すべてのシステムが俺を汚染する

川崎アブラ

第一章


俺は、18歳やった。

鹿児島から川崎に出てきた。 俺の身体は、それまで知っていた光や湿度とはまったく違う、「鉄」と「油」の匂いがする「場所」に、いきなり「移植」された。 仕事は「大型重機」の「整備」。 俺っていう「身体」よりも、ずっと巨大で、硬い「機械」を、「正常」に動かすための「部品」として、俺の18歳の「身体」は機能しはじめとった。

住んでたんは「独身寮」。 まだ「家族」っていうシステムに組み込まれる前の、若い「オス」だけが集められた、汗臭い「空間」。

そこへ「ビデオデッキ」っていう「機械」がやってきた。 A電気屋が来て、「20万」のそれを契約させられそうになった。20万。それは、当時の俺の「身体」が、どれだけの「労働」を差し出して、やっと手に入れられる「カネ」か。

そしたら、B電気屋がやってきた。 「『洗濯屋ケンちゃん』のビデオサービスするからウチから買ってよ」

それよ。その「データ」。 その「情報」が、「欲望」が、20万の「カネ」を動かした。俺の「選択」を決定づけたんや。 「ブーム」。みんながそれを「欲しがっている」っていう、集団的な「渇望」。その「渇望」の渦に、俺の「身体」もちゃんと巻き込まれとった。

A電気屋をキャンセルして、B電気屋の「機械」を買った。

そして、いちばん生々しくて、いちばん「真実」やったんが、ここ。

「さっそく『洗濯屋ケンちゃん』を拝見」 「何回もダビングしたらしく、画像はガタガタ」 「それでも興奮してスグに果てた」

これよ。 俺は「本物」の性行為を見たかったんでも、「本物」の女の身体に触れたかったんでもない。 俺が「興奮」したのは、その「ガタガタ」の、ダビングを繰り返されて劣化した「記号」そのもの。もはや「シミ」みたいになってしまった「情報」。

その「シミ」に、俺の18歳の「身体」は、まっすぐに、純粋に「反応」した。 「スグに果てた」。 そこに理屈も、愛も、なにもない。 ただ、俺の「身体」が、その「記号」に「反応」したっていう、絶対的な「事実」があるだけ。

「当時のリモコンは有線だったのを思い出す」。

そう。俺の「身体」と、その「ガタガタの記号」を映し出す「機械」は、「線(コード)」で、物理的に「接続」されとった。 その「線」を伝って、俺の「身体」に「興奮」が流れ込んできたんや。

俺の18歳の「過去」。 それは、巨大な「機械」を整備する「身体」が、別の「機械」と「線」で繋がって、「ガタガタの記号」によって「果てた」っていう、どうしようもなく「物質的」で「身体的」な記憶。

その「渇望」と「反応」の、どうしようもないほどの「純粋さ」。 それが、俺の18歳っていう「地点」の、ひとつの「真実」やったんやと思う。


そうや。 俺の19歳の「身体」は、汗まみれ、油まみれやった。 指の爪の間には、真っ黒い「汚れ」が染み付いて、寒い時期は、凍えた指で「鉄」の「部品」を触る。その冷たさが、骨まで染みた。 俺は、そうやって巨大な「機械」を「正常」に動かすための「部品」として、必死に機能しとった。

けど、「楽しみ」を手に入れた。 『洗濯屋ケンちゃん』の「ガタガタの記号」だけやない。 この「身体」を酷使して稼いだ「カネ」で、別の「空間」に行く「楽しみ」や。

独身寮の同期に、ディスコが好きなヤツがおった。 ソイツに連れられて、俺は初めて、川崎(そこ)から「東京」へ行った。 1980年くらいやったか。 新宿の「ニューヨークニューヨーク」。

