第3話 銀の封蝋
舞踏会の夜から三日後の朝だった。
パンフィーリ伯爵家の屋敷に、一通の封書が届けられた。
封蝋は銀色に輝き、王国の双頭の鷲章が刻まれている。
差出人は、ランゴバルド王国軍務省・スキル管理局。
——本当に、来た。
白い封筒を見つめながら、バルトロメアは胸の鼓動を抑えきれなかった。
あの夜、青い瞳の青年・デメトリオが告げた言葉が、現実となったのだ。
「君のスキルは、きっと王国を動かすよ。特別な力なんだ。」
その言葉を、夢のように思っていた。
だが今、現実の封書がそれを裏づけている。
父と母は大喜びだった。だが、母の笑顔の裏には不安が混じっていた。
「戦争が近いって聞いたけど……大丈夫かしら」
「大丈夫だ。戦乙女は最優先で守られるから」
不安を打ち消すように父が言ったが、その声はどこか、自身に言い聞かせているようだった。
だがバルトロメアの心は、恐れよりも高揚に満ちていた。
——自分の力を、確かめたい。
——あの「特別」という言葉を、もう一度信じてみたい。
翌朝、王都の中心部にそびえる軍務省へ向かった。
石造りの建物はまるで要塞のように重厚で、灰色の壁は朝の光を鈍く返している。
磨かれた大理石の床に、バルトロメアの靴音が高く響く。
廊下の両脇には槍を持った衛兵が整列していた。
彼女は案内の兵士に導かれ、会議室に通された。
部屋の正面には髭面の軍人が立ち、黒板の前には野戦病院のリストの紙が貼られている。
壁際には補佐官が三人。中央には三十名ほどの令嬢たちが並んで座っていた。
「よし、これで全員揃ったな」
低い声が響く。
「私はスキル管理局局長、コルブッチ大佐だ」
その言葉で場が静まり返る。
「今回、諸君に緊急召集をかけた理由は他でもない。
ピストイア共和国がロストフ帝国に敗北し、占領された。
諜報部によれば、ロストフ軍はすでに国境へ向かっている」
空気が一瞬にして張りつめる。
椅子の軋む音さえ憚られるほどだった。
「戦闘になればヒーラーが大量に必要になる。スキル持ちの乙女たちには本日付で軍配属となってもらう。
訓練を開始し、戦時には移動野戦病院でヒーラーとして従事してもらう」
どうやらこの場に集められたのは、治癒や回復系スキルを持つ者たちらしい。
バルトロメアは少しだけ気後れした。
——私は、癒すことなどできない。ただ、猫と話ができるだけ。
そのとき、大佐が部下に耳打ちされた。
「……パンフィーリ嬢は誰だ?」
「はい!」
バルトロメアが立ち上がる。
「きみは確か……猫スキルだったな」
「はい、猫使役です」
「ふむ、第十一師団に配属だ」
ざわっ、と場が波立った。
「猫?」「なんで猫が?」「冗談でしょう?」
小声のざわめきが四方から起こる。
そのとき、会議室の扉がノックされ、丸眼鏡の若い兵士が現れた。
敬礼し、きびきびと告げる。
「パンフィーリ嬢を迎えに参りました」
「連れていけ」
廊下を歩きながら、兵士は穏やかに口を開いた。
「私はスキル管理局のフィオーレ少尉です。一度お会いしたかった」
「まあ……私に?」
「ええ。アルディーニ少将とも、貴女の話をしています。
“千年に一人の異能”だと伝えたのです」
「そ、そんな大げさな……」
顔を赤らめるバルトロメアに、少尉はにこやかに微笑んだ。
「貴女のスキルの本当の価値は、これからですよ。
その力を、どう活かすか——それを考えるのが私たちの仕事です」
やがて二人は「第十一師団連絡所」と書かれた扉の前に着いた。
扉の向こうでは、数人の軍人が地図を囲み、真剣な顔で議論している。
「ロストフ軍はピストイアからこのモンカリエーリ街道を通って平原に出る。
そこで我々が迎え撃つ……これでいいな?」
「しかし連隊長、敵の兵力がまだ不明です」
「一個師団と聞いているが……」
「それでは少なすぎるでしょう」
そのとき、フィオーレ少尉が軽く咳払いをした。
軍人たちが一斉に振り返る。
「おお、フィオーレ、来ていたのか」
「はい、中佐。戦乙女をお連れしました」
「で、スキルは?」
「猫使役です」
「……え?」
一瞬、沈黙。次いでどっと笑いが広がる。
「フィオーレ、冗談はやめろ。仕事中だぞ」
「冗談ではありません。この方こそ、猫使役スキル持ちのバルトロメア・ディ・パンフィーリ嬢です」
中佐が呆れ顔でバルトロメアを見る。
「……で、君は何ができる?」
「猫と話ができます。猫を呼び集めることができます」
「ほう、面白い。しかし、それでどうやって戦う?」
言葉に詰まる。確かに、その答えを自分でも知らなかった。
「中佐、私はこの娘を推薦します」
フィオーレの声が、静かに通る。
「神が与えたスキルです。この国が危機にある今、彼女が選ばれた意味があります」
「意味ねぇ……。だが私は戦う乙女が欲しいと言ったはずだ」
「ナルディーニ中佐、あなたなら見出せるはずです。“神算鬼謀”の異名を持つあなたなら」
連隊長——ナルディーニ中佐は、溜息をつき肩をすくめた。
「参ったな……そうだ、補給部の倉庫がネズミ被害で困っている。猫なら出番だろう?」
バルトロメアの瞳がぱっと明るくなった。
「はい、ネズミ退治なら得意です!」
そう、伯爵家でも一度だけ同じことをした。
黒猫ネーロに頼んで近所の野良猫たちを集め、床下のネズミを一晩で追い払った。
ただ“心の中で命じただけ”で、猫たちは見事に動いたのだ。
——あの時、確かに、何かが繋がった。
ナルディーニ中佐は、やや苦笑いを浮かべた。
「よし、決まりだ。補給部隊で存分にやってみなさい」
そして右手を差し出した。
「第十一師団・第十連隊隊長、シルビオ・ナルディーニ中佐だ。ようこそ、パンフィーリ嬢」
バルトロメアはそっとその手を握り返した。
中佐はまだ若く、茶色の髪、瞳は琥珀色。
厳しさの中にも、どこか人懐こい光を宿していた。
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