第11話 第一師団迎撃戦 ― 氷姫の矢 ―
冷たい風が、ランゴバルド王国北方戦線を吹き抜けていた。
灰色の雲が垂れこめ、遠くの山脈には雪が積もっている。
その荒野の中央に、第一師団司令部の天幕が張られていた。
デメトリオ・ディ・アルディーニ少将は、作戦地図の上に手を置き、沈痛な面持ちで立っていた。
卓上には、線と印で埋め尽くされた戦況図――その赤線の向こう側には、侵攻中のロストフ帝国軍。
副官の報告が入るたびに、デメトリオの眉間の皺は深くなっていく。
「ナルディーニ中佐から伝令! 敵軍、国境を越え、こちらに向けて行軍中とのことです! 数時間以内に接触します!」
伝令兵の報告に、幕僚たちの空気が一瞬張り詰めた。
デメトリオは小さくうなずくと、ためらわず命じた。
「総司令部と第二、第三師団にも急報を。――ただし、期待はするな」
三人の騎兵が馬に乗り駆けていった。
しばらくして戻ってきた伝令が、息を切らせて報告する。
「返答は『確認する』だけでした」
「……だろうな」
低い声が幕舎の中に落ちた。
この国の司令部は、机上の算段に溺れ、現場の声を軽んじる。
すでに具申していたロストフ軍の動向も握りつぶされた。
援軍も望めない。
「このままでは、各個撃破される……」
デメトリオは短く息を吐いた。
そのとき、外から蹄の音とともに偵察隊が戻ってきた。
「報告します! ロストフ軍、総勢一万、進軍中! 距離、およそ四千メートル!」
「ようやく“目で見える敵”か……」
デメトリオは立ち上がり、作戦図に目を落とした。
総司令部は“氷姫”――ロストフ帝国最強の戦乙女――の射程を六百メートルと見積もっていた。
だが現場の報告は違う。千五百、いや、二千メートルという証言さえある。
「……もし本当に二千なら、大砲の射程を超える。こちらがやられる側だ」
幕舎の空気が重く沈む。
だが、怯むわけにはいかない。
デメトリオは指揮棒を取り、地図の上に打ちつけた。
「各連隊に通達! 迎撃陣形を敷く! 歩兵は前列、砲兵は中列。騎兵は側面を走らせ撹乱せよ!」
「はっ!」
次々と副官たちが走り出ていく。
そしてデメトリオは、もうひとつの切り札――“戦乙女部隊”を呼び寄せた。
白い外套を翻し、九人の乙女たちが司令部前に整列した。
全員が軍服に身を包み、胸元には戦乙女の徽章。
その中に、栗色の髪を三つ編みに束ねた少女――フラミニアの姿もあった。
「第一師団戦乙女部隊、集合完了しました!」
デメトリオはうなずき、地図を指し示した。
「氷姫の射程は最大二千メートル。正面から挑めば、我々は氷の矢の餌食になる。
――だが、氷姫を討てるのはお前たちだけだ」
乙女たちの瞳が、緊張に光る。
デメトリオは続けた。
「騎兵隊が正面で陽動にあたる。その隙に、お前たちは敵の側面へ回り込め。
“氷姫”を見つけ次第、全力で集中攻撃を仕掛けよ。目印は水色のドレス――ただし、油断するな」
その声には、覚悟と恐怖の両方が滲んでいた。
乙女たちは敬礼し、騎兵少佐の指揮のもと馬に乗り、風のように駆け出した。
第一師団正面の平原。
冬草が風に揺れ、遠くの丘陵には白い雪がちらついていた。
やぐらの上では測量兵が双眼鏡を構え、声を上げる。
「ロストフ軍、距離三千メートル! 整然と進軍中!」
デメトリオは見張り台に登り、軍旗を見据えた。
ロストフ軍の隊列は、まるで氷の壁のように冷たく整っていた。
まだ攻撃してこない。
彼らは“射程内に入るまで”待っているのだ。
一方そのころ、戦乙女たちは敵軍側面の小高い丘へと辿り着いていた。
木立の陰に身を潜め、双眼鏡で敵陣を探る。
「……いた、水色のドレスが見える」
フラミニアが息をのむ。
だが、そこには一人ではなく、十数人もの同じ格好の女たちがいた。
「どういうこと? どれが本物の氷姫なの……?」
乙女たちは顔を見合わせる。
騎兵少佐は数秒迷った末、決断した。
「水色のドレス三人組――あれが中心に見える。距離五百、攻撃準備!」
乙女たちは三人一組に分かれた。
一人が火炎魔法、二人が風魔法。
火炎を風で押し出すことで、通常二百メートルの射程を五百まで伸ばすのだ。
「目標、撃て!」
三組の魔法陣がほぼ同時に輝いた。
炎の玉が轟音とともに放たれ、風に乗って敵陣へ飛び込む。
爆炎が弾け、ロストフ兵たちが次々と炎に包まれた。
「やったか……!」
乙女たちが歓声を上げたその瞬間――空気が変わった。
冷気が、風を切って押し寄せる。
大地の熱が奪われ、空が青白く染まっていく。
「な、なに……?」
次の瞬間、空から氷の矢が無数に降り注いだ。
まるで天そのものが敵となったかのように。
「きゃあああっ――!」
絶叫が響いた。
少佐の胸を貫く氷の槍。
乙女たちは次々と倒れていく。
フラミニアの左足に氷の矢が突き刺さり、視界が白く染まる。
氷片が頬を裂き、左目を覆う。
痛みをこらえながら、フラミニアは這うように逃げた。
背後では仲間たちの声が次々と途絶えていく。
そのころ、デメトリオは遠望鏡を通して戦場を見つめていた。
敵陣に上がる炎――勝利を確信しかけた。
「氷姫を倒したか……?」
だが、次の瞬間。
丘のあたりに青白い光が走り、氷の矢が雨のように降り注いだ。
「しまった……!、戦乙女たちはうまく逃げたか?」
司令部が騒然とした。
だが間もなく最悪の事態が起こる。
副官が叫ぶ。「司令部に冷気が! 温度が急激に下がっています!」
空が曇り、風が凍てつく。
デメトリオは声を張り上げた。
「全隊、警戒態勢! 氷姫が来る!」
言い終えるより早く、天が裂けた。
氷の矢が嵐とともに降り注ぎ、司令部の天幕を粉砕する。
士官たちは悲鳴を上げ氷の矢に貫かれた。
「くっ……! 退け、退け――!」
デメトリオが叫ぶが、声は風にかき消された。
胸を貫いた氷の矢が、赤い血を散らす。
肩口からも氷片が突き刺さり、彼は倒れた。
第一師団――そして国境防衛線は、この瞬間、崩壊したのである。
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