第2話 悪役令嬢と舞踏会の夜
この世界では、女性の一部だけが魔法を使うことができる。
男性はどれほどの才能や努力を積もうとも、魔法という力には縁がない。
そのため、各国は幼い少女に魔法適性を検査し、適性のある者を国家の宝として育て上げる。
十五歳までに魔法学校を卒業し、正式なスキルを得た少女は“戦乙女(ヴァルキリア)”として軍へと配属される。
その数、卒業生の十人に一人の割合。
戦乙女は国家の武器であり、神の恩寵そのものだった。
ゆえに各国の貴族たちは、我が娘が戦乙女となることを夢見てやまない。
バルトロメア・ディ・パンフィーリ伯爵令嬢も、その夢を託された一人だった。
幸い、幼少期の検査で魔法適性ありと判定され、彼女は王都の女子幼年魔法学校に入学した。
しかし——。
卒業の日、バルトロメアが授かったスキルは、あまりにも微妙だった。
《猫使役》
魔獣でも、幻獣でもない。
ただの、猫。
家の軒先で日向ぼっこをしているような、あの猫たちを使役できるという。
両親は言葉を失った。
伯爵夫妻は娘が戦乙女になれなかった現実を受け入れ、すぐに「良い結婚相手」を探し始めた。
バルトロメアは反発したが、十五歳の少女にできることなど限られていた。
そして今夜。
彼女は父母に強制される形で、アルディーニ公爵家主催の舞踏会に出席していた。
煌びやかなシャンデリア、薔薇と香水の香りが混じり合う広間。
鏡のように磨かれた大理石の床には、貴族の靴音が軽やかに響いている。
バルトロメアは胸の前でグラスを抱え、壁際に身を寄せていた。
ドレスの裾を踏まないようにしながら、笑い声を避けるように小さく息をつく。
——私は、結婚なんてまだしたくない。
でも、戦乙女になれなかった今、未来を切り開く術もない。
そんな思いが胸の奥で燻っていた。
そのとき——。
「あーら、バルトロメアじゃない。元気?」
高く透き通った声が、背後から響いた。
振り返ると、赤いドレスを身にまとった令嬢が笑って立っていた。
フラミニア・ディ・アルディーニ。
かつて魔法学校で机を並べた同期であり、そして今は立派な“戦乙女”だ。
「ねえ、知ってる? わたくし、軍所属になったの。炎系のスキルを授かったのよ。すごいでしょ?」
「……そう、ですか」
バルトロメアは努めて無表情を装う。
もちろん知っていた。
だが、フラミニアは満足しない。
わざとらしく首をかしげ、声を上ずらせる。
「あなたのスキルって……なんだったかしら? かしら? かしら?」
取り巻きの笑い声が波のように広がった。
「あ、そうそう! 思い出した! ——猫使役、だっけ?」
その瞬間、周囲の令嬢たちがどっと笑い出す。
「みなさーん! この方は世にも珍しい《猫使役》のバルトロメア・ディ・パンフィーリ嬢よ!」
「猫使役ってどうやって戦うの?」
「前線でニャーニャー鳴かせるの?」
「戦乙女になれないから、結婚相手探しに来たのね?」
笑いは刃のように、冷たく胸に突き刺さった。
バルトロメアはグラスを置き、無言でその場を離れようとした——そのときだった。
「フラミニア、人を馬鹿にするものではない」
低く、しかしよく通る声。
人々がざわめき、視線を向ける。
現れたのは、背の高い金髪の青年だった。
軍服に輝く少将の徽章。青い瞳に理知の光が宿っている。
「お兄様……!」
「高貴な者には、それにふさわしい品格が求められる。今の君は、それを欠いている」
フラミニアは顔を赤らめ、口を尖らせた。
「ただの冗談よ。そんな大げさな——」
青年はそれ以上言葉を費やさず、静かにバルトロメアへと向き直った。
「妹が無礼を働いた。深くお詫び申し上げる。私はデメトリオ・ディ・アルディーニ。君と踊ってもよろしいだろうか?」
その瞬間、バルトロメアの胸が高鳴った。
噂で聞いたことのある名。
フラミニアの異母兄であり、若くして将官となった才気ある軍人。
王都の令嬢たちが夢見る存在。
「よ……よろこんで」
デメトリオは微笑み、手を差し出した。
その手に触れた瞬間、彼女の頬は熱を帯びる。
二人はゆっくりと舞踏会の中央へ進み、ワルツの旋律に合わせて踊り始めた。
バルトロメアの動きは少しぎこちなかったが、デメトリオが見事にリードしてくれる。
「お上手ですね」
「君が軽やかだからさ」
軽い冗談のように言われ、バルトロメアは思わず笑みをこぼした。
周囲の令嬢たちが一斉にざわめく。
フラミニアは怒りに顔を歪め、唇を噛みしめていた。
「……もうすぐ戦争が始まる」
デメトリオが不意に声を低くした。
「え?」
「ピストイアが、ロストフ帝国に全面降伏した。帝国は氷姫を投入したそうだ。たった一人の戦乙女が、軍を壊滅させた」
氷姫——その名は、すでに噂で耳にしていた。
氷の矢と吹雪を操る最強の戦乙女。
——隣国のピストイアの次は、ランゴバルド王国。
そう、誰もが思っていた。
「それはそれとして……君のスキルは、実に興味深い」
「わ、わたしのですか?」
「そう。《猫使役》。軍務省では話題になっている。僕の友人がスキル管理局にいてね、君のスキルを見つけて驚いていた。“千年に一度の異能”かもしれないと」
「千年……?」
「神の思し召しかもしれない。今度、正式に軍務省から招待状が届くだろう。その時はぜひ来てほしい」
デメトリオの言葉が、胸の奥に残る。
自分のスキルが笑いものではなく、もしかしたら“特別”かもしれない——そう思った瞬間、心が少しだけ明るくなった。
曲が終わる。二人は優雅に礼を交わした。
そのままデメトリオは、軽く敬礼し、踵を返す。
「これから軍務省へ向かうので。では、また」
去っていく背中を、バルトロメアは見送った。
しかし次の瞬間——。
「あなたのせいで!」
「デメトリオ様を独り占めなんて、許せない!」
令嬢たちが、嫉妬に燃える視線を投げつけてきた。
フラミニアの瞳には、冷たい怒りの炎が宿っていた。
バルトロメアは裾をつまみ、逃げるように会場を後にした。
胸の鼓動が早い。だが、恐れだけではなかった。
——あの人が言った。“千年に一度の異能”。
もしそれが本当なら、私の運命は、まだ終わっていない。
静かな夜風の中、バルトロメアはドレスの裾を揺らしながら、星空を見上げた。
その瞬間、遠くで一匹の猫が、低く鳴いていた。
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