人形遊び
エミリアが悪魔の屋敷に囚われてからどれくらいの時が経っただろう。
何度も何度も脱走を試みるものの、その度にセドリックが笑顔で連れ戻す。
「お願い……おうちに帰らせて……」
「何を言っている?ここが君の家だよ」
正面の門から逃げようと、屋敷の裏手から逃げようと、何をしても逃げられることはなかった。
しばらくこの屋敷で過ごすうちに、エミリアはこの屋敷がセドリックのドールハウスであることを知った。
屋敷の中は品の良い調度品が並んでいる。全てセドリックの好みで、魔法ではなく人間界のものなのだそう。
セドリックは人間の生活様式に興味があるようで、彼にとっては本来不要な食事も形式に則り行われた。
外の庭園はエミリアが思った通り、昼の光の中で見ると色鮮やかで、濃い花の香りに包まれていた。
庭園は絵画の中のように整っているけれど、そこにある花はちぐはぐで、季節外れの花が当然のような顔をして咲いている。
屋敷には人間が何人もいるが、全員何らかの役割が与えられている。ある人は庭師、ある人は料理人、ある人は御者……そしてエミリアに与えられた役割は恋人だった。
屋敷の人間はセドリックに肉体も魂も縛られており、役割を完璧にこなすことが求められる。
少しでもセドリックの気に触るようなことがあればどこかへ連れて行かれ、いつの間にかその役割は別の人間のものになる。元々いた人間がどこへ消えたかは誰もわからない。
そんな恐ろしい生活の中で、エミリアだけは特別扱いだった。
恋人役である彼女に求められるのは愛らしさ。
ゆえにエミリアは心も体も最低限の自由は許されていた。だからセドリックに文句を言えたし、脱走未遂を繰り返すこともできた。
セドリックからすれば、日常的に屋敷から脱走を図ることさえも愛おしく映った。
そんな特別待遇のエミリアを嫌っているのか、それとも恐怖の対象と見做しているのか。ほとんどの使用人たちはエミリアに対してどこかよそよそしく、目を合わせようとはしない。
唯一、侍女役のマリアだけはエミリアに丁寧に接した。
彼女は使用人の中で最も長くこの屋敷で働いていて、セドリックからの信頼も得ているようだ。
セドリックはエミリアをより完璧な恋人役にするため、ドレスや靴、アクセサリーを与え、マリアに身の回りの世話をさせた。
エミリアは着る服も髪型も自分で決めることはできず、セドリックの望む姿になる他ない。
村娘として軽やかに生きてきたエミリアにとって、コルセットで締め付けられるドレスも、踵の高い靴も、全てが拷問器具のように感じられた。
「我慢してくださいね。これはお嬢様がここで生き残るために必要なことなのです」
マリアはそう言うけれど、入浴や着替えといった身の回りの世話をされるのも、エミリアには窮屈で仕方なかった。
恋人役のエミリアにはもう一つ求められることがある。
それは、彼の「愛」を受け入れること。
彼女の拒絶も恐怖も、すべては“恋人”という役に含まれる演出の一部に過ぎない。そう思わせるほどに、セドリックは完璧だった。
セドリックは彼女の髪を撫で、頬を指でなぞりながら微笑む。彼の指は氷のように冷たく、抱きしめられても少しの温もりも感じない。
しかしその目の奥は、確かな熱を帯びていた。それは愛情か、それとも執着か。エミリアは彼の熱い眼差しに、何か縋るような思いがあるように感じた。
それでも、エミリアの心はまだ、彼に渡らなかった。
エミリアはセドリックの、一度の熱すら感じない腕に抱かれながら考えた。
(ウィルの手はいつも温かかったな)
けれどそのウィルはエミリアを裏切った。その温かい手でエミリアを突き飛ばし、彼女の細い足に固い石を打ちつけた。
ウィル、そして大切な妹であったカミラの仕打ちを思い出し、思わず涙が流れる。
流れる涙をセドリックが唇で受け止めた。
「君を悲しませるものは、全て私が退けてあげるよ」
(セドリックに心までは渡さない)
そう思っていたエミリアも、この時だけは心細さからセドリックに身も心も預けた。
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