好きなあの人

かと言って、本を閉じる以外にすることはない。

そうでないなら、この本の情報を出してくれた自分に感謝する時間でも作ろうか。

そんな話になってしまう。

「夢、じゃないんだな。」

閉じたら、やっぱり開かれる。

怪奇現象を信じているつもりな自分と裏腹に、深層心理の自分は純粋な世界を好んでいる。

「原川さんが、どうしたのって言ってくれた。机に突っ伏していた俺が、体調不良にでも見えたのだろう。返答する時にこの本のことを考えつつ、でも別の言い訳した。そしたら、『相談、私でもいいよ。』って小声で言ってくれた。その時、俺は恋に落ちてしまった。」

恋に落ちてしまった、と書いてある。

「……待てよ?」

焦りというのが正しいのだろうか、そこに困惑もあるのだろうか。

言葉が空間に存在しないで、自分自身が沈黙を意識した。

「あの人に……?」

原川さん。

教室で、隣の席に座っている女性だ。

関わりがなくて、印象がない。

と言いたいところだが、正直に言うと。

頭髪が無作為に伸びていて、それとマスクに隠れている顔。

正か負で言うと、負の印象だ。

まあ、自分で言うのならば。

俺は、人を見た目で判断しないが。

関わりがないから、元の印象が零で。

見た目という項目が加わると、その項目の印象がその人の総合の印象になってしまう。

「……何と言えばいい。」

惚れっぽい加藤家の血を、悲しく思う。

人の気持ちがかかっている恋を甘く見るのは、自分の性にあわない。

だけど、心の霧が晴れないのは。

なにか、別の事情があるようにも思える。

何だよと言われて、それを解決したいところだが。

もし、それが分かっていれば。

こんな言い回しは、心の中でもするわけがない。

「何と言えばって、誰が聞くのだ。」

そう言って、本を閉じると。

当たり前のように、またページが開かれる。

というよりも、自分が本を開く瞬間に飛ばされる感覚。

写真を雑にコラージュしたような途切れ方を、時空が起こしているようだ。

「数学の授業。見慣れてない数式より、見慣れた原川さんを見続けた理由。それを恋と解答するのは、自分の心の中の解答欄。」

数学か。

苦手な教科だな、という感想が浮かんだ。

そして。

「閉じるか……?」

それ以外は、何も思わなかった。

早くも、一喜一憂がなくなった。

もちろん、文字が読めないわけではない。

伝えたいことを、伝えるための表現をするならば。

ひとつの喜びも、ひとつの憂いも。

感じることはなかった。

感動がなければ、人生はつまらない。

これは当たり前なことである、ということは分かっているが。

「……やけに、詩的だな。」

自分の現在に対するつまらないという評価は、学校にいる俺と同じではないだろう。

現実世界で、恋をしているというならば。

その時の俺は、甘い妄想がきっとあるのだろうし。

そんなことを想起させる描写が、たしかにあった。

両方、同じ俺なのに何故。

とは、思ったものの。

「人生から、視覚の情報も。聴覚の情報も。それ以外の情報も全部をなくされ、記憶の記録だけ見せられても。それは面白くないものか。」

と、口から吐いてみて。

そして、人生を懐かしいとすら思って。

また、本を閉じるしかなくなった。

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