第6話 イブ 18歳

 高校の卒業式は、雪が降り出しそうな寒い日だった。体育館での式が終わると、教室で騒いでいるクラスメイトを無視して、あたしはジャケットを羽織り速攻で校舎を出た。

 あたしには一緒に写真を撮る友だちも、別れを惜しむ友だちもいなかったし、行くところがあったから。


 ノアのいなくなった中学を卒業したあと、あたしはこのあたりで一番偏差値の低い高校に入学した。

 この高校の生徒は、ほとんどが中学のころと同じメンバー。家から近いこともあって、あたしのママの噂も、あたしが普通とは違うこともみんな知っていた。だから高校生になっても、あたしに友だちはまったくできなかった。

 だけどなぜか男子からはモテて、よく告られた。

「衣舞ちゃん、彼氏いないんでしょ? だったらつき合おうよ」

「いいよ」

 あたしには彼氏がいない。それは本当だ。だからつき合うと、みんな喜んでくれて、キスやエッチなことをすると、もっと喜んでくれた。

 誰かが喜んでくれると、あたしもうれしい。

 生まれてはいけなかった命だけど、生きててもいいんだって思える。

 でも彼氏と会ったあとは、なんだかすごく虚しくなって、やっぱりカッターを手にしてしまう。

 ノアにやめろって言われたからやめようとしたのに、どうしてもあたしは、それをやめられなかった。

 あたしの切れた手首を見ると、彼氏はみんな「気持ち悪い」とか「怖い」って言って、あたしから離れていった。

 そんなことを繰り返しているうちに三年が経って……卒業式の一か月前、突然ママに言われたんだ。


「衣舞、引っ越しするよ」

「え、なんで?」

「大家のババアに出ていけって言われたんだ。家賃ちょっと滞納したくらいで、ふざけるなっての」

 ママはそう言ったけど、家賃は「ちょっと」滞納したくらいじゃないって、あたしは知っていた。それと同じアパートの人から、男を連れ込むなって苦情が来ていたことも。

「引っ越すって……どこに?」

「ママが生まれたところ」

「えっ、やだよ。それってすごい遠くじゃん!」

「うるさい。だったらあんたひとりここに残る? 就職先決まったんだし、自分で家賃払ってひとりで生活する?」

 そんなの考えたこともなかった。あたしがひとりで生活するなんて。

 もしかしてあたし、捨てられちゃうの? あたしはママにとって必要ないものだから。

 するとママがくしゃっと笑って、あたしの頭に手をのせた。

「うそうそ。衣舞はこれからもママのそばにいなよ。よかったらママと同じ仕事紹介するからさ。あっちで一緒に働こ」

 ママは笑っていたけれど、目が笑っていなかった。あたしはその目に逆らえない。

「ママと一緒に行くよね? 衣舞?」

「……うん」

 あたしはうなずいてから、窓の外を見る。

 アパートの前にある公園。あたしはいまでも毎日、あそこのブランコに座っていた。

 もしかしたら、いつかノアが会いにきてくれるかもしれないって思ったから。

 でもそんなことは、一度もなくて。

 きっとこれ以上待っても、あたしはノアに会えない。


 高校から走って帰ると、住み慣れたアパートの前にはトラックが止まっていた。荷物はもう積み込まれていて、引っ越し業者さんと一緒に、ママもトラックに乗ろうとしていた。

「ああ、衣舞、わたしは先に行ってるから。あんたあとから電車で来な」

「うん」

 ママと荷物を載せたトラックが去っていく。部屋を見てみたら空っぽだった。もうここには住めないんだ。

 あたしは目の前にある公園に入った。ここは昼間でも誰もいない。

 いつもみたいにブランコに座って、ひとりでレジ袋を開く。中に入っているのは、あんまんと肉まん。

 あたしはあんまんを手に取り、口に入れる。

「あったかい……」

 でもここでこれを食べるのも今日で最後だ。そう思ったら悲しくなって、涙がぽろぽろとこぼれて、膝にのせた手に落ちた。

「涙って……生ぬるいんだ」

 手首から出てくる血と同じ。あたしはまた「生きている」って実感する。


 洟をすすりながらひとりであんまんを食べていたら、雪が降ってきた。

「さむ……」

 制服の上に着ている黒いダウンジャケットのフードをかぶる。

 それからブランコをこいでみたり、ぼうっとしたりしているうちに雪は少しずつ積もりはじめた。

 いま何時だろう。もうだいぶ遅い時間だ。そろそろ行かなくちゃ。引っ越しの片づけを手伝わないと、ママに怒られる。

 そう思うのに、あたしの腰はなかなかブランコから動こうとしない。

 でもいくら待っても来るはずはないんだ。だって四年間も待っていたのに、ノアは一度も来なかった。メッセージは送れなくなってしまったし、アパートにもいないし、きっともう一生会えない。

「一生……会えないんだ」

 そう思ったらまた涙があふれた。

 高校生になっても。誰かとつき合っても。キスをしてもエッチをしても。

 あたしはまだ、ノアに会いたいと思っている。

 だってあたしはノアのこと……。

「大好き……なんだもん……」


 ノアと別れた日と同じように、地面がうっすらと白くなる。あたしはあの日と同じように、声を上げてわんわん泣いた。

 あたしがこんなに弱いから、ノアは会いにきてくれないのかな。

 ママの言うことを聞いて、外に出ろって言われれば出て、引っ越しするって言われればついていく。

 男の子に対してだってそうだ。つき合ってって言われればつき合って、体を求められればそれに応える。

 あたしがこんなに弱いから、ノアは会いにきてくれないのかな。

 あたしがもっと強くなれば、ノアはあたしと会ってくれるのかな。

 あたしは膝の上で、ぎゅっと手を握る。

「わかんないよ……あたしバカだから……」


 涙をこすると、ダウンジャケットを脱いで、隣のブランコの上に置いた。

「ごめんね、ノア。ずっと借りたままで」

 そして立ち上がり、ジャケットに向かってつぶやく。

「ごめんね……こんなあたしで……」

 もう行かなくちゃ。ママのところに。

 あたしは今日、この町を出ていく。

 ノアとは今度こそ、本当にお別れ。

 空はもう暗くなっていた。積もった雪を踏みしめ、公園をあとにする。

 誰もいない公園の真っ白な雪の上には、あたしの足跡だけが残っていた。

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