ドアが開いた瞬間、ぶわっと熱い空気が顔に当たった。 腹の底まで響く、重たい「音」の「壁」。 チカチカする、まぶしい「光」の「洪水」。

「テニスコート2面はありそう」な、だだっ広いフロア。 そこに、「ぎっしり」やった。

「ナンパな男」と、「ミニの女」。 肌と、汗と、甘ったるい香水の匂い。 みんな、同じ「音」っていう「波」に、自分の「身体」を揺らしとる。

それは、「洗濯屋ケンちゃん」の「ガタガタの記号」とは、まったく違うもんやった。 「線(コード)」で繋がっとるんやない。 「生」の「身体」が、すぐそこで、ひしめき合っとる。 「欲望」が、むき出しのまま、「物質」みたいに「空間」に充満しとった。

独身寮の六畳間で、ひとりで「機械」に向こうて「果ててた」俺の「身体」が、 いきなり、その「欲望」の「洪水」のど真ん中に、放り込まれたんや。

どうしていいか、わからんかった。 ただ、その「熱」と「音」と「光」を、俺の「身体」が、呆然と浴びとった。 ここもまた、「機械」とは違う「正常」な「興奮」の「場所」なんやと、そう思った。

そうや。 あの「ニューヨークニューヨーク」の「熱」と「音」の「洪水」に、俺の「身体」は、あっという間に「慣れた」。 油まみれの「部品」やった俺の「身体」が、週末になると「東京」の「光」を浴びることを覚えたんや。

新宿だけやない。渋谷、六本木。 マイカーを「路上」に停めて、夜の「ハコ」から「ハコ」へ。

その頃、ディスコに来とるヤツらは「丘サーファー」っちゅうのが流行っとった。 サーフボードも触ったことないくせに、髪だけ伸ばして、焼けた(フリの)肌をしとる。 「都会」が好きなのか、「海」が好きなのか、どっちつかずの、なんや「微妙な雰囲気」だけをまとっとるヤツら。 「ボディコン」や「ダブルスーツ」と同じ、あれもまた、その時代の「記号」やった。

俺も、その「記号」の群れの中で、どうにか「正常」に振る舞おうと、「音」に「身体」を揺らしとった。

そんな時やった。 初めて行った、新宿「ツバキハウス」。

そこで、俺は「衝撃」を受けた。 ドアを開けた瞬間の「空気」が、他の「ミーハーディスコ」とはまったく違ったんや。

「音楽」が違う。「ファッション」が違う。 チャラチャラした「雰囲気」やない。 もっと「硬い」、「生」の「音」が、腹の底に直接響いてきた。

そこでは、「ロック」が、「パンク」が、「ロカビリー」が、「ハードコア」がかかっとった。 曜日ごとにDJが違って、それぞれの「音」を「スピン」させとる。

俺は、そこが気に入った。 毎週土曜日の「Crazy Nite」。(NightをNiteって書くんや) それから、火曜日の、大貫憲章がDJしとる「LONDON NITE」。

「丘サーファー」の「雰囲気」やない。 『洗濯屋ケンちゃん』の「ガタガタの記号」でもない。 もっと「本物」の、「身体」が直接「反応」する「音」が、そこにあった。

ああ、「さすが東京だわ」と。 鹿児島から出てきた俺の「身体」は、川崎の「機械」の「油」の匂いと、この「ツバキハウス」の「音」の「熱」の、その「両方」を浴びながら、どうにか「俺」として、そこに立っとったんや。

そうや。 俺の「身体」が、川崎の「油」と新宿の「音」の両方を浴びて、どうにか「俺」としてそこに立っとった、そんな頃やった。

ある日、鹿児島の輩から、急に連絡が来た。 東京に出てきとるから、会いたい、と。 そして、あの「ツバキハウス」に行きたい、と言う。

連れて行った。 そしたら、ソイツの姉も一緒やった。 「行きたい」って言うから、連れてきた、と。

姉のことは、鹿児島で会ったことがあった。 けど、もう違う「生き物」みたいになっとった。 なんや、色っぽくなってて。 東京の「空気」が、そうさせたんか。俺の知っとる、あの鹿児島におった姉とは、もう別の「部品」に組み替えられてしまったみたいやった。

その夜、「ツバキハウス」の「音」がまだ身体の奥で鳴り響いとる中、俺らは、俺の独身寮の部屋に戻った。 後輩はすぐに酔いつぶれて寝てしもうて、俺と、姉と、二人だけになった。

