第11話 新しい詩織


 詩織は電車に乗った。

 手紙に書かれた住所へ向かう。

 窓の外を流れる景色を、ぼんやりと見つめる。

 知らない町。

 知らない人々。

 全てが、新鮮だった。


 三時間後、詩織は小さな海辺の町に着いた。

 潮の香りが漂う。

 波の音が聞こえる。

 詩織は手紙の住所を頼りに、歩いた。

 やがて──

 古い一軒家の前に着いた。

 表札には、「氷室由香里」と書かれている。

 詩織は深呼吸をした。

 そして、ドアをノックした。


 ドアが開いた。

 そこに──

 年配の女性が立っていた。

 60代だろうか。

 優しい顔をしている。

「あなたが──詩織さん?」

 女性が尋ねた。

 詩織は頷いた。

「はい。あなたが、由香里さん?」

「いいえ」

 女性は微笑んだ。

「私は、由香里さんの姉です。名前は、恵子」

 恵子は詩織を家の中に招き入れた。


 居間で、二人は向かい合って座った。

 恵子がお茶を淹れてくれる。

「由香里さんは──」

 詩織は尋ねた。

「どこに?」

 恵子は悲しそうに微笑んだ。

「由香里は、25年前に亡くなったわ」

 詩織は息を呑んだ。

「亡くなった?でも、手紙が──」

「その手紙は、私が書いたの」

 恵子が言った。

「由香里の名前で。あなたに、来てほしかったから」


 恵子は立ち上がり、棚から写真を取り出した。

 詩織に渡す。

 写真には──

 若い女性と、赤ん坊。

「これが、由香里とあなたよ」

 恵子が言った。

 詩織は写真を見つめた。

 赤ん坊──それが、私?

「由香里は、あなたを産んですぐに病気で亡くなった」

 恵子が続けた。

「でも、最後まであなたを愛していたわ」

 詩織は涙を流した。

 なぜだか分からない。

 だが、涙が止まらなかった。


 恵子は詩織に、箱を渡した。

「これは、由香里があなたに残したもの」

 詩織は箱を開けた。

 中には──

 手紙、写真、そして──日記。

「由香里の日記よ」

 恵子が言った。

「あなたに、読んでほしいと思って」

 詩織は日記を手に取った。

 古い日記。

 ページをめくる。


由香里の日記:

「今日、詩織が生まれた。小さくて、可愛くて。私の宝物。でも──私はもう長くない。医者にそう言われた。だから、この子に、言葉を残したい」

「詩織、あなたが大きくなったら、この日記を読んでね。そして、知ってほしい。あなたは、愛されて生まれたということを」

「私は、あなたの父を愛していた。でも、彼には家族がいた。私たちの愛は、許されないものだった。でも──あなたは、罪じゃない。あなたは、愛の結晶なの」

「詩織、あなたが将来、苦しむことがあったら──思い出して。あなたは、愛されているということを」


 詩織は日記を読み続けた。

 涙が止まらなかった。

 母の、愛。

 私は──

 愛されて、生まれたんだ。


 夜、詩織は恵子の家に泊まった。

 客間のベッドに横になり、天井を見つめる。

 由香里の日記を、抱きしめている。

 詩織は考えた。

 私は、誰なんだろう。

 氷室詩織?

 それとも──

 由香里の娘?

 詩織は分からなかった。


 翌朝、詩織は恵子に別れを告げた。

「ありがとうございました」

 詩織は深く頭を下げた。

「由香里さんのこと、教えてくれて」

 恵子は詩織を抱きしめた。

「また、来てね」

「はい」


 詩織は町を出た。

 電車に乗り、屋敷に戻る。

 だが──

 戻る途中で、詩織は気づいた。

 私は、本当に戻りたいのだろうか?

 記憶のない私。

 過去を知らない私。

 このまま、新しい人生を始めることもできる。

 詩織は電車の窓から外を見た。

 流れる景色。

 そして──

 詩織は決断した。

「戻るわ」

 彼女は呟いた。

「真実を、知るために」


 詩織は屋敷に戻った。

 だが、家族には会わなかった。

 夜中、こっそりと屋敷に忍び込んだ。

 詩織は地下室に向かった。

 梨花が言っていた。

「お姉ちゃんの日記が、地下にあるの」

 詩織は地下室の扉を開けた。

 暗い階段。

 懐中電灯を持って、下りていく。


 地下室は、古い書類や家具が積まれている。

 詩織は奥に進んだ。

 そして──

 机の上に、ノートを見つけた。

 表紙には、「詩織の日記」と書かれている。

 詩織は日記を手に取った。

 開く。


詩織の日記:

10月22日

「また、ループが始まった。今日で何度目だろう。もう、数えるのも嫌になった」

10月23日

「柊を排除した。でも、無駄だった。また、殺された」

10月24日

「私は気づいた。敵は外にいるんじゃない。私の、中にいる」

10月25日

「今日、私は死ぬ。何度目かも分からない。でも──もう疲れた」


 詩織は読み続けた。

 日記には、ループの記録が詳細に書かれている。

 何度も死んだこと。

 何人もの人を疑ったこと。

 自分の罪に気づいたこと。

 そして──

 最後のページ。


最終日

「私は、決めた。記憶を手放す。氷室詩織として、死ぬ。そして、新しく生まれ変わる」

「でも──もし、新しい私がこの日記を読んだら」

「お願い。私を、殺して」


 詩織は凍りついた。

「私を、殺して」?

