化されたメールの痕跡を見つけ始めた。その証拠が示すのは、一部の支援物資が、人道支援の名の下に、紛争を長引かせる武器や物資の取引と交換されているという、おぞましい現実だった。


​「支援が、紛争の燃料になっている…」


​陽菜は、その事実が、彼女が国際社会に訴え続けてきた「希望」という言葉を、全て嘘に変えてしまうことを知っていた。


​一方、現場に残ったラシードは、陽菜からのメッセージを頼りに、新たな「地平線」ルートの開拓を進めていた。それは、武装勢力「影の牙」の支配地域を避け、国境の山脈を越える、困難で危険な道だった。


​ラシードは、ムスタファ医師や地元の頼れる仲間たちとともに、夜間に隠密で少量の物資を運び始めた。彼らが頼ったのは、長年この地に住み、武装勢力からも一目置かれている地元の部族の長だった。支援団体からではなく、彼ら個人からの「人」としての信頼を勝ち取る必要があった。


​ある日、物資を運ぶラシードの一行は、「影の牙」の検問に遭遇した。彼らは物資を隠し持っていることを悟られ、絶体絶命の危機に陥る。


​「貴様ら、どこへ行く? 援助団体の車ではないな。荷物を見せろ!」


​ラシードは動じなかった。


「我々は、この地域の隣村に住む親戚だ。病人が出て、この薬を運んでいる。お前たちだって、家族を思う心はあるはずだ」


​彼は、物資の中に、陽菜が「緊急の食糧」として紛れ込ませた、地元の伝統的な乾燥食糧を彼らに見せた。それは、彼らが日常的に食べているものであり、国際的な支援物資のように高値で取引される類のものではなかった。


​武装勢力の隊長は、その食糧を見て一瞬、人間的な感情を露わにした。そして、「今回は見逃してやる。だが、二度と我々の領土を勝手に通るな」と言い放ち、彼らを解放した。


​ラシードは、陽菜が言っていた

「彼らが手出しできない場所から物資を調達する」ことの意味を理解した。それは、国際的な支援の枠組みから外れた、現地の人々の生活と価値観に根差した支援だった。


​本部に戻った陽菜は、次の国際会議での演説を準備していた。バーネット統括は、陽菜が規則を遵守し、団体のイメージを回復させるような演説をするよう厳命した。


​しかし、陽菜が壇上で口にしたのは、本部が望む「美しい言葉」ではなかった。


​「私は今日、数字ではなく、一つの問いを皆様に投げかけます」


​彼女の声は、世界中に響き渡った。


​「私たちが送る『支援』の影で、その支援が紛争の当事者、またはその共犯者に流れ込んでいるとしたら、私たちの善意は、どこへ行くのでしょうか?」


​陽菜は、具体的なデータや組織名を出すことはしなかった。しかし、その鋭い問いかけは、会議場の空気と、テレビを見ている視聴者の心を凍りつかせた。「グローバル・ハート」本部は、彼女の演説内容に激しく動揺した。


​陽菜は、組織の信用を失墜させることなく、世界に「支援の闇」の存在を訴え、構造的な不正義への疑惑の種を蒔いた。


​彼女の戦いは、今、最も危険なフェーズに入っていた。それは、自らの命と、この世界の倫理を賭けた、静かな、しかし確固たる抵抗だった。

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