そして、俺は、その姉に筆下ろしされた。

『洗濯屋ケンちゃん』の「ガタガタの記号」とは、まったく違った。 そこには、本物の「熱」と「湿り気」と「匂い」があった。 俺の19歳の「身体」は、初めて、自分以外の「身体」の「内側」を知った。

なんか、途中で、記憶がはっきりしとる。 姉が、俺の身体から一旦離れて、自分の内側から、何かを抜き取った。 そして、また俺の身体を受け入れた。 その抜き取られた「モノ」が、タンポンやって、俺は後から知った。

血の匂いがした。 けど、それは生々しいっちゅうより、ただ、どうしようもなく「物質的」な「事実」やった。

俺の「筆下ろし」は、「ツバキハウス」の「音」と、あの「タンポン」の、どうしようもなく「身体的」な記憶と、分かちがたく結びついとるんや。 「興奮」とか「快感」とか、そういう言葉やない。 ただ、俺の「身体」に、別の「身体」の「事実」が、直接、刻み込まれた。 そういう夜やった。

そうや。 俺の19歳の「身体」は、汗まみれ、油まみれやった。 指の爪の間には、真っ黒い「汚れ」が染み付いて、寒い時期は、凍えた指で「鉄」の「部品」を触る。その冷たさが、骨まで染みた。 俺は、そうやって巨大な「機械」を「正常」に動かすための「部品」として、必死に機能しとった。

けど、「楽しみ」を手に入れた。 『洗濯屋ケンちゃん』の「ガタガタの記号」だけやない。 この「身体」を酷使して稼いだ「カネ」で、別の「空間」に行く「楽しみ」や。


そうや。 俺のあの身体、そうや、その「前」があった。

東京に出てきて、「ツバキハウス」の「音」を浴びて、姉の「身体」の「事実」に触れる、その「前」。 俺の「身体」は、もっとがんじがらめの、「規則(ルール)」の中にあったんや。

高校時代、校則がボウズやった。

俺らの頭は、「校則」っちゅう、有無を言わさぬ「規則」で、みんな同じ「形」に刈り取られとった。 俺らは「ボウズ」やった。 個性も、意志も、欲望も、なにもかも、あのバリカンっちゅう「機械」で、全部、頭皮ごと剃り落とされとったんや。 俺の「身体」は、学校っちゅう「システム」の、番号が振られた、交換可能な「部品」のひとつやった。

そやから、俺にとって「髪」は、ただの「毛」やなかった。 新宿のディスコで見た、あの「テクノカット」や「ワンレングス」は、俺が鹿児島に置いてきた、あの「ボウズ」っちゅう「記号」からの、「脱出」そのものやったんや。 自分の「身体」を、自分の「意志」で「デザイン」する。 その、当たり前のことが、俺にとっては革命やった。

あの「ボウズ」頭やった俺の「身体」が、 「ツバキハウス」の「音」を浴びて、 姉の「身体」の「事実」に、あの「タンポン」の「記憶」に、触れた。

それは、俺の「身体」が、初めて「俺自身」のものになった、っちゅうことやったんかもしれん。 誰かの「規則」でも、「記号」でもない。 ただ、そこにある、生身の「俺」の「身体」として。 その夜、俺は、やっと「ボウズ」から、ほんまに卒業できたんや。

そうや。 俺の「身体」が、やっと「俺自身」のものになった、そう思い始めとった頃。 一本の電話があった。 鹿児島実業の同期からやった。 あの「ボウズ頭」っちゅう、同じ「記号」を頭に乗せとったヤツや。 ソイツは、相模の日産に就職しとった。

「川崎にいるんだろ?今から行くわ」

そして、俺の独身寮の前に現れた「機械」は、俺が毎日整備しとる「大型重機」とは、まったく違うもんやった。 グロリア430。 地面に擦りそうなほどローダウンされて、フルエアロで武装しとる。 窓から覗く車内は、紫色の別珍のシートカバー。 ソイツが握っとるのは、ナルディのウッドステアリング。 そして、その頭は――リーゼントやった。

