アイドリング I drink.

異端者

『アイドリング I drink.』本文

 課長に呼び出されたのはその日の午後だった。

 秋晴れの中、ちょうど中だるみになる時間帯だった。

「ちょっと、君に確認したいことがある」

 彼は私に向けて、わざとらしく顔をしかめながらそう言った。

「君は、仕事中に自由にし過ぎではないかね?」

「と、言いますと?」

 私は首をかしげた。

「勤務時間に、動画サイトやらなんやらを見ているだろう?」

 なんだ。そんなことか――私は少々あきれた。

「はい、空いている時間にはしています。しかし、それで業務に支障は――」

「君は給料をもらっている身だ!」

 彼は私の言葉をさえぎって言った。

 私は心の中で舌打ちする。古い価値観の人間はこれらだから困る。

「給料をもらっているなら、その時間分は働くべきだ! 勤務時間内にそれ以外のことをするなど言語道断ごんごどうだんだ!」

 彼はさも当然と言わんばかりだ。

「お言葉ですが、私はあくまで空き時間にしているだけです」

 全く、課された仕事はこなしているというのに……身を粉にしても、特に給与に反映されない給与体系をなんとかしてほしい。

「だがね、君は社会人として――」

「アイドリング」

 今度は私が遮ってやった。

「は?」

「だから、車のアイドリングと同じですよ。完全に手を止めてしまうよりも、余計なことをしていた方が仕事のある時に再開するのに良いんですよ」

 そうだ。実際にどうでもいいことをしていれば、とっさに中断して仕事を再開するのは簡単だ。むしろ本格的に休憩していた方がエンジンの掛かりが遅くなる。

「そんな理屈が通ると思っているのかね!?」

「ええ、思っていますよ」

 そこでわざとらしく、一旦言葉を切った。

「それなら、課長がコーヒーとタバコで席を空ける方がよっぽどロスが大きいと思いますが。席に着いたまま再開できる私と、片付けて席に戻って再開する課長と……どちらが再開するまで時間が掛かるかは明白では?」

 彼は忌々いまいましげに私を見るとしばらく黙った。そして――

「コーヒーとタバコは、落ちた集中力を補うための大切な時間だ!」

 やれやれ、自分に甘い人間はこれだから困る。

「それは、自身の方が再開に時間が掛かることは認められるのですか?」

 そうだ。それを否定していないということは――

「そ、それは…………そうだ! 君と同じ『アイドリング』だ!」

「はあ……?」

 おやまあ、さっきまで否定していた理屈を自分が使うかね? いやはや、支離滅裂しりめつれつここに極まれり、かな?

「だから、アイドリングだ! 君と同じように、私にはコーヒーとタバコがアイドリングなんだ!」

 いやそれ、再開するまでの時間のロスが……そう言いたくなるのをぐっとこらえた。

「分かったか? この件はもうおしまいだ! 仕事に戻れ!」

 課長は逃げるように去っていく。

 勝った……が、勝利の美酒という気分ではないな。代わりとして、帰りに少し高いコーヒーでも買っていこうか?

 私は席に戻ると、目の前のPCで動画サイトを開いた。

 あくびが出そうになるのを堪える。あと数時間の辛抱だ。

「おい、どう上手くやったんだ? あの課長を丸め込むなんて」

 隣の同僚が小声で言った。

「いえいえ、懇切丁寧こんせつていねいに説明しただけですよ」

「ホントか? お前の言う懇切丁寧は信用ならないからなあ……」

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