#04

 私たちのやり取りを気にも留めない紺野は私の方に近寄ってくる。私の頭を軽く撫ぜ、隣に寝そべる虫の息の男性に馬乗りになった。瞬く間に一発拳が振り落とされる。痩躯から放たれる重く熾烈な一撃は激情に駆られているように思える。紺野の暴行は男の顔の原形を失わせる。それをさも当たり前と言わんばかりの冷静さを孕んで紺野は男を殴っていた。


「楽にさせてやったほうがいいだろう」


 すべてを静観していたからこその行動なのだろう。生死は紺野が決める。紺野は神をも動かす人間だった。


「すとっぷ」


 気付いたときには言葉が出ていた。私は独りごちただけのような意識だったけれど、私の言葉をつぶさに拾う紺野はこの言葉ももちろん鼓膜に入れていた。きろり、研磨で磨かれた鋭いナイフのような冷徹な瞳がこちらを向いた。絶対零度のその瞳。感情を表に出さない人間のとろり、落ちる殺意は背筋が凍る。 


「……なに?」

「殺すな」

「誰に物を言ってんのかわかってんだろうな?」


 そりゃぁ、もう。関東最大と名高い指定暴力団、藤野組の若頭、紺野庵さんですよ。近年稀に見る活躍と言われ出世コースをひた走った紺野庵ちゃんですよ。という言葉は喉奥に引っかかる。凄みさえも感じるその低い声に体の芯が硬直する。異名通り蛇のような男だ。身動きが取れない。少しの判断ミスで喉元掻っ切られる。命を掌握されている。だが、負けられない。私は紺野の瞳を真っ直ぐに見つめる。そのうちに紺野の瞳が正常に戻っていくのが感じられた。数秒、無言の応酬が続く。


「……最近誰かさんが人使い荒くて仕事がたくさん。生きているなら私にちょうだい」

「ご苦労なことだな。こんな死に損ないを拾うなんて。惚れた?」

「そういうことにしておいて」


 はッ、と破裂音で笑う紺野は顔の原形を留めていない男から離れた。男は生きていた。人はそんな簡単には死なないのだ。図太い。この死に損ないは私と同じように生きる道を選んだ。この掃き溜めの世界で生きていこうと腹を括った。神はまだ君を連れてはいかないとさ、名無しくん。


「使いものにならなくなったら私が金属バットで殴り殺す」

「得意だもんな」

「……当然」


 にこり、平和的に笑う紺野と目が合う。煙草を咥えた男と女が視線を絡ませる。数秒の睨み合い。紺野は私の顔を見ながら懐からなにかを取り出した。飴だ。琥珀色の飴。


「褒美だ。……俺に楯突いた」

「ありがとう。紺野さん」

「アンタ、拾ったときから生意気なんだよ」


 私は煙草を指先に挟み口をぱかり、開ける。ふ、っと微かに笑った紺野は革手袋を無造作に脱ぎ捨てた。白く悍ましいほど色香を放つ指先で飴の包み紙を剥がしていく。そして私の唇をその第二指で軽く撫ぜたあと咥内に飴を放り込んだ。思い出の味だ。不味くて安心できる味。 


「さぁ、オマエら。先生はこれから用事があるんだとよ。残りの人間の腹はオマエたちで裂いてくれ。くれぐれもヤクに傷をつけるんじゃねぇぞ。商品が一ミリグラムでも減っていたら、オマエらの腹に入れて運ばせるからな」


 残された四人の生存者はノコギリを持ったヤクザたちを見つめ愕然する。


 紺野は「あとは頼んだ」と近くにいた舎弟の肩を叩き、車の後部座席に乗り込んだ。車は砂埃を撒き散らし去っていく。

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