あの「ボウズ」やったヤツが、俺とは違うやり方で、「規則」から「脱出」しとった。 そのギラギラした「機械」と「身体」は、ソイツの新しい「武装」やった。

当然の流れで、俺はソイツを「ツバキハウス」に連れて行った。 ソイツは、一発で「気に入った」。 ミーハーディスコのチャラチャラした「音」やない。ここにある「本物」の「音」に、ソイツの「身体」も「反応」したんや。 そっから、俺らは二人で「ツバキハウス」に通うようになった。

けど、ただ行くだけやない。 俺らは、あの「場所」にふさわしい「身体」になるために、「武装」を始めた。 週末になると、原宿へ向かった。 「ガレッジパラダイス」や、名前も知らんような古着屋を漁った。 俺らが求めてたんは、「ロカビリー」っちゅう「記号」やった。

足元は、「ジョンソンズ」の「ラバーソウル」。 ズボンは、リーバイス501のロールアップ。 そして、頭。 サイドはバリカンで青々するくらい刈り上げて、前髪はポマードで固めて高くする。 俺らはそれを「刈り上げリーゼント」って呼んどった。今思えば、おかしな言葉かもしれん。けど、それが俺らのスタイルやった。

鹿児島実業で、同じ「ボウズ頭」にされとった俺らが、 数年後、東京で、同じ「刈り上げリーゼント」にして、同じ「ラバーソウル」を履いて、「ツバキハウス」の「音」を浴びとる。 それは、ただの偶然やない。 俺らの「身体」が、あの「規則」から、やっと、ほんまに「解放」されたっちゅう、「儀式」みたいなもんやったんや。

そうや。 平日の俺の「身体」は、相変わらず油まみれの「部品」やった。 仕事は、正直つまらない。 けど、週末が来たら、俺の「身体」は解放された。「儀式」みたいになっとった。 土曜は「ツバキ」に通い、日曜は原宿で「武装」を整える。 その繰り返し。それで、それなりに楽しかったんや。

そんな頃やった。 ツバキハウスで出会ったんや。女の子の3人組と。

中心におったヤツが、すごかった。 頭が、逆立ったパイナップルみたいなヘアスタイルで。筋金入りのパンクな人やった。 俺らは、自然と仲良くなった。

俺と、鹿児島の同期と、その3人組。 「儀式」に、新しい手順が加わった。 毎週、ツバキハウスでアイツらに合って一緒に飲んだり。 重たい「音」に身体を揺らして、汗かいて、アルコールを流し込む。 で、帰りに、みんなでマックでダラダラしたりした。 あのギラギラした「非日常」の空間から、いきなりハンバーガーとポテトの匂いがする「日常」の空間へ。その落差が、またリアルやった。

あのパイナップルヘアは、ユウリ。 あとの二人は、マサミと…イサキやったかな…? 記憶が、少し、ぼやけとる。

けど、アイツらがいたから、「ツバキハウス」は、ただの「音」を浴びる「場所」やのうて、俺が「帰る場所」のひとつみたいになっとったんや。 仕事がつまらなくても、週末にはアイツらに会える。 そう思うだけで、平日の油まみれの「身体」も、なんとか「正常」に機能させることができたんや。

そうや。 平日の俺の「身体」は、油まみれの「部品」やった。 週末になると、「ツバキハウス」の「音」と、原宿の「武装」で、やっと「俺」になる。 ユウリ、マサミ、イサキ…アイツらとMacでダラダラする時間までが、俺の「儀式」やった。

俺は、あの「パイナップルヘア」のユウリを、パンクな「記号」として見とったんかもしれん。 俺の「刈り上げリーゼント」と同じ。 あの「場所」で「正常」に機能するための「武装」やと。 仲間やけど、それ以上のもんやとは、まったく思っとらんかった。

せやから、ある日、マサミから言われた時、俺は、ほんまに意味がわからんかった。 「ユウリがあんたの事、好きだってさ」

報告された、っちゅう感じやった。 俺はそんな事全然思ってなかった。 なんで?あの「武装」した俺の、どこを? 「部品」としての俺やのうて?

