第9話 最後の実験

 10月23日。


 謝罪の翌日。


 詩織は一人、庭を歩いていた。


 昨日、全員に謝罪した。


 罪を認めた。


 だが──


 何も変わらなかった。


 詩織は噴水の前に立った。


 水が静かに流れている。


 まるで、何事もなかったように。


 午後、詩織は柊に会った。


 庭園で、二人きり。


「柊くん、昨日は本当にごめんなさい」


 詩織は改めて謝った。


 柊は複雑な顔をした。


「詩織、僕も謝らなきゃいけない。僕は君を、財産目当てで──」


「いいの」


 詩織は微笑んだ。


「お互い様よ。でも──」


 詩織は柊の手を取った。


「もし、もう一度やり直せるなら──私たち、友達になれるかな?」


 柊は少し驚いた顔をした。


 そして、微笑んだ。


「ああ、きっとなれるよ」


 夕方、詩織は瑠奈に会った。


 カフェで、いつものように紅茶を飲む。


「瑠奈、私──ひどいことしたわね」


 詩織は言った。


「あなたの気持ちを無視して」


 瑠奈は首を横に振った。


「私も悪かったのよ。詩織を妬んで、憎んで」


 瑠奈は涙を浮かべた。


「でもね、詩織。私、あなたが憧れだったの。いつも堂々としてて、美しくて」


 詩織は瑠奈の手を握った。


「ありがとう。でも、私は──あなたが思うほど強くないわ」


 二人は微笑み合った。


 夜、詩織は梨花と話した。


 梨花の部屋で、姉妹二人きり。


「梨花、本当にごめんね」


 詩織は何度も謝った。


 梨花は詩織を抱きしめた。


「もういいよ、お姉ちゃん。私、もう許したから」


「本当に?」


「うん」


 梨花は微笑んだ。


「お姉ちゃんが謝ってくれた。それだけで、十分」


 詩織は涙を流した。


「ありがとう、梨花」


 10月24日。


 パーティの前日。


 詩織は母と二人で、応接室にいた。


「お母様、私──」


 詩織は言葉を選んだ。


「お母様に、本当の娘として愛されたかった」


 雪乃は詩織を見た。


 その目には、複雑な感情。


「詩織、私は──」


 雪乃は俯いた。


「あなたを愛せなかった。それは、私の罪よ」


 詩織は雪乃の手を取った。


「いいの、お母様。でも──これから、やり直せるかな?」


 雪乃は涙を流した。


「やり直せる?私たちが?」


「少しずつ、でいいから」


 詩織は微笑んだ。


 雪乃は頷いた。


「……そうね。少しずつ、ね」


 10月25日。


 誕生日。


 詩織は目を覚ました。


 今日も、10月22日に戻っていない。


 時間は、進んでいる。


 詩織は窓を開けた。


 朝日が差し込む。


 美しい朝。


 詩織は微笑んだ。


 もしかして──


 もしかして、これで終わる?


