第9話 二軍初先発



 智久は、惜しくも二軍スタートだった。

 キャンプでは悪くなかった。球速も戻り、指先の感覚も確かだった。それでも、首脳陣の判断は「もう少し見たい」。要するに、まだ信用には一歩届いていないということだった。


 埼玉ウォーリアーズ二軍との初試合。

 智久はこれまで数回、中継ぎを経験してやっとのことで先発マウンドに立つことになった。


 朝の空気は少し湿っていて、グラウンドの芝がぬめる。智久は若干濡れているマウンドの方が投げやすいので好都合だ。スタンドにはファンがぱらぱらと集まり、応援というより観察といった空気でベンチを見つめていた。


「おまえ、緊張してんのか?」


 キャッチャーの中川が、マスクをずらして笑う。


「まあ、少し」

「おいおい、ルーキの有望株様が緊張かぁ?」

「うち以外は全部豊作だろう」


 智久の代のドラフトは大豊作だと世間一般では言われている、開幕して一ヶ月経たないくらいの評価ではあるが。特に中浜は大暴れをしている。


(ルーキで二刀流挑戦。そのうえに既に二勝あげてるのはやっぱバケモン)


 軽口を叩きながらも、智久の胸の奥は静かに凪いでいる。

 場数を踏むのが大切なのだろう、変に緊張もせず力が抜けていない自然体だ。


 試合開始。

 智久が選んだ初球はカーブ。

 ゆるやかに落ちる軌道に、打者が思わず腰を浮かせる。パンッと中川のミットが鳴った。白いボールの縫い目が一瞬だけ陽を反射し、眩しく光る。


 二球目、外角へと糸を引くようなストレート。

 打者のバットが空を切る。衝撃音はなく、ただ空気が切り裂かれる音だけが耳に残った。この一ヶ月、新宮コーチとは回転数を課題に取り組んでいた。それのおかげか僅かに智久のストレートの空振り率が上がったのだ。


「ナイスボール」

 

 中川の声に小さくうなずく。

 当初は実力不足などと思い悩んでいた中川だったが、開幕までの間で仕上げてきた。智久と一緒で、一軍に上がれるレベルではない。だが二軍では贔屓目無しに他の捕手にも引けを取らないところまで成長したのだ。


 三回、先頭にヒットを許す。

 詰まった打球が内野の間を抜け、レフト方向へのクリーンヒット。土の匂いが立ち上る。汗がこめかみを伝い、風で少し冷やされた。

 次の打者には送りバント。三塁方向へ転がる。智久が素早く処理し、一塁へ送球、アウト。砂ぼこり舞った。


 ここからが勝負だと、わかっていた。

 ウォーリアーズは一軍が若手中心だからこそ、二軍は中堅やベテランが多い。読みも対応力も一枚上。勢いで押し切れる相手じゃない。


「外、チェンジ」


 中川がサインを出してミットを構える。

 智久は黙って首を縦に振った。


 投げた瞬間、手ごたえが少し違った。指先が抜けきらず、球が高めに浮く。

 打者が反応。

 乾いた打球音が背後の空を切り、センター前に落ちる。

 ベンチから小さくため息が漏れた。


 一失点。

 それでも崩れはしない。

 一塁ランナーを牽制で殺してバッターを三振に切る。

 四回を終えたとき、中川がマウンドに歩いてきた。


「あと一回、か」

「少し浮いてきてる。低め意識な」

「チェンジアップが抜けた。カーブとストレート中心で頼む」

「りょーかいだぜ」


 会話は最小限、しかし組んできた時間以上に同期として、バッテリーとしての信頼は強固になっていった。




 五回。

 風が少し強まる。ライトスタンドの旗が波打つ音がする。今日、智久が投げるのは五回まで。最後の回だ。

 打者がバットを構え、スパイクで土を蹴る音が小さく響く。


 初球、外角低め。カーブで見逃し。

 二球目、インハイの速球で詰まらせる。

 ボールが高く跳ね上がり、三塁ゴロ。アウト。

 マウンドの真ん中で、智久は息を吐いた。


 ツーアウトランナーなし、ストライク二つとボールが一つ。

 智久はサインを確認して頷く。

 ゆったりとしたフォームで風を切る。最後に投げた球はカーブ。

 タイミングは完璧だが振られた場所はボール一個上、空振り三振。


 球場のざわめきが、拍手に変わった。

 投げきった先発への純粋な称賛を智久は一手に受ける。

 五回、投げ切って降板。スコアボードには「1失点」。数字としては平凡かもしれない。でも、一軍への一歩となるはずだ。


 ベンチに戻ると、中川がペットボトルの水を投げてよこした。


「悪くねぇな。今年のうちに一軍、あるんじゃね?」


「さぁな、まずは次の登板だ。だが夏までには上がりたいものだ」

 

 水に口をつけながら智久は思案する。ああ、これだ、と。久々に“試合”をしている感覚。やはりリリーフよりも先発のほうが勝負をしている感覚になる。


 空を見上げると、薄い雲の間から陽が差していた。

 眩しさに目を細めながら、彼は帽子のつばを軽く触れる。

 遠かった雲は案外近いのかもな、と呟いた。


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