美しき罰
#19
「……めい」
桐野の運転する車が私の自宅に到着した。煙草の紫煙を揺らめかしながら後部座席に座っていれば、そう桐野に呼ばれる。後部座席から身を乗り出して一瞥すると、男性がひとり玄関の前に腰を落としていた。私はひとつ溜め息を吐き出す。桐野に「車はまだ使うから片付けるな」と一言言い、車から降りた。車を家の前に横付けした桐野も私の背後をついてくるように足を運ぶ。
「迷子かい?」
「……ま、そんなところ」
「よくこの場所がわかったね」
「有名ですよ。なにかあったら五木めい先生のところに行けって」
「……光栄だ。だが、プライベートな用事なら帰ってくれ」
玄関の前にいたのは桂木の自宅に行くまえに落とした仁だった。玄関の前に膝を抱えうずくまるように座っている。それはまるで捨てられた子猫のようだ。私は煙草を咥えながら家の鍵を開ける。うずくまる仁は私に拾われたいらしく、上目遣いでこちらを見上げていた。
「ここは怪我人が来る場所。君は元気そうだ」
そう告げると、仁はち、ッと舌を弾く。その態度に私は眉間に皺を寄せ、仁を睥睨する。その瞬間だ、仁はすくりと立ち上がり、私の唇から煙草を奪い取る。一瞬のそれに呆気なく取られてしまった煙草。なにをするのかと思えば、仁はその煙草を自らの手の甲に押しつけた。じゅ、ッと火が消える。
「火傷した。治して」
「……火傷は簡単には治らないよ。馬鹿だね。自分が商品だということがわかっていないらしい」
私は溜め息を吐き出し、けたけたと笑う。正攻法で戦えない男ほど無様なものはない。私は玄関の扉を開ける。招いていない仁を置いて、赤色のピンヒールを脱ぎ家に上がる。私のあとに桐野が続いた。隙間から入ろうとしてきた仁。私は桐野を瞥見した。私の考えを瞬時に理解した桐野は仁を蹴り上げる。仁は土の上に背中から転がった。
「殺すなよ」
私は玄関に座り、殴られる仁と殴る桐野を見つめる。仁の体から血が噴き出す。血に濡れるふたりの男。
「……おまえに寄生するなら殺す」
「君だって私に寄生しているだろ」
「おまえが俺を拾ったんだ」
私と桐野は仁をリンチにしながら言葉を交わす。桐野の言葉に私はけたけたと笑ってしまった。そうだ、私が桐野を拾ったんだった。仁よりも根性があり肝が据わっている男を飼っている。
「桐野、やめろ」
私の声に桐野がぴたり、手を止める。いい子だ。
「……随分と男前になったじゃないか。仁」
「……」
「自分が商品だと理解していればこんなことにはならなかったんだ。どうするんだい? 明日から仕事が取れないじゃないか?」
「………」
仁はなにも喋らない。透明な瞳だった。感情が感じられない泥濘のような底無しの瞳。セックスを稼業にしているのだからさながらラブドールのようだ。ぜんまいが壊れた人形は私の家の前で肢体を広げ伸びている。私はそれを眺めながら煙草の紫煙を吐き出す。桐野は最後まで生にしがみついていた。仁は端から生きたいと思っていないのだろう。先ほどまで策士に見えていた男が途端に飼い主を失った野良猫に見える。私は溜め息をひとつ吐き出す。
「仁。私も暇じゃないんだ」
「……あんたはどうして闇医者なんかしている?」
「それを訊いてどうする?」
桐野は私の横に立ち、穢らわしいものを見るような表情を浮かべていた。自らが無意識に力を持っている者は弱者の気持ちを理解できないだろうし、しないだろう。そういう意味では桐野は強者だ。
仁は殴られた場所が痛いのか体中を手で庇いながら地面から起き上がる。口の中を切ったのか、ぷ、ッと地面に血の混ざる唾液を吐き出した。
「まだ生きていけるのかを見極める…」
「私は医者だ。君を死ぬよりまえに助ける。私の主人が風呂に沈めた人間だ。死なれては困るからね」
「……」
「組長が天寿を全うするためにだけに働いていると思っていたのか? 債務者が天国に高跳びしないように私のような人間がいるんだ」
仁の瞳はさらに透明度を増す。私はまだ青い子供に絶望を咥えさせる。仁は絶望を腹の中に蓄えていく。この世界に無垢なまま突き落とされた雛が一匹、私を親だと思ってついてきた。
「仁。私になにを望んでいたんだ? 私が簡単に君を気に入ると? 浅はかにもほどがある」
「……俺さ、一週間まえくらいに親が蒸発して、借金全額肩代わりする羽目になって」
ぽつぽつと吐露される使い古された悲劇。安っぽい設定。私は欠伸を噛み締める。ここでは金にならないことなど誰も気に留めない。金がすべてであり、金が渦中に存在するものなのだ。この世界は這い上がろうとしない者のことを弱者と呼ぶ。力が弱くても頭が悪くても折れない者を好む世界だ。
「君のことは味見したいと思っているんだ。きちんと正規のルートで私を抱いてくれよ。……さぁ、坊やは帰りな。桐野、どこかの医者に見せてこい。仁なら病院に入れるだろう」
「承知しました」
渋々といった様子で桐野は私に頭を下げた。嫌そうな顔を隠そうともしないその表情に私は笑ってしまう。
「……めいさん」
「私は強い者が好きだよ。弱味は人間らしくて好きだがもう見飽きた。……生きることに執着した男を見ると膣から蜜があふれる。私のお気に入りになりたいなら頑張んな」
私は仁と桐野を乗せた車が走り去るのを見送る。そのあと小さな溜め息を吐き出し、再度ハイヒールを脱いだ。ポニーテールに結った髪の毛を強引に解く。
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