第10話 侵攻開始

 二日後の早朝、ナルディーニの連隊長室にに一騎の伝令が駆け込んだ。

「第十一師団所属、ナルディーニ中佐殿に至急の通達!」


 呼び出しを受けたナルディーニ中佐は書類の山から顔を上げ、伝令から密封書を受け取った。開封するやいなや、表情が険しくなる。

 デメトリオが総司令部へ上申し、確認を求めていたロストフ帝国軍の侵攻情報が握りつぶされた――そう記されていた。


「……やはり、か」

 低くつぶやく声に怒りと焦燥がにじんでいた。


「中佐?」と副官が問う。

「まずいな。今日か、いや、明日にも侵攻が始まるかもしれん」


 ナルディーニはすぐに外套を羽織り、参謀を伴って第十一師団本部へ向かった。

 廊下を早足で進み、師団長執務室の扉をノックする。


「第十一師団長、ソルダーノ少将閣下。緊急の報告がございます」


 老練の将、ソルダーノは机の上の地図から顔を上げた。白髪交じりの髭をなでながら、落ち着いた声で言った。


「またロストフの話か。聞こうじゃないか、中佐」


 ナルディーニは敬礼して報告を始めた。

「偵察部隊および密偵の情報を総合すると、敵は国境沿いに大規模な集結を行っています。特に“氷姫”と呼ばれる戦乙女の部隊が前線にいるとのこと。氷結魔法による砲撃の射程は二千メートル以上。極めて危険です」


 しかし、ソルダーノは笑いをこらえるように言った。

「仮にロストフ軍が侵攻してきたとしても、すでに各師団は配置済みだ。

 敵の兵数は一個師団、せいぜい一万。こちらは十個師団、十倍の兵力を備えている。心配することはない」


「……ですが、氷姫の魔法は尋常ではありません。ピストイア軍の連隊が氷の矢により一瞬で全滅したという報告も――」


「大げさな!」

 ソルダーノが手を振り払うように遮った。

「一人の戦乙女にそこまでの力があるはずがない。君も冷静になれ、ナルディーニ中佐」


 無理解な言葉に、ナルディーニは奥歯を噛みしめた。

「……了解いたしました、閣下」

 頭を下げたが、瞳の奥にはあきらめきれぬ炎があった。


 そのころ、第一師団特別室。

 バルトロメア・ディ・パンフィーリは静かに集中していた。


「レグナム・フェリアム――目を開けて。闇を越えて、真実を見せて」


 彼女のスキル《猫の王国(レグナム・フェリアム)》――猫たちの視界を通して、遠方の出来事を覗いていた。


 視界が揺らぎ、国境の風景が浮かび上がった。

 街道を進むロストフ帝国の行軍。騎兵たち、銃を肩にかけた歩兵たち、大砲を引いた馬たち。


 「……動いた」

 バルトロメアは息をのんだ。猫の視界が、国境の検問所を照らす。次の瞬間、砲撃が始まり、国境の検問所が焼け落ちた」


「国境を……越えた!」


 彼女はすぐに椅子を蹴り立ち、連隊長室へと駆け出した。


「侵攻確認だと?」

 ナルディーニは報告を受けるやいなや、地図を机に広げた。

 バルトロメアは息を整えながらも、指で線を描いていく。


「ここが検問所。敵主力はこの峠道を抜け、第一師団の前線へ向かっています」


 ナルディーニは伝令を呼びつけ、筆を走らせた。

「この報をすぐにデメトリオ少将に届けろ!」


 伝令が飛び出すと、ナルディーニは再び軍帽をかぶり直した。

「……よし、もう一度ソルダーノ閣下に進言する」


 執務室では、ソルダーノがまだゆったりと紅茶を飲んでいた。

「どうした、また君かね、中佐?」


「閣下、密偵の情報により確認されました。ロストフ帝国軍が国境を突破しました!」


「な、なんだと!」

 ソルダーノは立ち上がり、椅子が音を立てて倒れた。

「馬鹿な! 総司令部からは撤退中と報告が――」


「そちらこそ虚偽情報です!」

 ナルディーニの声が鋭く響く。

「第一師団の位置はもうすぐ敵の砲撃範囲内です。今すぐ援軍を――」


「だが、命令がない。総司令部の指令を待たねばならん」

「そんなことを言っていたら、第一師団が壊滅します!」


 部屋の空気が張りつめた。

 沈黙のあと、ソルダーノはため息をついた。

「……慌てるな。第一の近くには第二・第三師団がある。共同で対処できる。君は下がりたまえ」


 ナルディーニは拳を握りしめた。

「了解いたしました。しかし――緊急出撃の準備だけはお許しください」


 その背中を見送りながら、ソルダーノは鼻で笑った。

「ふん……若い士官はいつも大げさだ」


 廊下に出たナルディーニは立ち止まり、深く息を吐いた。

 外は冷たい風。空にはまだ戦火の兆しは見えない。

 だが、遠く――氷姫とロストフ軍が街道を進む音が、確かに聞こえる気がした。


「……もう時間がない」


 彼はバルトロメアのいる部屋に戻り、静かに言った。

「準備を頼む。猫たちの目を通して、戦場の全てを見届けるんだ。

 我々だけでも、動くしかない」


 バルトロメアはうなずき、胸に黒猫のネーロを抱いた。

「ええ。猫たちの目が、戦場の真実を暴きます――必ず」

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