第9話 分裂の季節
春の風が、まだ冷たい。
村の広場に立つ大樹の枝先には、つぼみが小さく震えていた。
季節は移ろうはずなのに、村の空気は重く、張り詰めている。
新制度「共感網」の運用が始まって一月。
マコトの導入した“ゆらぎ係数”は、当初こそ注目を集めたが、やがて村のあちこちで軋みを生じさせた。
支援の配分が予測不能になった、と訴える者。
かえって不公平を助長している、と怒る者。
数値が曖昧なほど、解釈は人の数だけ増えていった。
ルゼはその混乱を待っていたかのように、冷静な声を上げた。
「理想に現実を委ねるなど、危険な賭けだ。
私たちは再び、明確な秩序を取り戻すべきだ。」
彼の提案——“ゆらぎ”を排除した再計算型制度——は、合理的で、わかりやすかった。
それゆえに、多くの村人がそちらに流れた。
夜、ギルド議場の明かりがまだ消えない。
マコトは机に両手をつき、地図の上に目を落としていた。
支援網を示す線は赤と青に分かれ、もはや一つの円環を描いてはいない。
リイナが静かに口を開く。
「……半分の村が、ルゼさんの制度に参加しました。」
「そうか。」
マコトの声はかすれていた。
理想を求めて築いた制度が、今や分断の火種になっている。
「どうして止めないんですか?」
リイナの問いは、涙を含んでいた。
マコトは少し黙ってから、低く答える。
「制度を守ることが目的じゃない。人が、互いを理解しようとすることの方が大事だ。
でも……人は痛みなしに変われないんだろうな。」
外では、風が強くなってきた。
掲示板の紙がはがれ、夜の広場を舞っていく。
その中に、かつてマコトが書き添えた言葉——
《数字は、その影にすぎない》——が、土に落ちて汚れていた。
翌朝、ルゼの陣営が「秩序回復集会」を開いた。
広場の中央に即席の壇が組まれ、彼は力強く宣言した。
「我々は曖昧な理想に振り回されない!
心ではなく、結果で支え合う社会を築く!」
その声に、拍手が起こる。
だがその拍手はどこか、恐れにも似ていた。
マコトは群衆の端に立ち、黙ってその光景を見つめていた。
リイナが横で呟く。
「人は、安心できる“正しさ”を求めるんですね。」
マコトはうなずいた。
「そうだ。でも、“安心”と“正しさ”は似ていて、同じではない。」
その晩、村の北部で支援物資の輸送が止まった。
双方の制度が干渉し、データが食い違ったのだ。
穀倉の鍵は二つの派閥の間で共有できず、互いに相手を疑う声が上がる。
——分裂は、理論ではなく生活に及んだ。
リイナは自室で手帳を開き、書き込んだ。
〈共感は、数字ではなく接点だった。
その接点が切れたとき、人は孤立を“信念”と呼ぶ〉
翌日、ルゼがマコトを訪ねてきた。
議場ではなく、あの池のほとり。
静かに歩み寄ると、彼は言った。
「お前の制度は、もう崩壊しかけている。撤回しろ。」
マコトは首を振った。
「崩れているのは制度じゃない。人の間にあった“信じる余白”だ。」
「余白なんて、幻想だ。」
「だとしても、その幻想がある限り、人はまだやり直せる。」
風が吹き、池の水面が波打った。
ルゼはしばらく黙っていたが、やがて背を向けた。
「理想主義者はいつも、現実を壊す。」
マコトはその背中に、静かに答えた。
「現実を壊すのは、恐れだよ。」
数日後、村は正式に二つの制度に分かれた。
境界線を越えるたびに、支援のルールも、通貨の価値も変わる。
同じ村でありながら、二つの世界が並び立つ。
それを人々は、いつしか「分裂の季節」と呼んだ。
マコトは小さな家の窓から、夕陽に染まる街並みを見ていた。
その光は美しく、しかしどこか哀しかった。
ゆらぎを守ることは、安定を失うこと。
だが、ゆらぎを失えば、人の温度も消える。
その矛盾を抱えたまま、彼は静かに筆を取った。
《制度は分かれた。
けれど、人の心はまだ、どちらにも属していない。》
それが、彼の次なる設計図の最初の一行だった。
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