 パーティの準備が進む。


 今回は、小さなパーティ。


 家族と、親しい人だけ。


 柊、瑠奈、神崎も来る。


 詩織は美しいドレスを着た。


 鏡を見る。


 映っているのは──


 穏やかな顔をした女。


 もう、冷酷な目はない。


 夕方、パーティが始まった。


 拍手が起こる。


 だが、今回の拍手は──温かかった。


「お誕生日おめでとう、詩織!」


 みんなが笑顔で言う。


 詩織は微笑んだ。


「ありがとう」


 乾杯の時間。


 詩織はシャンパンを手に取った。


 匂いを嗅ぐ。


 普通だ。


 一口飲む。


 普通の味。


 詩織は安心した。


 料理が運ばれてくる。


 詩織は一口食べた。


 美味しい。


 毒はない。


 時間が過ぎる。


 何も起こらない。


 詩織は家族や友人たちと話した。


 笑い合った。


 普通の、幸せなパーティ。


 夜、パーティが終わった。


 詩織は自分の部屋に戻った。


 ベッドに座り、深呼吸をする。


 終わった。


 ついに、終わった。


 誰も私を殺さなかった。


 私も、自分を殺さなかった。


 詩織は横になった。


 天井を見つめる。


 もう、大丈夫。


 明日になれば──


 10月26日になれば──


 このループから、抜け出せる。


 詩織は眠りについた。


 穏やかな眠り。


 だが──


 夢を見た。


 夢の中。


 詩織は暗闇にいた。


 何も見えない。


 何も聞こえない。


 ただ、一人。


 そのとき──


 声が聞こえた。


「詩織」


 詩織は振り返った。


 そこに──


 もう一人の詩織がいた。


 鏡の中にいた、冷たい目の詩織。


「あなたは、誰?」


 詩織は尋ねた。


 もう一人の詩織が微笑んだ。


「私は、あなたよ」


「私?」


「あなたの、罪悪感。あなたの、自己破壊衝動」


 もう一人の詩織が近づいてくる。


「あなたは、謝罪した。みんなに許された。でも──」


 彼女は詩織の耳元で囁いた。


「あなたは、自分を許していない」


 詩織は息を呑んだ。


 もう一人の詩織が続けた。


「だから、あなたは──まだ、死のうとしている」


「違う!」


 詩織は叫んだ。


「私は、もう──」


「嘘よ」


 もう一人の詩織が笑った。


「あなたの心の奥底では、まだ思ってる。『私は死ぬべきだ』って」


 詩織は何も言えなかった。


 もう一人の詩織が、ナイフを取り出した。


「さあ、これで──」


 ナイフが、詩織に近づく。


「終わりにしましょう」


 詩織は目を覚ました。


 飛び起きる。


 呼吸が荒い。


 夢?


 詩織は自分の体を確認した。


 怪我はない。


 時計を見る。


 深夜3時。


 10月25日の、深夜。


 詩織はベッドから出た。


 窓の外を見る。


 月が見える。


 詩織は考えた。


 夢の中の声。


「あなたは、自分を許していない」


 それは──本当だった。


 詩織は、みんなに謝罪した。


 みんなに許された。


 でも──


 自分自身を、許していない。


 詩織は鏡の前に立った。


 映っているのは──


 疲れた顔の女。


 詩織は鏡に向かって言った。


「私は──私を、許せない」


 鏡の中の自分が、答えた。


 いや、答えたような気がした。


「なぜ?」


 詩織は涙を流した。


「だって、私は──梨花を殺そうとした。家族を疑った。友人を傷つけた」


 鏡の中の自分が、微笑んだ。


「でも、あなたは謝罪したわ」


「それだけじゃ、足りない」


 詩織は叫んだ。


「私は──もっと罰を受けるべきなの!」


 鏡の中の自分が、消えた。


 詩織は一人、鏡の前に立っていた。


 詩織は部屋を出た。


 廊下を歩く。


 階段を下りる。


 玄関に向かう。


 そして──


 外に出た。


 夜の庭。


 月明かりに照らされた屋敷。


 詩織は屋敷を見上げた。


 美しい屋敷。


 だが、詩織にとっては──


 牢獄だった。


 詩織は呟いた。


「もう、終わりにしたい」


 詩織は庭の物置に向かった。


 中には、道具が並んでいる。


 詩織は手を伸ばした──


 そして、止まった。


 いや。


 これは、違う。


 破壊しても、何も解決しない。


 詩織は物置を出た。


 庭の中央に立つ。


 空を見上げる。


 星が見える。


「私は──どうすればいい?」


 詩織は空に向かって尋ねた。


 誰も答えない。


 だが──


 詩織は気づいた。


 答えは、もう出ている。


 自分を、許す。


 それしかない。


 詩織は屋敷に戻った。


 自分の部屋に入る。


 鏡の前に座る。


 自分の目を見つめる。


「私は──」


 詩織は言った。


「私は、罪を犯した」


 鏡の中の自分が、頷いた。


「でも、謝罪した」


 鏡の中の自分が、微笑んだ。


「そして、これから──償っていく」


 詩織は深呼吸をした。


「だから──」


 彼女は自分に向かって言った。


「私は、私を許す」


 瞬間──


 部屋が、光に包まれた。


 詩織は目を閉じた。


 まぶしい。


 そして──


 光が消えた。


 詩織は目を開けた。


 部屋は、元通り。


 何も変わっていない。


 だが──


 何かが、違う。


 詩織は自分の胸に手を当てた。


 心臓が、静かに打っている。


 穏やかに。


 詩織は微笑んだ。


 そして──


 眠りについた。


 翌朝。


 詩織は目を覚ました。


 カーテンを開ける。


 朝日が差し込む。


 詩織は時計を見た。


 10月26日。


 詩織は息を呑んだ。


 10月26日──


 ループの、外。


 詩織は窓を開けた。


 冷たい風が頬を撫でる。


 詩織は笑った。


 声を出して、笑った。


「終わった」


 彼女は呟いた。


「ついに、終わった」


 朝食の席。


 家族が揃っている。


 父、母、梨花。


 みんな、笑顔だ。


「おはよう、詩織」


 梨花が言った。


「おはよう」


 詩織は微笑んだ。


 普通の朝。


 普通の家族。


 だが、詩織にとっては──


 奇跡だった。


第9話 終


次回、第10話「彼女のいない世界」


ループから抜け出した詩織。だが、平穏な日々は長くは続かなかった。詩織の元に、一通の手紙が届く。「あなたを殺した者より」──新たな脅威が、詩織を待っている。

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