第9話 ロストフ帝国軍と氷姫
バルトロメア、ナルディーニ、そしてフィオーレの三人は、急ぎ第一師団本部へと馬を走らせていた。
「少将は――私のスキルを使いたい、そういうことですね」
バルトロメアがつぶやくと、ナルディーニがうなずいた。
「そうだ。国境沿いのロストフ帝国軍の動きが不穏だ。撤退とも進軍とも取れるが、どちらにせよ正確な情報が必要だ」
「猫たちの目なら、一晩で敵陣の奥まで見渡せます」
フィオーレの声には、僅かな誇りと期待が混じっていた。
やがて、第一師団本部に到着した。
師団長室には、重厚な机と軍旗、壁一面に貼られた地図。その中央で待っていたのは、第一師団長――デメトリオ・ディ・アルディーニ少将だった。
背が高く金髪で美しい青い目を持つ若い男である。
「すまない、よく来てくれた、三人とも」
デメトリオに三人は敬礼する。
バルトロメアの秘密のスキル――〈猫の王国(レグナム・フェリアム)〉は、ナルディーニとフィオーレしか知らない。デメトリオはナルディーニから知らされたただ一人の人物だった。
「国境の向こう、ロストフ帝国軍が動いている。密偵の報告では、補給線の整理をしているようにも、進軍準備にも見える。どちらかを確かめねばならん」
「……わかりました。私がやります」
バルトロメアの返答は静かだったが、その瞳には強い意志が宿っていた。
すぐに、バルトロメアとフィオーレは偵察に出発した。
猫のエサ用の干し肉を背負いカバンに詰め、馬に乗る。
「さすがに本格的な軍務に猫エサを持ち込むのは初めてですね」
フィオーレが苦笑した。
「この国を守るためよ。猫たちの働きが、兵士千人分の価値を持つかもしれないわ」
バルトロメアが答えると、フィオーレは真剣にうなずいた。
やがて国境近くの小さな町に着く。
屋根の上や裏路地には、野良猫たちがいた。
干し肉を投げると、影のように猫たちが集まり、瞳を光らせる。
バルトロメアは静かに両手を合わせた。
「――レグナム・フェリアム、発動」
彼女の意識が、次々と猫たちの視界と繋がっていった。
野良猫たちは軽やかに駆け出し、ロストフ帝国軍の陣地へと消えていく。
その夜、第一師団本部に戻ると宿舎でバルトロメアは小部屋に籠もり、精神を集中させた。
蝋燭の灯がゆらめく中、〈猫の王国〉が再び開かれる。
視界が幾重にも重なり、数匹の猫の目から同時に映像が流れ込んでくる。
銃を積んだ木箱、巨大な大砲、補給馬車の車輪――そして、中央には進軍準備を整える兵士たちの姿。
「……やはり、攻める気ね」
彼女は低くつぶやいた。
さらに猫のひとつを通して、より奥へと進む。
そこには、司令部の建物があった。
中では、将軍と士官たちが地図を囲み、何事かを話し合っている。
壁にはランゴバルド王国の街道図が貼られ、味方の兵力や補給線まで正確に記されていた。
「どこで……ここまでの情報を?」
驚愕と同時に、バルトロメアは冷たいものを感じた。
――こちらの内部に、密偵がいる。
その瞬間、猫がぴくりと耳を立てた。
「……ん? なんだ、猫か」
士官の一人が振り向き、軽く笑って手を振った。
猫は逃げるように建物の奥へと走り出す。
そこには、いくつかの部屋が並んでいた。
扉の一つが半ば開いており、中には少女がいた。
長い髪を垂らし、厚手のドレスを着ている。
痩せてはいるが、その顔立ちは驚くほど整っていた。
彼女はソファに腰をかけ、膝の上の白猫を優しく撫でている。
その白猫が突然、低く唸った。
「シャーッ!」
「やめなさい、マーシャ」
少女が落ち着いた声で諫めた。
「どこから来たのかしら……あなた」
バルトロメアの背筋に電流が走る。
これはただの少女ではない。戦乙女だ。
バルトロメアは一度猫を外へ逃がし、深呼吸してもう一度意識を繋げる。
今度はその白猫――マーシャの視界へと入った。
女性の横顔が映る。冷たい湖面のように澄んだ瞳。
「スヴェトラーナ、作戦会議に来てくれ」
軍服の将官が扉の外に立っていた。
スヴェトラーナは立ち上がり、静かにうなずいた。
「わかりました、将軍」
猫の目を通して見たその背中は、哀愁が感じられた。
バルトロメアは息をのむ。
「……ロストフにも、戦乙女がいるのね」
彼女はゆっくりと意識を戻した。
蝋燭の炎が小さく揺れる。
すぐにデメトリオに報告しに行った。
「閣下に報告します。敵は進軍準備完了。……それと、もう一つ」
「なんだ?」とナルディーニが問う。
バルトロメアは静かに答えた。
「敵の司令部に、“戦乙女”がいます。名は――スヴェトラーナ。たぶん、次に戦うとき、彼女が来ます」
部屋の空気が張り詰める。
やがて、デメトリオが静かに言った。
「おそらく氷姫か?……よくやった。これで王国は備えられる。バルトロメア、猫たちにも感謝を伝えてくれ」
その夜、バルトロメアは窓の外を見つめた。
月が淡く照らす草原の向こう――あの白猫と、あの戦乙女が同じ空を見ている気がした。
運命の糸が、静かに結ばれていくのを感じながら。
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