第3話 親友という名の毒


 10月22日、朝。

 六度目のループ。

 詩織は窓辺に立ち、庭を見下ろしていた。

 朝日が屋敷を照らしている。美しい光景。

 だが、その美しさは詩織にとって何の意味もなかった。

 敵を一人ずつ排除しても、無駄だ。

 柊を追放しても、別の誰かが私を殺す。

 梨花を遠ざけても、別の誰かが襲ってくる。

 ならば──

 詩織は新しい戦略を立てた。

 敵同士を、疑わせる。

 互いに裏切らせる。

 そして、自滅させる。

 詩織は微笑んだ。

 冷たい、計算された笑み。

「まずは、瑠奈ね」


 午後、詩織は瑠奈に電話をした。

「瑠奈?今日、会える?」

「詩織?どうしたの、急に」

「ちょっと相談したいことがあって。カフェで」

「分かった。いつものところね」

 詩織は電話を切った。

 そして、別の番号にかけた。

「もしもし、柊くん?」

 柊の声が聞こえた。

「詩織?どうした?」

「今日の午後、瑠奈と会うんだけど──あなたも来てくれない?」

「え?なぜ?」

 詩織は甘い声で言った。

「実は、瑠奈があなたのこと、変な噂を流してるみたいなの。直接、話し合ってほしいの」

「分かった。行くよ」

 詩織は微笑んだ。

 罠の準備は整った。


 午後3時。いつものカフェ。

 詩織と瑠奈は窓際の席に座っていた。

「それで、相談って?」

 瑠奈が尋ねた。

 詩織は紅茶を一口飲んだ。

「実は──柊くんのことなんだけど」

 瑠奈の表情が、一瞬、変わった。

 詩織は続けた。

「彼、最近おかしいの。他に好きな人がいるみたいで」

 瑠奈は視線を逸らした。

「そう。大変ね」

「ねえ、瑠奈」

 詩織は彼女の目を見た。

「あなた、何か知ってる?」

「え?何を?」

「柊くんと、誰かが会ってるって聞いたの。もしかして──あなた?」

 瑠奈は慌てて首を横に振った。

「違うわ!私は何も──」

 そのとき、カフェの入口から柊が入ってきた。

 彼は詩織たちの席を見つけ、近づいてきた。

「詩織、来たよ──」

 彼は瑠奈を見て、凍りついた。

 瑠奈も、柊を見て、顔を青ざめさせた。

 詩織は立ち上がった。

「あら、柊くん。ちょうど良かった。瑠奈と三人で話したかったの」

 詩織は二人を交互に見た。

「あなたたち、付き合ってるんでしょ?」

 沈黙。

 瑠奈と柊は何も言えなかった。

 詩織は冷たく微笑んだ。

「知ってるのよ。瑠奈の部屋で、柊くんとの写真を見たわ。それに、柊くんの車にあった手紙も」

 瑠奈が小さく声を上げた。

「詩織──」

「言い訳は聞きたくないわ」

 詩織は二人を見下ろした。

「あなたたちは私を裏切った。親友も、婚約者も。二人とも、私の敵ね」

 柊が口を開いた。

「詩織、違うんだ。僕たちは──」

「黙って」

 詩織の声は、氷のように冷たかった。

「私はもう、あなたたちを許さない」

 彼女は席を立った。

「パーティには来なくていいわ。もう、あなたたちとは関わりたくない」

 詩織はカフェを出た。

 後ろから、瑠奈の泣き声が聞こえた。

 だが、詩織は振り返らなかった。


 夜、詩織は自分の部屋で考えていた。

 瑠奈と柊を追放した。

 これで、二人は私を殺せない。

 だが──まだ足りない。

 他にも敵がいる。

 梨花、母、執事。

 詩織は立ち上がり、屋敷の廊下を歩いた。

 深夜。誰もいない。

 詩織は執事・神崎の部屋に近づいた。

 ドアの前で立ち止まる。

 中から、声が聞こえた。

 電話をしている。

「ええ、計画通りです」

 神崎の声。

「お嬢様は何も気づいていません。パーティの当日、実行します」

 詩織は息を呑んだ。

 神崎も──

 彼も、私を殺そうとしている。

 詩織は静かに、その場を離れた。


 10月23日。

 詩織は父・厳一郎に会った。

 書斎で、二人きり。

「パパ、相談があるの」

「何だ?」

 詩織は真剣な顔で言った。

「神崎のことなんだけど──最近、おかしいの」

 厳一郎は眉をひそめた。

「神崎が?どういうことだ?」

「夜中に、誰かと電話してるの。それに、私の部屋を勝手に調べてるみたい」

「本当か?」

「ええ。もしかしたら、屋敷の中で何か企んでるのかもしれない」

 厳一郎は険しい顔をした。

「分かった。調べてみる」

 詩織は微笑んだ。

「ありがとう、パパ」


 その日の午後、厳一郎は神崎を呼び出した。

 詩織は遠くから、その様子を見ていた。

 神崎は何かを説明している。

 だが、厳一郎は納得していないようだった。

 やがて、神崎は書斎を出た。

 彼の顔は、青ざめていた。

 詩織は廊下で神崎を呼び止めた。

「神崎、大丈夫?」

 神崎は詩織を見た。

 その目には──憎しみ。

「お嬢様」

 彼は低い声で言った。

「あなたが、旦那様に何か言ったのですね」

 詩織は首を傾げた。

「何のこと?」

「とぼけないでください」

 神崎は一歩、詩織に近づいた。

「あなたは、この屋敷で何をしようとしているのですか」

 詩織は微笑んだ。

「私?何もしてないわ。ただ──」

 彼女は神崎の耳元で囁いた。

「あなたが、何か企んでるんじゃないの?」

