第8話 取材



 窓際の席で、湯気を立てるカップがふたつ。

 昼下がりのカフェは、妙に静かだった。BGMのピアノがやけに遠く、客の数もまばら。

 智久の正面に座っているのはどこか大人びた女性だ。彼女はノートパソコンを開いたまま、目線だけを上げる。


「ほんとに、こうして会うのも久しぶりですね」


「久しぶり、かな。ドラフトのとき以来ですねゆかりさん」


「また一段と大きくなって......男子三日会わざればなんとやら、だっけ。見違えたよ」


 智久は苦笑して、コーヒーをひと口。

 身長はあまり変わっていないのだが、新宮コーチとの特訓で下半身はしっかりしてきたのだろう。


「まだ、忘れられませんか?」


「忘れるわけないですよ。でも最近は受け入れられたのかな、って」


 紫の目が、微かに笑う。

 彼女は智久のことをよく取材していた。出会いは五年前、紫がインターンで智久に取材をしたのが始まりだった。


「智久くん、あのとき結構泣いてましたよね」


「泣いてねぇよ」


「泣いてました」


「汗だよ、汗」


 軽口の応酬に、ふたりの間の空気がやわらぐ。

 紫は頬杖をつき、視線を少し逸らした。


「……でも、あれで終わっちゃったんですよね。私の高校野球の夏も」


「観る側がそんなこと言うなよ」


「取材側でも、ちょっとくらい青春していいじゃないですか」


 智久は、苦笑しながら窓の外を見る。

 秋の光が街路樹に斜めに差して、影を伸ばしていた。


「紫さん、まだ野球追ってるのか?」


「大学出てスポーツ誌に入ってからずっと。高校野球からプロまで、果ては社会人にも取材したかも」


「そりゃ、物好きだな」


「そうかもしれません。でも私の将来設計では智久くんが超一流プレイヤーになって専属にしてもらうつもりだったのに......」


 その言葉に、智久は少し黙る。

 あの試合に勝っていれば怪我もなかったし、一位指名も確実だったはずだ。


(だけど後悔はしてないんだよな)


「紫さん、ところで今日はなんで来たんですか?」

「取材だね。ルーキー特集」

「俺?中浜のとことか行ったらめちゃ売れますよ」


 紫はキーボードに置いた手を止める。

 智久の方をじっと見て首を横に振った。


「まずアポが取れません。それにマイナー雑誌にとっては落ちぶれた人ほど記事にしやすいんですよ」

「お前......」

「わわっ、お、怒らないでください。冗談ですよ」


 ふっと笑い合って、再び静寂が落ちる。

 智久にとって紫のことは友人だと思っている。負けると同時に離れていった大手マスコミや記者と違う。絶頂期の前から今までずっと取材を続けている信用できる雑誌社だ。

 

 紫のコーヒーは、もう冷めかけていた。

 智久は店員を呼んで、おかわりを頼む。


「あ、ありがとう......」

「全然、俺らの仲じゃないですか」


 その一言に、紫がわずかに笑みをこぼした。

 笑いながら、どこか寂しげに。


「ねぇ智久くん。もしあの試合、勝ってたらどうなってたと思います?」


「まあそこそこの選手になってそこそこで終わってたよ」


「そんな即答することなの?」


「俺が活躍できたのは高校生相手だったから。そこで天狗になってたらもっとだめになってたかもしれない」


 紫はしばらく考えこむように黙った。

 カップの縁を指でなぞりながら、静かに言う。


「……そうやって、自分でちゃんと終わらせられる人、好きです」

「ん?」


「記事の話です。まとめやすいってこと」

「はいはい、取材ね」


 ふたりの笑い声が重なった。

 その音だけが、午後の店内に小さく響く。


 紫はメモ帳を閉じて、立ち上がる。


「今日の分、ちゃんと記事にします」


「いいのか? 雑談しかしてねぇぞ」


「それでいいんです。てきとうに付け足しておけばいい感じになります」


 店を出ると、風が少し冷たかった。

 智久は空を見上げ、紫が去っていく背中を見送る。

 ふと、彼女の残したコーヒーの香りが鼻をかすめた。


「ああ、頑張らなきゃな。見てくれている人がいるんだから」


 つぶやいた声は風に紛れ、すぐに消えた。

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