我々は何を忘れたのか?
水月日暮
忘れ物
二○二五年のある日、国連の某組織がサイバー攻撃を受け、大量の機密外交文書が流出した。未だに犯人とその目的の特定には至っていない。その文書群の中でとりわけ目立つものがあった。「人類-魔法戦争講和会議議事録」である。その荒唐無稽な内容から、この文書は攻撃犯が冗句として入れ込んだものだろうと報道され、話題になることは無かった。しかしこの文書を巡って、国連安保理では緊急会議が開催された。
国連安保理会議場には常任理事国の代表が集まり、物々しい雰囲気に包まれた。この会議は秘密で行われ、非常任理事国にも知らされる事は無かった。最初に米国代表が口を開いた。
「集まって頂き感謝する。今会議では最近公になった『人類-魔法戦争講和会議議事録』なる文書について協議することを目的としている。まずは各国がメディアへの迅速な統制により、この文書が一般市民に拡散されるのを防止できたことを喜ぼう」
米国代表が拍手をすると、他国の代表もそれに倣った。ひとしきり拍手をするとフランス代表が次の様に発言した。
「欧州連合が調査を行い、この文書に書かれている『人類-魔法戦争』が実際に行われたことを確認しました。しかし問題は……、これ程大規模な戦争であったのに、そしてつい最近起きた戦争だったのに、誰もその存在を知らなかった……。いや、その戦争についてのあらゆる記憶、記録が抹消されたということです。その様な事がどうして可能であったか……」
「それを解明するのも、この会議の目的の一つである。その為にも、この文書の内容を精査せねばならない。既に各国で研究されていることとは思うが、我が国の分析内容をご覧頂きたい」
中国代表はそう言うと、他国の代表にホチキスで留められた、英語で記された報告書の束を配った。表題は「『人類-魔法戦争講和会議議事録』の内容について」である。そして本文は次の様な内容だった。
――『人類-魔法戦争講和会議議事録(以下、当該文書)』は先月の何者かによるサイバー攻撃により流出した文書群の中に含まれていた。当局は当該文書の特異性を発見し、社会混乱の防止と機密保持の為、また国連の要請もあってメディアを統制した。その為当該文書が一般に出回ることはほとんど無く、閲覧されたとしても偽物であると判断された。その不可思議な内容から当局はこの文書の真偽を調査し、いくつかの証拠から当該文書に記された『人類-魔法戦争(以下、人魔戦争)』が実際に二〇一〇年から二〇二〇年の十年間にかけて戦われたことを確認した。
米国代表はここまで読むと、「CIAの調査結果もその通りだ」と頷いた。
――当該文書によれば、人魔戦争は世界全ての国家に対して魔法王国が戦った戦争であり、魔法王国は古代から北極大陸に存在する国家である。なお、周知の通り現在その様な大陸、国家を我々は認識していない。魔法王国の国民は魔法使いである。魔法使いも人類ではあるが、この報告書では魔法を使用できない者、つまり我々を指して人類と呼ぶ。魔法王国では長らく黒魔法派と白魔法派による内戦、黒白戦争が行われていた。
「魔法なんて……。我が国の名作小説じゃあるまいし……」と英国代表が呟いた。
――魔法使いは人類を魔法の使えない劣等種と見做していたため殆ど人類に関わる事は無く、また人類も魔法には敵わないため魔法王国に手を出すことは無かった。そのため数千年に渡る歴史の中で両者は全く別の道を歩んできた。しかし二〇一〇年、米国は水爆を改良し新型兵器を開発、その事で魔法と互角の攻撃力を手に入れたと判断した人類は黒白戦争を理由に国連平和維持軍を編成し魔法王国に派遣した。平和の為とは名目で、人類の実際の目的は魔法の力を奪うことであったと当該文書の中で魔法王国国王は発言している。
「いかにも我々人類が考えそうなことだな」米国代表が言うと他の代表も黙って頷いた。
――始めは人類側が優位に立っていたものの、人類への対抗のため黒魔法派と白魔法派が停戦し協力するようになると、徐々に魔法王国が盛り返した。魔法王国の反撃は猖獗を極め、欧州や米国は火の海になった。最終的に人類側一億、魔法側一千万の死者を出したこの戦争は、人類側が降伏して終結した。それに際して魔法王国の首都で開かれたのがこの講和会議であり、人類代表として国連事務総長と七大国の首脳が参加、魔法王国の代表として国王が参加したと当該文書には記されている。
「世界大戦が比較にもならないくらいの恐ろしい被害だな……。」とロシア代表が眉間にしわを寄せて呟いた。
――会議の具体的な内容は当該文書の通りなので割愛する。最終的に締結された講和条約の内容については調査中である。
これで報告書は終わりだった。どこからともなくため息が聞こえる。
米国代表が不安そうな顔をして辺りを見回して言った。「信じがたい話だが……。実際に調査の結果、二〇一〇年から二〇二〇年にかけて北半球を中心に何らかの大災害、あるいは大戦争の形跡が発見された。しかしその大規模さにも拘わらず、我々は今までそのことを認識できずにいた。これが魔法の仕業でなければ何だというのか」
「我々英国政府は当該文書を精査し、講和条約の驚くべき内容――人類が魔法王国に如何なる賠償を行ったか――を復元した」
米国代表は身を乗り出して言う。「それで、その内容は」
「第一条、今後魔法王国は人類による一切の干渉を禁ずる。第二条、忘却魔法を用いて米国の新型兵器に関する記憶を人類から抹消する。第三条……いや、全文読んでいてはキリがない。あとで印刷して渡すので少し割愛する。とにかく、どうやら我々はかなり高い代償を払ったようだ……。そして、重要なのは第十三条だ。第十三条、忘却魔法と改変魔法を用いてこの戦争に関するものを含めた、魔法王国に関わる全ての記録、記憶を人類から抹消する。また、今後隠匿魔法を用いて魔法王国に関わるものを人類が認識できない様にする」
「このせいで、今まで我々は人魔戦争と魔法大陸について忘れていたわけか」ロシア代表が驚いて言った。
「そうだ。そうしてこの議事録だけが我々の手許に残ったが、そのことも我々は忘却し、先月のサイバー攻撃によって、ようやくこの重大事件を我々は再び認識するに至った」
「ただ、まだこれらの事実は国民に発表しない方が賢明でしょう。社会的混乱を招くことは必定です。それにしても未だに信じられない。我々が認識できないだけで魔法王国は今も存在しているんでしょう。もしかしたら人類への追撃を考えているかも知れませんよ。早急に更なる調査を行うべきだ。そして軍備を……」早口でまくし立てるフランス代表をアメリカ代表が制した。
「一旦落ち着こう。確かに更なる調査が必要だ。専門の調査チームを発足させよう。それから英国代表、講和条約については他にあるか」
「ええ、最後の第十四条……。この条文が随分気掛かりだ……。第十四条、忘却魔法と改変魔法を用いて人類にとって重要であった三つの概念、五つの動植物、四つの身体能力、一つの天体、三人の人物を世界から抹消する」
それを聞いてその場にいた全員が息を呑んだ。長い沈黙の後、米国代表が言った。
「我々は何を忘れたのか……」
我々は何を忘れたのか? 水月日暮 @mizutsuki_higure
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