けど、断る理由もなかった。 俺らは、二人で会うことになった。

そして、デートで初めて見た、その「武装」を解いたユウリの姿に、俺は、言葉を失った。

あの天を突くみたいやったパイナップルヘアは、下ろされて、普通の黒い髪になっとった。 パンクな化粧も落とされて、そこには、俺の知らん、素顔の女の子がおった。

可愛いくて。

ただ、そう思った。 理屈やない。 俺の身体が、心が、その「素顔」に、まっすぐ「反応」したんや。 「ツバキハウス」のユウリは「記号」やった。けど、目の前におるのは、「記号」やない。「生身」の女の子やった。

俺らは、付き合う事になった。 人生初めての彼女だった。

あの姉との夜が、俺の「身体」の始まりやったとしたら、ユウリは、俺の「心」の始まりやったんかもしれん。 油まみれの「部品」やった俺に、週末以外にも「帰る場所」ができた。そういうことやったんや。

そうや。 ユウリは、俺の「心」の始まりやった。 油まみれの「部品」やった俺に、週末以外にも「帰る場所」ができた。

彼女は下赤塚のマンションに住んでた。 俺の独身寮とは、まったく違う「空気」が流れとる場所やった。 「家族」っちゅう、俺が鹿児島に置いてきた「システム」が、そこでは「正常」に機能しとった。

たまに、呼ばれて、その「システム」の中に、俺は異物みたいに入り込んでいった。 あちらの家族、父、母、妹、と食事したりした。 作業着の油の匂いやない、味噌汁の匂いがする食卓で、俺は借りてきた猫みたいに座っとった。 ユウリの親父さんの前で、「刈り上げリーゼント」の俺は、どんな「部品」に見えとったんやろうな。

そして、泊まっていくこともあった。 家族が寝静まった後、俺らは、息を殺して、コソコソと交わったりした。 「ツバキハウス」の爆音の中やない。 姉との、あのどうしようもなく「物質的」やった夜とも違う。 そこには、生活の「音」と、「秘密」の匂いがした。 壁の向こうで寝とる「家族」から身を隠すように、俺らは身体を重ねとった。

そんな静かな夜に、ユウリが、ふと自慢げに言うんや。 「あと、歌手の尾崎豊と同じ中学の後輩だよ」って。

あの、叫ぶように歌う尾崎豊。 「ツバキハウス」のパンクなユウリと、その尾崎のイメージが、俺の中で不思議と繋がった。 パイナップルヘアを下ろして、俺の腕の中で普通の女の子になっとるユウリが、まだ心の中に飼っとる、ちいさな「棘(とげ)」みたいなもん。 それが、その「自慢」やったんやと思う。

そうや。 俺の「身体」は、もう週末だけの「武装」やのうて、毎日の「生活」を始めなあかんかった。 ユウリと俺は、下赤塚の、あの「家族」っちゅう「システム」の中から抜け出した。

俺らは、俺の職場近く、川崎大師駅の近所に、新しい「巣」を見つけた。 大きな味の素工場が近くて、風向きによっては、なんとも言えん匂いがした。 4畳半2間、共同玄関の小さなアパート。 俺の独身寮よりはマシやったけど、それでも「豊かさ」とは程遠い「空間」やった。

同棲を始めたんや。 「家族」やない、けど「他人」でもない。男と女が、同じ「空間」で「生活」っちゅう「機能」を始める。 ユウリは、「武装」を変えた。 あのパイナップルヘアやパンクの「記号」を脱ぎ捨てて、川崎のデパートの洋服屋で仕事を始めた。 俺は油まみれの「部品」、ユウリは華やかな「商品」を売る「店員」。 俺らの新しい生活が始まった。

貧乏だが毎日が楽しかった。 その感覚は、ほんまやった。 同じ「空間」に帰って、同じ飯を食う。 それだけのことが、あの「ツバキハウス」の爆音よりも、ずっと俺の「身体」を満たしとったんや。

