危険で完璧な日常

「今日もまた失敗した……」


 たった今、エミリアは二十八回目の脱走に失敗した。人目がないのを確認しても、屋敷を囲む柵を乗り越えてみても、必ずセドリックは笑顔で迎えに来る。


(セドリック様の行動を把握していれば、隙を見て逃げられる日が来るかもしれない)


 そう考えたエミリアは、翌朝からセドリックの一日の行動を調べようと決意した。


 まずはセドリックの起床時間を知るため、日の出前に起きることにた。エミリアが目を覚ますと、まだ部屋は暗く夜は明けていない様子だった。

 エミリアはセドリックの腕にしっかりと抱かれていて、起こさずに抜け出すのは難しそう。なのでエミリアは寝たふりをしてセドリックが起きるのを待つことにした。

 エミリアがそっと目を閉じたその瞬間だった。

 

「おはよう、エミリア。今日はずいぶん早いんだね」


 エミリアが起きるずっと前から起きていたのか、セドリックはエミリアの顔を覗き込んで話しかける。

 そのまま日が昇るまでの一時間ほどずっと、セドリックはエミリアに甘い言葉をかけながら、その冷たい手で髪や頬を撫でた。


 しばらくして日が昇ると、朝の支度を整えて朝食を取る。

 夜明け前に目覚めたのもあり、エミリアは少し眠たかった。しかしセドリックは、いつも通り髪も服もきっちり整えられた貴族のような装いで食堂に現れる。そこには眠気や疲れなんて微塵も感じられない。


 朝食を終え食後の紅茶を飲んでいると、セドリックは思い出したかのように話した。


「今日は昼から用事があるから、しばらく外すよ」


 セドリックは時折どこかへ消えることがある。いつものエミリアならそれを脱出の機会と捉えていたけれど、今日は後をつけてみることにした。


 セドリックが入っていったのは地下室。ぴったり閉じられた扉に耳を当ててみても、物音ひとつ聞こえない。セドリックは二時間ほど地下室へこもったあと、部屋の外へ出ていった。

 隠れていたエミリアは入れ替わるように地下室に入る。中は何かの実験室のようで、薬品のような香りで満たされている。


 たくさんの薬品や実験道具、難しそうな書物の並ぶその部屋を眺めていると、青く光る液体の入った小瓶があるのを見つけた。

 エミリアが思わず手を伸ばすと、突然背後からその手を掴まれる。


「それに触れたら危ないよ」


 背後にいたのは、いつの間にか戻ってきたセドリックだった。

 セドリックはその小瓶を手に取ると、中の液体を自分の左手に一滴垂らした。すると薬品が彼の肉も骨も溶かし、左手はボロボロと崩れていく。

 悪魔であるセドリックの手はすぐに再生した。


(だけどもし、私の手に付着していたら……)


 エミリアは想像しただけで恐ろしくて、真っ青な顔になった。


「この部屋では色んな薬を作ってるんだ。君の足を治すのに使った薬も、ここで作ったものなんだよ。ただ、さっきのように危険な薬もあるから、無闇に触れたりしてはいけないよ」


 セドリックは説明をしながら、慣れた手つきで薬品を調合し始める。


「作った薬はどうしているのですか?」

「この屋敷の人間に使ったり、他の悪魔に売ったりしているよ」

「セドリック様以外にも悪魔がいるのですか?」

「当たり前だろう?」


――セドリック以外にも悪魔がいる。


 セドリックはなんて事のないように話すけれど、エミリアにとっては大きな衝撃だった。


(仮にここから出られても、他の悪魔に捕まってしまうかもしれない……)


 そう考えると、途端にエミリアの気持ちは重くなった。


 結局その日はそれ以上の収穫は得られないまま夜を迎える。


 夜はいつも通り、ドレスアップして貴族のような優雅なディナータイムを送る。夕食後は寝る支度を整え寝室へ。セドリックの晩酌が終わるのをエミリアは隣で座ったまま待ち、そのあとベッドへと入る。


(今夜はセドリック様が眠るまで起きていよう)


 そう心に決めたエミリアだったが、襲ってくる睡魔には勝てずセドリックよりも先に眠りについた。


 静かな寝息を立てるエミリアを撫でながら、セドリックは呟いた。


「君がどこで何をしているかなんて、全てわかっているのに。そんなことも知らず一生懸命出口を探してる。本当に健気で可愛らしいね」


 セドリックは愛おしそうにそっとエミリアを抱き寄せた。


「次はどこへ冒険に行くのかな?」

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