 神崎は何も言わなかった。

 詩織は続けた。

「パパに全部話したわ。あなたが夜中に電話してること。私の部屋を調べてること」

 神崎の顔が歪んだ。

「あなたは──」

「私は、自分を守ってるだけよ」

 詩織は冷たく言った。

「あなたが私を裏切るなら、私もあなたを裏切る。それだけ」


 10月24日。

 パーティの前日。

 神崎は屋敷を去った。

 厳一郎が解雇したのだ。

「神崎は信用できん」

 父は詩織に言った。

「お前の言う通り、何か企んでいたようだ」

 詩織は頷いた。

「分かったわ、パパ」

 また一人、消えた。

 詩織は安堵した。

 これで──

 柊も、瑠奈も、神崎もいない。

 パーティに来るのは、家族と親戚だけ。

 梨花と母は、まだ疑わしい。

 だが、二人だけなら、警戒できる。


 その夜、詩織は眠りについた。

 疲れていた。

 何度もループを繰り返し、何人もの人間を追放し──

 心が、すり減っていた。

 だが、もうすぐ終わる。

 明日のパーティを乗り越えれば──

 詩織は深い眠りに落ちた。


 夜中。

 詩織は息苦しさで目を覚ました。

 首に、何かが巻きついている。

 紐?

 いや──手。

 誰かの手が、詩織の首を絞めている。

 詩織は必死にもがいた。

 だが、力が入らない。

 視界がぼやける。

 呼吸ができない。

 詩織は必死に振り返ろうとした。

 暗闇の中、犯人の姿が見えた。

 それは──

 使用人?

 いや、使用人の制服を着た誰か。

 手には──白い手袋。

 執事の手袋。

 でも、神崎はもういない。

 なら──誰?

 詩織は意識が遠のいていくのを感じた。

 最後に見えたのは──

 犯人の目。

 冷たい、憎しみに満ちた目。

 そして──暗転。


 目が覚めた。

 10月22日。

 詩織は叫び声を上げた。

「なぜ!」

 ベッドから飛び起き、鏡を見る。

 首には、絞められた痕はない。

 だが、感覚は残っている。

 息ができなかった恐怖。

 死の瞬間の絶望。

 詩織は床に座り込んだ。

 柊を追放した。

 瑠奈を追放した。

 神崎を追放した。

 それなのに──

 殺された。

 使用人の手袋をした、誰か。

 詩織は気づいた。

 神崎じゃない。

 別の誰かが、神崎のふりをして──

 いや。

 もしかしたら、神崎は共犯者の一人に過ぎなかった。

 彼を追放しても、別の誰かが実行する。

 詩織は笑った。

 乾いた、狂気じみた笑い。

「そうか。何人追放しても、無駄なのね」

 彼女は天井を見上げた。

「この屋敷の全員が、私の敵なんだ」


 朝食の席で、詩織は家族を見た。

 父、母、梨花。

 そして、新しい執事が立っている。

 神崎の代わりに雇われた、若い男。

 詩織は彼を見た。

 彼も──敵なのだろうか?

 いや、違う。

 敵は、最初からこの屋敷にいた人間だけだ。

 ならば──

 詩織は母を見た。

 雪乃は優雅に紅茶を飲んでいる。

 完璧な母親の顔。

 だが、その目の奥には──何がある?

 詩織は梨花を見た。

 梨花はスマートフォンを見ている。

 無関心な顔。

 だが、時々、詩織を盗み見ている。

 詩織は気づいた。

 全員が、演技をしている。

 普通の家族を演じている。

 だが、内心では──私を殺す機会を窺っている。


 その日の午後、詩織は屋敷の地下室を訪れた。

 ここには、古い書類や写真が保管されている。

 詩織は箱を開け、写真を探した。

 そして──見つけた。

 10年前の写真。

 階段の前で撮られた写真。

 詩織と梨花が写っている。

 二人とも、笑顔だ。

 だが、この写真の直後に──

 梨花は階段から落ちた。

 私が、押した。

 詩織は写真を握りしめた。

 全ての始まりは、ここだった。

 私が梨花を傷つけた。

 そこから、全てが狂い始めた。

 母は私を恐れるようになった。

 梨花は私を憎むようになった。

 そして──

 私は、自分の罪を忘れた。

 詩織は写真を箱に戻した。

 そして、地下室を出た。

 階段を上りながら、詩織は決意した。

 もう、誰も追放しない。

 もう、誰も疑わない。

 ただ──

 全員を、同時に排除する。


 夜、詩織は計画を立てた。

 ノートに、詳細を書き込む。

 柊、瑠奈、神崎──彼らを追放するのではなく、利用する。

 彼らに、互いを疑わせる。

 そして、家族にも、互いを疑わせる。

 全員が全員を疑い、誰も信じられなくなったとき──

 詩織は、生き残る。

 詩織は微笑んだ。

 これは、もうサバイバルゲームだ。

 最後に生き残った者が、勝つ。

 そして、私は──

 何度でも、やり直せる。


第3話 終

次回、第4話「屋敷の陰謀」

詩織は新たな戦略を実行する。敵を一人ずつ排除するのではなく、全員を互いに疑わせる。執事・神崎と妹・梨花の共謀を暴き、二人を自滅させる。だが、詩織はまだ知らない。本当の敵は、もっと近くにいることを──

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