#18
三人で桂木に頭を下げ、和室から離れる。襖を閉め、廊下を歩き出そうとしたそのときだ。髪の毛がはらり、落ちてくる。シニヨンが崩れた。
「アンタに似合わない」
紺野が私の手の中に外した髪ゴムを入れていく。紺野は私たちを置いて去ってしまった。
髪の毛は私にとって生まれ変わりの象徴ともいえる。見窄らしくギシギシと手触りの悪い思春期の黒髪を艶やかなブラウン色に変えた。そして医学的な観点から見ても髪の毛から得られる情報量は多い。一般的に使われている睡眠薬を常用量一回投与しただけでたった一本の髪の毛からそれが検出される。もちろんDNAも調べられる。なにを食べ、どのような場所で暮らしているかも判別できる。
私は紺野に拾われすべてが変わった。食べる物も、暮らし方も、考え方も、すべて変わった。それは髪の毛を調べれば理解できることだろう。
私は手の中にある黒いゴムで髪の毛を結び直す。ただのポニーテールを作り、紺野が消えていった方向に足を進める。
「……おまえ、紺野に嫌われているのか?」
「紺野が私を嫌っていたら私は今ごろ、風呂に沈められているだろうね。彼は情けをかけない」
「なら、なぜ、そんな切なそうな顔をする。なんでもないと言うのに無様な顔だ」
「君は少々口の利き方を学んだほうがいい。私に撲殺されたくなかったら黙れ」
私は桐野を睥睨する。髪の毛がなんだ。くそ。私は紺野が入っていった座敷に入る。桐野は自らの立場を理解しているのか、座敷の前で美しい姿勢で止まる。組員が集まる座敷に入らないという行為をした桐野。その桐野を見て私の怒りが少しばかり和らぐ。
「先生。どうだい? 親父の具合は」
「……まぁ、これからどうなるかは不明だが、健康そのものだよ。それよりアドレナリンが無いとはどういうことだい?」
「……」
私は若頭、紺野庵が拾ってきた女。口出しできないことは多いが、それでも発言権は大いに与えられていた。私は紺野が座る場所の隣に腰を下ろす。そして周りを睥睨した。数人の組員は口を閉じる。こういうときに男社会は面倒だ。見栄とプライドは男の口を閉じさせる。
「……アドレナリンが無いとはどういうことか、って訊いてんの」
「めい」
私が少々声を上げると隣に座る紺野がぴしゃり、私を叱る。そこまでにしろ、と言いたげなその言葉に眉根を顰める。
「アドレナリンを使って補充しなかった奴は指を落とせ。その指を私に持ってこい。……次、救急キットが補充されていなかったらどうなるか考えて行動してくれ」
私はそれだけを言うと紺野の隣から離れる。この場にいる全員が黙り込んでいた。組長か若頭が発言すれば口を揃えて返事をするはずなのだが、ここは男社会。女の私に反論はできなくても、女を下に見て不貞腐れるのが常だ。
「……それじゃ、私はこれで失礼します」
私は気怠げな体で廊下に出る。
「めい」
「はい」
「アンタは名医だ。お疲れ」
呼び止められ紺野から与えられた言葉は私を飽和状態にさせた。心があたたかい。
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