第4話 屋敷の陰謀


 10月22日、朝。

 七度目のループ。

 詩織は窓辺に立ち、庭を見下ろしていた。

 秋の冷たい風が頬を撫でる。

 もう、恐怖はない。

 悲しみもない。

 あるのは、ただ──冷たい決意だけ。

 詩織は振り返り、鏡を見た。

 映っているのは、美しいが冷酷な女。

 目に、感情の光はない。

「今度こそ、全員を排除する」

 彼女は呟いた。


 朝食の席。

 詩織は執事・神崎を観察していた。

 彼は完璧な執事だ。礼儀正しく、無表情で、仕事を完璧にこなす。

 だが、詩織は知っている。

 彼が夜中に電話をしていること。

 「計画通り」と言っていたこと。

 詩織は神崎を呼んだ。

「神崎」

「はい、お嬢様」

「今日の午後、私の部屋の掃除をお願いできる?」

「かしこまりました」

 詩織は微笑んだ。

 罠の準備は、始まった。


 午後、詩織は自分の部屋を出た。

 神崎が部屋に入るのを確認してから、詩織は彼の部屋に向かった。

 使用人棟。

 誰もいない。

 詩織は神崎の部屋のドアを開けた。

 鍵はかかっていない。彼は油断している。

 部屋は質素だった。ベッド、机、クローゼット。

 詩織は机の引き出しを開けた。

 そこには──書類。

 詩織は書類を手に取った。

「氷室家資産目録」

 家の財産、土地、株式──全てが詳細に記されている。

 そして、別の紙。

「計画書」

 詩織は目を細めた。

 そこには、氷室家を乗っ取る計画が書かれていた。

 詩織を排除する。

 父を失脚させる。

 そして、梨花を後継者にする。

 梨花──

 詩織は息を呑んだ。

 妹が、共謀者?

