第5話 沈黙を拒む代弁者


​陽菜は、国際支援団体「グローバル・ハート」の本部があるヨーロッパの都市に戻っていた。現地での独断行動に対する懲戒委員会は、厳粛な空気の中で開かれた。理事会の面々は、陽菜の行動が団体の規則と中立性を破ったという点で、厳しい態度を崩さなかった。


​「星野、君の行為は善意に基づいているとしても、組織全体の信頼を揺るがすものだ。武装勢力の略奪対象になるリスクを増大させ、他の支援活動にも悪影響を与えかねない」


​理事の一人が冷たく言い放った。規則と秩序を重んじる彼らにとって、陽菜の行動は「感情的な暴走」でしかなかった。


​陽菜は、深呼吸し、背筋を伸ばした。彼女の心には、サミラやラシードの顔、そしてムスタファ医師の切実な言葉が鮮明に焼き付いていた。


​「私が破ったのは、規則です。しかし、私が守ろうとしたのは、人間の命、そして私たち団体の設立理念そのものです」


​陽菜は落ち着いた声で、しかし強い意志をもって話し始めた。


​「規定が命の救済を遅らせるならば、その規定は現場で機能していません。皆様が懸念される『信頼』とは、本部で交わされる書類上の合意でしょうか? それとも、私たちが支援している、今この瞬間も恐怖と飢餓に晒されている人々の目線でしょうか?」


​彼女は、現地での抗生物質不足の実態、その結果亡くなっていった人々の事例を、統計ではなく具体的な物語として語った。そして、ラシードやムスタファ医師といった、自らの命をかけて活動している現地スタッフの不信感がいかに深刻であったかを訴えた。


​「私は現地で、子どもたちから『貴女が私たちに水をくれた』と感謝の言葉をいただきました。これが、規則遵守によってのみ得られる『信頼』よりも、遥かに重い、私にとっての勲章です。私は、懲戒を受け入れます。ですが、私は沈黙を拒みます」


​陽菜の真摯な叫びは、冷徹な理事会にも動揺を与えた。彼女の情熱と、現地での具体的な成果を完全に無視することはできなかった。特に、現場からの熱心な陽菜の擁護と、彼女の行動によって救われた具体的な報告が、最終的な判断を左右した。

​結果として、懲戒は下されたものの、それは「厳重注意と活動継続許可」という、異例のものとなった。


​「君は処分を免れたわけではない、星野。だが、君の現場での献身と、国際的な場で訴える能力は、まだ団体にとって必要だと判断した」


バーネット統括は、苦々しくもそう告げた。


​処分決定後すぐ、陽菜は再び国際社会に向けての演説を依頼された。今度は、紛争終結に向けた和平会議の場だ。彼女は、前回の失敗から学んでいた。抽象的な「支援」ではなく、具体的な「行動」を迫る必要があると。


​演説当日。陽菜は、ステージに立ち、世界各国の権力者たちの顔を見渡した。彼女は、もはや緊張していなかった。彼女の胸には、現地で見た数えきれないほどの「声を持たない叫び」が宿っている。


​彼女は、ポケットから取り出した、ラシードから預かった小さな木彫りの人形を、聴衆に見えるように掲げた。


​「これは、ある小さな命の重さです。私たちは、この世界で最も裕福な地域で、紙の上でこの子の命運を決めています。私たちは、規則や、費用対効果や、政治的リスクについて議論するでしょう。しかし、私が問いたいのは、**『あなた方は、この子の命を、いくらで買いますか?』**ということです」


​陽菜の声は、静かでありながら、会場全体を震わせる力を持っていた。


​「私の叫びは、あなた方の財源を求めるものではありません。それは、あなた方が持っている『行動する勇気』と『人を思う前向きな心』です。あなた方の小さな一歩が、この世界で最も暗い場所にある孤児たちに、初めて届く『希望の光』となるのです」


​彼女の演説は、前回の事務的な会議とは異なり、各国のメディアを通じて世界中に発信された。その真実味と情熱は、多くの人々の心を動かし始めた。そして、現地での陽菜の活動が、国際的な「支援の潮流」を作り出すという、大きなうねりが生まれ始めていた。

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