#03
車は山道を走っていく。数十分走ったところで一台の車が停車していることを確認する。山奥だ。当然だが東京の猥雑な光が届かない薄暗がり。そこに一筋、スポットライトのように車のヘッドライトが輝いている。まるでステージのようだった。私たちの車に気付いたのかひとりの男がこちらを振り向く。
「……合計何人?」
「ざっと十人くらいかなぁ」
「なにしたの?」
「先生が知るところじゃな〜い」
センタータンが光り輝く笑い方をした隆二。いつかそのセンタータンをメスで裂いてやろうと思っている。スプリットタンにするのが今の私の楽しみだった。
「さて、庵ちゃんがお待ちかねだよ」
「……私、会いたくないって言わなかったっけ?」
はぁ。私は溜め息を吐いて車を出た。すぐに痛々しい悲鳴が聞こえてくる。卑猥なラブホテル街でもこんな声は聞けないだろうな、と思う人間のか細い声の大合唱。私は煙草を咥えたままサンダルを履いた足を伸ばす。関節のぱき、ッと鳴る音が響く。それが私のものかどうかなんてことはわからなかった。ただ、関節の音がした。
「森に行く」と隆二が言うから愛用のハイヒールじゃない足元を選んだ。汚れたくないから。だが、どうやら紺野は違うようだった。ヘッドライトの光で煌びやかに輝く革靴が見える。何年も大事に愛用してきたらしい美しい履き皺ができていて、中央には一糸乱れぬ均等に結ばれた紐が鎮座している。完璧主義者らしく、そしてカリスマ性を端的に表した足元だ。私はそれだけを頼りに目的地に向かう。辿り着いた先にいる紺野を見つめる。
「……めい。久しぶり」
「こんばんは。紺野さん」
にっこり、柔和な眼差しの微笑みを浮かべる紺野。その笑みは今日も今日とて美しく、まるで宗教画のような耽美さを兼ね備えていた。凄絶な美貌だ。神が一等大事に自らの分身でも作ったかのような精巧さ。私が拾われたときの紺野は二十代半ばだったはずだが、今や三十代になっていて、それはもう男性としての色気を存分に撒き散らしていた。美と暴力で周囲を支配している。ヤクザと知らずに一般人でさえも彼に傾倒してしまうだろう。高価そうなスーツと腕時計。そして手元を隠す革手袋。清潔な短髪を撫でつけた黒髪。相変わらず身なりだけで威圧感がある。
私は煙草を咥えながら紺野の隣に立った。紺野の目線の先には縛られ、暴行を受けた男性が数人いる。おい、隆二。十一人じゃないか。数は正しく数えろ。
「で? なにをしろと?」
「腹掻っ捌いてくれる?」
紺野の言葉に男たちの声にならない悲鳴が轟いた。
「コイツらの腹ん中にヤクが入ってる。腹の中で出ちゃうまえに回収したい」
「……そんなの私じゃなくてもよくないですか? 紺野さん」
「アンタの腕を買っている」
はぁ。私は溜め息を吐いて紺野を見つめた。にこり、毅然とした笑みを浮かべる男性。他人が自らの頼み事を断らないと知っている人間の表情だ。末恐ろしい。
私は一度車内に戻り、持ってきた処置道具を抱えて再度紺野の前に立つ。紺野は自らの靴に少量の汚れが付着したことが煩わしいのか、目の前にいた男性の服で靴を拭う。今から腹を切られるのにそんなことまでされるなんて可哀想に。
「麻酔は?」
「要らない。消耗品を無駄にしないの」
私は紺野が靴を拭いた男性の前に跪く。怯え、失禁している男性の頬を優しく撫ぜた。
「…、た、たす、け…」
「すぐ終わるから頑張って」
私は紺野と同様に男性を絶望の谷に落とす。
人間は大抵のことでは死なない。人間は外傷によって死ぬことはなく、自分の死を覚悟したときに死ぬ。意志の力は偉大だ。こんな場所でのたれ死んでたまるか、という強い気持ちは神をも動かす。
そのことを紺野の首を縫ったときに知った。紺野はその創傷が忌々しい、と傷に巻きつく蛇の刺青を入れている。そのことから紺野を蛇と呼ぶ人間もいるのだが、その異名を紺野が好いているのかは知らなかった。
「……君、よく生きてるな」
煙草を咥え血液を纏った私は虫の息だがまだ生きている人間の腹を縫合する。腹を開けた六人はショック死で死んだ。意志が弱かったのだろう。声をかけた男が今晩初めて縫合を施した人間だった。
混ざり物なしのビニールに包まれた薬物の塊が地面に転がっていく。今のところ誰ひとりとして薬物を体内で破裂させなかった。いい子たちだ。だが、そのいい子たちは簡単に死んでしまったから組員たちの手で解体作業が始まっていた。七人目の生き残った男性を残して骨の砕ける音と肉片が潰れる音が聞こえてくる。静かな夜にノコギリが擦れる音が落ちる。ぬちり、ぬちゃり、ぐちゃり、こきん、ぱきん、ぼき。ノコギリや手を使い、器用に肉の塊にしていくヤクザたち。
「は、疲れた……」
私は腹を裂いたのにまだ息がある男性の隣に腰を落とす。青いビニールシートの上で縦横無尽に踊り回る鮮血。どこに流れていけばいいのか自らでもわかっていないその赤色は私が座ったおかげで私の尻に向かって流れてくる。氷のように冷たい液体がジーンズに染みた。
目に留まる煌びやかなシルバーが目の前を横切った。この場所で毅然と静寂を保っているのは紺野だけで、彼は鷹揚に煙草を唇に咥えた。初めて会ったときと同様に紺野の背後から火の灯るライターが翳される。煙草を咥えた紺野は畏怖さえ感じる清廉さで乳白色を吐き出した。
「初めてメス持たせたときより手際がよくなったな」
「……そりゃぁ、数こなせばねぇ。紺野さん、ホント人使い荒い」
ははは、と朗らかに笑う紺野。この場に似合わない笑みが、まだ体内に薬物を入れた人間たちの恐怖を誘う。
紺野に初めて闇医者としての仕事を任されたのは彼が撃たれたときだった。あのときも紺野は言った。やれ。とにかくやれ。アンタならできる、と。弾は貫通していた。それどころか掠っただけだったが縫えと命令された。経験がまったくない十八歳の夏だった。
「頑張れ。頑張ったらご褒美をあげるから」
「……ご褒美って飴でしょ? さっき隆二からもらったんですよ」
私が名前を出したせいか、解体に勤しんでいた隆二が慌ててこちらを振り向く。「せんせぇ!」と情けない叫び声が落ちる。
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