 詩織はさらに引き出しを探った。

 そして──手紙を見つけた。

「神崎様へ。計画を進めてください。お姉ちゃんがいなくなれば、全て私のものです。約束通り、あなたにも分け前を渡します。──梨花」

 詩織は手紙を握りしめた。

 梨花が──

 私を殺すために、神崎と手を組んでいる。

 詩織は書類を元に戻した。

 そして、部屋を出た。

 廊下で立ち止まり、深呼吸をする。

 冷静に。

 感情に流されるな。

 詩織は微笑んだ。

「なら、二人を──潰し合わせる」


 夕方、詩織は神崎を呼んだ。

 庭園で、二人きり。

「神崎、あなたに相談があるの」

「何でしょうか、お嬢様」

 詩織は不安そうな顔をした。

「実は──梨花のことなんだけど」

 神崎の表情が、わずかに変わった。

 詩織は続けた。

「最近、梨花が変なの。夜中に誰かと電話してるし、私の部屋を勝手に調べてるみたい」

「それは──」

「もしかして、梨花が何か企んでるのかもしれない」

 詩織は神崎の目を見た。

「あなた、何か知ってる?」

 神崎は首を横に振った。

「いえ、何も」

 詩織は近づいた。

「嘘ね」

 神崎は一歩、後ろに下がった。

 詩織は囁いた。

「あなたと梨花が、何か計画してるのは知ってるわ。でも──」

 彼女は微笑んだ。

「梨花があなたを裏切ろうとしてるのも、知ってる?」

 神崎は凍りついた。

「何を──」

「梨花の日記を読んだの。そこには書いてあったわ。『神崎を利用して、詩織を排除する。でも、最後は神崎も始末する。全部、私一人のものにする』って」

 神崎の顔が青ざめた。

「そんな──」

「信じないなら、確かめてみたら?」

 詩織は神崎の肩に手を置いた。

「でも、気をつけて。梨花は、あなたを裏切るつもりよ」

 詩織は去った。

 後ろから、神崎の荒い息遣いが聞こえた。


 夜、詩織は梨花の部屋を訪れた。

 ノックすると、梨花が出てきた。

「お姉ちゃん?」

「ちょっと話があるの。入ってもいい?」

「いいよ」

 梨花の部屋に入る。

 詩織は深刻な顔をした。

「梨花、神崎のことなんだけど──」

 梨花の表情が変わった。

「神崎が、どうしたの?」

 詩織は囁いた。

「彼が警察に、何か証拠を渡そうとしてるみたい」

 梨花は息を呑んだ。

「え?」

「私、偶然聞いちゃったの。神崎が電話で『氷室家の不正を警察に通報する』って」

 梨花は動揺した。

「そんな──」

 詩織は続けた。

「もしかして、神崎と何か関係があるの?」

「ない!」

 梨花は強く否定した。

「私は何も知らない!」

 詩織は梨花の肩を抱いた。

「大丈夫。私が何とかするから」

 梨花は不安そうに詩織を見た。

 詩織は優しく微笑んだ。

「でも、もし神崎が何か企んでるなら──早めに対処したほうがいいかもね」


 10月23日。

 朝食の席は、異様な雰囲気だった。

 神崎は梨花を、梨花は神崎を、互いに疑いの目で見ている。

 詩織は何も言わず、紅茶を飲んでいた。

 やがて、父・厳一郎が口を開いた。

「神崎、今日は休んでいいぞ。体調が悪そうだ」

「いえ、大丈夫です」

 神崎は固い声で答えた。

 だが、その目は梨花から離れない。

 梨花も、神崎を睨んでいる。

 詩織は心の中で微笑んだ。

 完璧だ。

 二人は互いを疑い始めている。


 午後、詩織は庭を散歩していた。

 そのとき、使用人棟から声が聞こえた。

 怒鳴り声。

 詩織は近づいた。

 神崎と梨花が、言い争っている。

「あなたが私を裏切ろうとしてるんでしょ!」

 梨花が叫んだ。

「違う!お前が警察に通報しようとしてるんだろう!」

 神崎が反論した。

 二人は互いを睨み合っている。

 詩織は物陰から、その様子を見ていた。

 やがて、梨花が泣き出した。

「もう、信じられない!お姉ちゃんが言った通りだったんだ!」

「詩織が?」

 神崎は気づいた表情をした。

「まさか──」

 二人は同時に振り返った。

 だが、詩織はもういなかった。


 夜、詩織は父に報告した。

「パパ、神崎と梨花が喧嘩してたの。何か企んでるみたい」

 厳一郎は険しい顔をした。

「何だと?」

「二人とも、おかしいのよ。もしかしたら、この家を乗っ取ろうとしてるのかも」

 厳一郎は立ち上がった。

「分かった。すぐに調べる」

 詩織は微笑んだ。

「ありがとう、パパ」


 10月24日。

 朝、神崎と梨花が父に呼び出された。

 書斎での尋問。

 詩織は扉の外で、耳を澄ませていた。

 中から、怒鳴り声が聞こえる。

「お前たちは何を企んでいた!」

 父の声。

「違います!私は何も──」

 神崎の声。

「お姉ちゃんが嘘をついてるんです!」

 梨花の声。

 だが、父は聞かなかった。

「もういい!神崎、お前はクビだ!梨花、お前は当分外出禁止だ!」

 扉が開き、神崎が出てきた。

 彼は詩織を見た。

 その目には──憎しみと、絶望。