 詩織は日記を握りしめた。

 手が震える。

 なぜ?

 なぜ、そんなことを?


 詩織はさらに読み続けた。

 日記の裏表紙に、小さく文字が書かれていた。

「もし、新しい私が記憶を取り戻そうとしたら──それは、過去に戻ることを意味する。過去の私に、戻ることを。だから──新しい私よ、お願い。過去を思い出さないで。このまま、新しい人生を生きて。でも、もし思い出してしまったら──私を殺して。過去の私を、完全に消して」


 詩織は日記を閉じた。

 床に座り込む。

 呼吸が荒い。

「私を、殺して」

 その言葉が、頭の中で繰り返される。

 詩織は考えた。

 記憶を取り戻すことは──

 過去の私に、戻ることなのか?

 それとも──

 ただ、真実を知ることなのか?


 詩織は立ち上がった。

 地下室を出る。

 階段を上がり、屋敷の廊下を歩く。

 そして──

 自分の部屋に入った。

 鏡の前に立つ。

 映っているのは──

 穏やかな顔をした女性。

 記憶を失った、新しい私。

 詩織は鏡に向かって言った。

「私は──どうすればいい?」

 鏡の中の自分が、答えた。

 いや、答えたような気がした。

「選ぶのよ」


 詩織は窓を開けた。

 夜風が入ってくる。

 冷たい。

 詩織は空を見上げた。

 星が見える。

「選ぶ──」

 詩織は呟いた。

「記憶を取り戻すか、このまま新しい人生を生きるか」

 詩織は考えた。

 記憶を取り戻せば──

 過去の罪を背負うことになる。

 でも、真実を知ることができる。

 記憶を手放せば──

 過去から自由になれる。

 でも、本当の自分を知ることはできない。


 詩織は机の引き出しを開けた。

 そこには──

 古い写真が入っていた。

 詩織と梨花の写真。

 二人とも、笑顔だ。

 詩織は写真を見つめた。

 そして──

 決断した。

「私は──」

 詩織は呟いた。

「記憶を、取り戻す」


 詩織は再び地下室に向かった。

 日記を持って、部屋に戻る。

 ベッドに座り、日記を最初から読み始めた。

 一ページ、一ページ。

 詩織の過去が、蘇ってくる。

 梨花を突き落としたこと。

 ループを何度も繰り返したこと。

 家族を疑い、友人を傷つけたこと。

 全て──

 詩織は読み続けた。

 涙を流しながら。


 朝になった。

 詩織は最後のページを閉じた。

 全てを、読んだ。

 詩織は立ち上がった。

 鏡を見る。

 映っているのは──

 涙を流した女性。

 だが、目には──

 決意の光。

 詩織は鏡に向かって言った。

「私は──氷室詩織」

 彼女は微笑んだ。

「過去も、罪も、全て背負って──生きていく」


 詩織は部屋を出た。

 廊下を歩き、階段を下りる。

 食堂に向かう。

 そこには、家族が揃っていた。

 父、母、梨花。

 三人とも、詩織を見て驚いた。

「詩織?いつ戻ったんだ?」

 父が尋ねた。

 詩織は微笑んだ。

「昨夜です。そして──」

 詩織は家族を見た。

「記憶を、取り戻しました」

 梨花が立ち上がった。

「お姉ちゃん──」

 詩織は梨花に近づいた。

 そして、抱きしめた。

「梨花、ごめんね」

 詩織は囁いた。

「私、全部思い出したわ。あなたを傷つけたこと」

 梨花は泣いた。

「お姉ちゃん──」

 詩織は梨花を離し、母を見た。

「お母様、ごめんなさい」

 雪乃は涙を流した。

 詩織は父を見た。

「パパ、ごめんなさい」

 厳一郎は頷いた。

 詩織は深く頭を下げた。

「私は、氷室詩織です。過去に、多くの罪を犯しました。でも──」

 詩織は顔を上げた。

「これから、償っていきます」


第11話 終

次回、最終話「彼女が世界を壊すまで」

記憶を取り戻した詩織。だが、平穏な日々は訪れない。詩織の元に、新たな脅威が迫る──かつてのループで傷つけた者たちの、復讐。詩織は、本当の自分として、最後の戦いに挑む。

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