第5話 助手の失恋事件(被害届は出せない)

昼下がりのカフェ「SOFIA COFFEE」。

今日も、俺はアイスラテを片手に

カウンターを見つめていた。

ミサキさんは相変わらず笑顔で

えくぼがきれいだ。


……ただ、今日は少し違う。


左手の薬指に、小さなリングが光っていた。


「…あれ?」


一瞬、世界のBGMが止まった気がした。

隣の席でカップルが笑っている。

氷の音が、妙に耳に残る。


俺は小声でつぶやいた。


「…恋の現場、終了。」



事務所に戻ると、黒田さんが

何やら壁に「恋愛捜査フローチャート」

と書いていた。


「はい、報告を」


「…事件は、未遂で終了しました」


「なに?」


「彼氏、いました」


黒田さんがサングラスを外した。


「…被害状況は?」


「心に軽傷。自尊心に中度の打撲です」


「動機は?」


「笑顔とえくぼです」


黒田さんはため息をつき、

机の引き出しからチョコバーを2本取り出した。


「まずはこれを食え。失恋者の栄養補給だ」


「やたら手慣れてますね」


「俺は失恋のプロだ。

 この部屋の床板は、全部涙で腐ってる」


「湿度たっかいなー…」



夕方、事務所の窓際。

俺は外の夕焼けを見ながら言った。


「…やっぱり恋って、うまくいかないっすね」


「何をもって“うまく”と言うかだ」


黒田さんはソファに寝転びながら、

天井を見てポツリと言った。


「失恋ってのは、愛が終わる瞬間じゃない。

 “自分の中の幻想”が終わる瞬間だ。

 だから痛い。」


(やめてくれよ。急に詩人になるの)


「でもな、幻想が終わったら現実が始まる。

 本当の恋は、その先にある」


「黒田さん、経験談ですか?」


「…経験談だ」


少し間をおいて、彼はにやりと微笑んだ。


「俺も昔、薬指のリングで終わったことがある」


「うわ、リアル」


「彼女、結婚した。相手は普通の人だ」


「あ…由香さん、ですよね」


「よく覚えてるな」


黒田さんの表情に、ほんの一瞬だけ影が落ちた。

でもすぐ、いつもの調子に戻る。


「いいかハルトくん。

 恋は一回休みじゃない。

 サイコロ振り続けてるうちに

 どこかのタイミングで出目が変わる」


「なんすかその人生すごろく理論」


「恋愛探偵の統計だ」



夜。

コンビニの前で缶コーヒーを飲む。

黒田さんが隣で言った。


「恋の犯人は、いつも“期待”だ」


「…期待、ですか」


「そう。愛は証拠がなくても成立するが、

 期待は証拠がないと崩れる」


(今日の黒田さん、哲学率高めだな)


「でも、期待があるうちは、

 まだ心が動いてる証拠でもある。

 …だから、悪くない」


その言葉が夜風よりも少し温かく感じた。



翌朝。

事務所の机の上にメモがあった。


──【ハルトくんへ】

 恋の捜査、再開の許可を出す。

 犯人は新しい出会いに潜伏中。

 ――黒田


俺は思わず笑った。

そして小さくつぶやいた。


「…はい、了解です。黒田さん」



──恋愛探偵・黒田ジョージ。

 助手の失恋すら、案件として処理中。

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