「お嬢様──あなたが──」

 詩織は首を傾げた。

「私が、何?」

 神崎は何も言えず、去って行った。

 次に、梨花が出てきた。

 彼女は泣いていた。

「お姉ちゃん、ひどいよ!なんで嘘をつくの!」

 詩織は冷たく言った。

「嘘?私は何も嘘をついてないわ。あなたたちが企んでいたのは事実でしょう?」

 梨花は言葉を失った。

 詩織は続けた。

「あなたは私を殺そうとした。10年前、私があなたを階段から突き落としたから。復讐のつもりだったのね」

 梨花は震えた。

「お姉ちゃんは──覚えてたの?」

「今は、ね」

 詩織は微笑んだ。

「でも、もう遅いわ。あなたの計画は失敗した」

 梨花は泣き崩れた。

 詩織はその場を去った。


 10月25日。

 誕生日。

 詩織は安堵していた。

 神崎は去った。

 梨花は軟禁されている。

 柊も、瑠奈も来ない。

 これで──

 ようやく、死なずに済む。

 パーティ会場に降りる。

 拍手が起こる。

 だが、人数は少ない。

 親戚と、父の仕事仲間だけ。

 詩織は微笑んで挨拶をした。

 乾杯の時間。

 詩織はシャンパンを受け取った。

 匂いを嗅ぐ。

 普通だ。

 一口飲む。

 普通の味。

 詩織は安心した。

 これで──

 料理が運ばれてくる。

 詩織は席に着いた。

 スープ、メインディッシュ、デザート。

 美しく盛り付けられた料理。

 詩織はスープを一口飲んだ。

 その瞬間──

 舌に、異様な苦味。

 毒。

 詩織は目を見開いた。

 いや──

 でも、遅い。

 視界が歪む。

 心臓が激しく打つ。

 呼吸が苦しい。

 詩織は立ち上がろうとしたが、力が入らない。

 倒れる。

 テーブルに突っ伏す。

 周囲が騒然とする。

「詩織!」

 父の声。

 誰かが駆け寄ってくる。

 だが、詩織の意識は遠のいていく。

 最後に見えたのは──

 母の顔。

 雪乃。

 彼女は席に座ったまま、動かない。

 その目には──

 冷たい、憎悪。

 そして──満足。

 詩織は理解した。

 母が──

 毒を盛ったのは、母。

 そして──暗転。


 目が覚めた。

 10月22日。

 詩織は声も出なかった。

 ただ、ベッドに座り、両手で顔を覆った。

 神崎を追放した。

 梨花を軟禁した。

 柊も、瑠奈もいなかった。

 それなのに──

 母に殺された。

 実の母に。

 詩織は笑った。

 声を出さず、肩を震わせて。

 狂気じみた、空虚な笑い。

「そうか。母さんも──」

 彼女は顔を上げた。

 鏡に映る自分を見る。

 髪は乱れ、目は充血している。

 もう、美しい令嬢ではない。

 何度も死を繰り返した、壊れた女。

「家族すら、敵なんだ」

 詩織は呟いた。

「父以外、全員が──私を殺そうとしている」

 彼女は立ち上がった。

 窓の外を見る。

 美しい庭園。

 美しい屋敷。

 だが、その全てが──牢獄だ。

 詩織は決意した。

 もう、誰も信じない。

 もう、誰も許さない。

 ただ──

 生き残るために、全員を排除する。

「母さん──」

 詩織は冷たく微笑んだ。

「次は、あなたの番よ」


 朝食の席。

 詩織は母を見た。

 雪乃は優雅に紅茶を飲んでいる。

 完璧な母親の顔。

 だが、詩織は知っている。

 その内側にある、憎しみを。

「お母様」

 詩織が言った。

 雪乃は顔を上げた。

「何?詩織」

 詩織は微笑んだ。

「お母様は、私のことを愛してる?」

 雪乃は少し驚いた顔をした。

 そして、微笑んだ。

「当然よ。あなたは私の娘だもの」

 その笑顔は、完璧だった。

 練習された、完璧な嘘。

 詩織は頷いた。

「そう。ありがとう」

 彼女は心の中で呟いた。

 嘘つき。

 あなたは私を愛していない。

 私が──父の愛人の娘だから。

 詩織は思い出した。

 前のループで、母の部屋を探ったとき。

 古い日記を見つけた。

 そこには、書かれていた。

「この子は私の子じゃない。夫の裏切りの証だ。見るたびに、憎しみが湧く」

 詩織は席を立った。

「ごちそうさま」

 部屋を出る。

 廊下で立ち止まり、振り返った。

 食堂の中で、母は一人、紅茶を飲んでいる。

 その背中は──孤独だった。

 詩織は何も感じなかった。

 同情も、悲しみも。

 ただ、冷たい決意だけ。

「お母様」

 詩織は呟いた。

「あなたが私を憎むなら──」

 彼女は微笑んだ。

 氷のような、笑み。

「私も、あなたを憎む」


第4話 終

次回、第5話「血の繋がり」

詩織は母・雪乃を追い詰める。だが、復讐の果てに待つのは──虚無だった。敵を排除しても、詩織の心は満たされない。そして、彼女は気づき始める。このループの意味を──

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