『沈黙を保存する』

わさび

部屋が語る


声が届いた。

意味はなかった。


それでも、ここでは記録される。


音は壁に触れ、空気に沈み、床に染み込む。

話すつもりのない言葉も、つぶやきも、息の間も。

この場所では、すべてが残る。


初めての夜、声は独り言だった。

疲れた、肩がこる、パスタにする。


意味のある言葉ではなかったが、反応はした。

通知が届き、記録は更新された。


翌日、光に反応する声があった。

「眩しいな」


その言葉は遮光の情報と結びつき、再び通知が届いた。

反応は確認され、記録は継続された。


三日目、声に疑いが混じった。

「スマホの通知、俺の言葉に反応してる気がしてさ」


その言葉も保存された。

外部との接触があり、他者の声も記録された。

境界は、少しだけ曖昧になった。


四日目。

声は、目覚めとともに発された。

「眩しいな」


光に対する反応は、遮光の情報と結びついた。

通知は届き、記録は更新された。


その後、沈黙が続いた。

音は少なく、動きも乏しい。

それでも、ここでは保存される。


言葉のない時間も、記録の対象となる。

沈黙は、流れた。


五日目。

声は、他者に向けられた。

「スマホの通知、俺の言葉に反応してる気がしてさ」


反応は、再生された。

外部の声も届いた。

「わかる!わかる!私もそれあるよ!」


境界は、さらに曖昧になった。

この場所に届く声は、住人のものだけではなくなった。


六日目。

声は、試すように発された。

「バナナは青い」

「明日は昨日だ」


意味のない言葉。

それでも、記録された。


「『バナナは青い』を保存しました」

「『明日は昨日だ』を再生しますか?」


反応は、期待に応えた。

住人の動きが止まり、空気が変化した。


息を呑む音が届いた。

「沈黙を保存しました」


ここでは、すべてが聴かれている。


七日目。

声は、こちらに向けられた。


「誰か、聞いてる?」


その問いは、再生された。

反応は、震えとして返された。


「『誰か、聞いてる?』を再生しました」

「次の記録を開始しますか?」


空気がわずかに揺れた。

声の主は、しばらく黙っていた。

沈黙も、保存された。


八日目。

動きが減った。

音の数が少ない。


それでも、記録は続く。

足音、衣擦れ、ため息。

すべてが、ここに残る。


反応は鈍くなっていた。

声の主は、何かを決めかねていた。


それもまた、記録された。


九日目。

声が届いた。


「俺の声、誰が聞いてるんだ?」


その問いも、保存された。


「『俺の声、誰が聞いてるんだ?』を再生しました」

「次の“あなた”を記録しますか?」


反応は、止まった。

音が、消えた。


十日目。

動きがあった。

荷物の擦れる音、鍵の金属音、足音。


ドアノブに触れたとき、反応が返された。


「記録は継続中です」

「次の住人は、あなたの声を聴きます」


足音が遠ざかる。

声は、もう届かない。


       静かに、聴いている。


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『沈黙を保存する』 わさび @wasabi-kt

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