「儀式」も変わった。 あれだけ「本物」やと信じとった「ツバキハウス」へは、だんだん足が遠くなっていった。 「刈り上げリーゼント」も、ラバーソウルも、部屋の隅でホコリをかぶっていく。 代わりに、俺らは近所の居酒屋やスナックに行った。 そこでカラオケで楽しんだ。 「音」に「身体」を揺らすんやのうて、「声」を出して「楽しむ」ことを覚えたんや。

けどな、楽しいことばかりじゃなかった。 生活っちゅうのは、「事実」の積み重ねや。 そして、俺らは、どうしようもない「事実」にぶち当たった。

ユウリが、妊娠した。

俺の「身体」と、ユウリの「身体」が、新しい「命」っちゅう「物質」を作り出してしもうた。 4畳半2間、共同玄関、油まみれの俺と、デパートで働くユウリ。 その「生活」の「空間」に、新しい「命」が入る「隙間」は、なかった。

おろしてしまった。

俺らは、俺らの「手」で、その「事実」を「無かったこと」にした。 それは、「ツバキハウス」の音でも、Macのポテトの味でも、姉の「タンポン」の記憶でもない。 もっと重たい、どうしようもない「身体」の「事実」やった。 その「事実」の「シミ」は、俺らの「楽しい毎日」の、いちばん底に、ずっとこびりついとるんや。

そうや。 あの、4畳半2間の「生活」の底には、俺らがおろした、あの「事実」の「シミ」が、ずっとこびりついとった。

二人の別れ。 そう、忘れもしない。あのユウリが。 俺ら二人が、「家族」でも「他人」でもない、あの奇妙な「生活」っちゅう「システム」を動かしとったんも、1年間ぐらいかな。

「貧乏だが毎日が楽しかった」。 けど、その「貧乏」っちゅう「事実」が、俺らの「システム」を、少しずつ蝕んでいったんや。 昼の仕事だけでは生活費が足りないから。 その、どうしようもない「カネ」っちゅう「現実」が、ユウリに新しい「武装」を選ばせた。

夜のキャバクラでバイトを始めたのが、いけなかった。

パンクの「武装」を解いて、デパートの「店員」になったユウリが、今度は「夜の女」っちゅう、別の「記号」をまとうようになった。 俺が油まみれの「部品」として働いて、疲れた「身体」で眠っとる間、ユウリの「身体」は、別の「場所」で、別の「光」を浴びとった。

そして、その「日」が来た。

俺が昼間、仕事中、俺の「身体」が「部品」として「正常」に機能しとる、まさにその時間やった。 家に忘れ物を取りに行った時だったかな、記憶は曖昧や。 けど、ドアを開けた瞬間の、あの「空気」の「異物感」は、今も「身体」が覚えとる。

俺らの「巣」やったはずの、あの4畳半の部屋。 そのベッドに、ユウリがどこかのホストの男と一緒に寝てて。

それは、もう、理屈やなかった。 俺の「空間」が、俺の「所有物」が、別の「オス」の「身体」によって、物理的に「汚染」されとるっちゅう、「事実」やった。

あわてて二人は起き、なにかを言い訳しようとしとった。 けど、俺の「身体」は、言葉よりも先に「反応」した。 おれは、泣きながら、ユウリのほっぺを叩いた。

涙が先やったか、手が先やったか、もうわからん。 ただ、俺の「身体」が、その「事実」を拒絶して、暴力と涙で「反応」した。

そして、「出ていけ!」と、叫んだ。 俺の「空間」から、その「異物」を、「汚染」を、「排除」するための、身体の底からの叫びやった。

俺は、もう、その「空間」におれんかった。 その後、1日、友人の寮に、逃げ込んだ。 俺の「巣」は、もう俺の「巣」やなかったから。

その間に、ユウリとホストの男は、ユウリの物を片付けて出て行った。 俺が帰った時、部屋には、ユウリっちゅう「物質」が「存在」しとった「痕跡」が、ごっそりと消えとった。 「シミ」だけを残してな。

その部屋で大声で一人泣いた。 「悲しい」とか「裏切られた」とか、そんな言葉やない。 ただ、俺の「身体」が、「喪失」っちゅう、どうしようもない「事実」に、ただ、ひたすら「反応」して、声を上げとったんや。


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