第17話:『神童の没落』
シンは馬を走らせ、リリーナと共に師のいる森の奥地の庵へと向かう。 後ろに乗るリリーナの力が徐々に弱っていることに気づき、シンは焦りと不安で無我夢中だった。
庵の前にたどり着き、馬から降りると、シンは扉の前で立ちすくむ。
(あんな別れ方をしておきながら、どんな顔をして、師匠に会えばいいんだ……)
彼が葛藤していると、腕の中のリリーナが、ついに気を失うように崩れ落ちた。
「リリーナ!」
シンは覚悟を決め、扉を蹴破るように開ける。
「師匠、来ました!」
シンが勢いよく庵に入ると、椅子に座っていたアルパスが、ゆっくりと顔を上げた。
「……手紙は、無事、届いたようじゃな。積もる話もあるが、先に、その娘をベッドへ」
シンはリリーナをベッドに寝かせると、アルパスは杖を握りしめ、彼女を囲むように無数の魔法陣を展開する。 色彩豊かな魔法陣が、浮かんでは消え、アルパスの額に汗が滲んだ。
必死になってリリーナを助けようとしている師の姿を見て、シンは罪悪感に耐えきれず、頭を全力で床に叩きつけて土下座する。
「師匠! 申し訳ありませんでした! 僕は、僕は……!」
シンが溢れる感情を言葉にしようとすると、アルパスは、リリーナから目を離さないまま、静かに言う。
「……お主をどう叱責しようかと、色々と考えておった。じゃが、王国騎士団と戦っていた、お主の顔を見て、もう言う必要はないと分かった。勝てぬと分かりながらも逃げださず、愛する者を守り抜こうとする覚悟。……まさしく、賢者の弟子にふさわしい顔じゃった」
「…………」
「反抗期としては、ちと遅すぎたがな。随分と成長して戻ってきたものだ。……それでこそ、わしの弟子であり、息子じゃよ」
「し、師匠……っ」
シンは、涙を流しながら顔を上げた。
数分後、魔法陣が消え去り、アルパスは重いため息をつく。
「シンよ。良い報告と、悪い報告がある。どちらから聞きたい」
「……悪い方から、お願いします」
「ワシには、この娘の呪いを解呪する術はない」
シンが絶望に打ちひしがれるが、それでも希望を捨てずに問い返す。
「では、良い報告とは?」
「治す術はないが、この呪いの進行と影響を、止めることはできる」
アルパスは、覚悟を決めた目で、シンを見つめた。
「禁術『大時の静謐(グレート・サイレンス)』。これを発動すれば、この庵を中心とした森一帯は、お主以外の誰も入れぬ『聖域』と化す。そして、この娘と、術者であるワシは、穏やかな仮死状態となり、呪いの進行と影響は完全に止まる」
「そ、そんな! 師匠も仮死状態になるなんて……!」
「案ずるな。呪いが解ければ、仮死状態も解ける。シンよ。お主が、彼女を救うんじゃ。……伝説の賢者マキナを探し出せ。彼奴(きゃつ)なら、あるいは……」
それが、アルパスの最後の言葉だった。 彼は禁術を発動させ、全てが静寂に包まれる中、リリーナと共に、深い眠りについた。 アルパスが握る杖の先からは、複雑な魔法陣が、常に書き換えられながら浮かび続けている。
シンは、眠る師に深く頭を下げた。
「師匠、ありがとうございます。……少しの間だけ、待っててね、リリーナ。絶対に、助けるから」
シンは目に強い意志を宿し、ただ一人、庵を出た。 禁術の影響でアンデッドの発生は完全に停止し、その一週間後、王国は「災厄の魔女リリーナは討伐、シンは生死不明」と、偽りの終戦宣言を行った。
【地方の町にて】
マキナと呼ばれる伝説の賢者を見つけられぬまま、一か月が過ぎ去った。
当初の資金は、安宿での聞き込み調査で半月も経たずに底をつき、愛馬すらも売る羽目になった。 得た僅かな金も日々の食事で消え、今や、ぼろ布の財布の中にある、数枚の銅貨が彼の最後の生命線だった。
「……生きていくだけでも、こんなにも大変なんだな。そういや、元の世界では、最低限だったけど、親がカップ麺とか用意してくれてたな」
重いため息をつき、寝床にしていた藁の上から立ち上がる。 シンは、なけなしの銅貨を握りしめ、市場へと向かった。 町の広場には、少し色褪せた王国の公式布告が、まだ貼り出されている。
『災厄の魔女、リリーナ討伐』
『大逆人、シン生死不明』
シンが冷え切った表情でそのプロパガンダから視線を外すと、張り紙を見ていた二人の青年の声が耳に入る。
「知ってるか? 噂じゃ、あの魔女を討ったのはシンらしいぜ。校長から取引を持ちかけられて、魔女を殺せば罪を不問にするって言われたんだとよ」
「へぇ。ならなんで、シンは世間に出てこないんだ?」
「その取引自体が嘘だったらしい。のこのこ戻ってきたシンを、そのまま処刑台に送ったそうだ。生死不明ってのも、処刑を隠すための口実らしいぜ」
「ひっでぇ話だな。あの校長、狸じじいと言われるだけある」
シンはその言葉を聞いて立ちすくむ。 (……全てが、嘘だったのか)
腹の虫が、ぐぅ、と鳴った。 彼は、一番安い露店で、十個入りのジャガイモを買おうとする。しかし、店主から渡された袋の中は、上が綺麗で、下はほとんどが腐っていた。
「あの、すみません。これ、腐って……」
「あぁ? 見ての通り、うちは大繁盛だ。そんな細かいクレームに応じている暇はねえんだよ!」
店主は、シンの薄汚れた身なりを見て、虫を追い払うように手を振る。
「クレームじゃなくて、ただ……」
その時だった。シンの視界の隅に、身なりの整った、見覚えのある学園の制服が映った。 ゼイドだった。
(――――!)
シンの脳裏に、かつての光景がフラッシュバックする。 市場で、みすぼらしい老人が、同じように店主と口論していた光景。
そして、その老人を、「ああはなりたくない」と、自分が見下し、侮辱した記憶が。
強烈な羞恥と自己嫌悪に襲われ、シンは手にしていたジャガイモと、最後の銅貨を、その場に取り落とした。 そして、逃げるように、その場を走り去った。
路地裏まで無我夢中で走り、誰もいないことを確認すると、強烈な吐き気がこみ上げる。
「……う、うぉえ……」
胃の中は空っぽだ。ただ、胃の奥底から絞り出したような、乾いた空気だけが、虚しく漏れた。 呼吸が落ち着くと、乾いた笑みを漏らす。
「……あ、はは……。もう、お金も、ないや……」
狂ったように笑っていると、目の前に、見慣れた制服を纏った青年が見下すように立っていた。
「……なにを、気持ち悪く笑っているんだ、シン」
「ぜ、ゼイド……!」
シンは怯える子犬のように壁際まで後ずさる。 ゼイドは自分が羽織っていた上着を、シンに投げ渡した。
「大体の事情は分かっている。……だが、確認のために聞かせろ。リリーナは、まだ生きているな?」
「……う、うん。師匠が仮死状態にして、呪いの進行を止めてる」
「そうか、ならいい。付いてこい」
「どこへ行く気だ?」
「俺の家だ。このままの生活を続けても、先がないのはお前が一番よく分かっているだろう」
「…………」
シンは何も言い返せず、ゼイドについていった。
【ゼイドの家・翌日】
「いいか、よく聞け」
シャワーを浴び、清潔な服に着替えたシンの前に、ゼイドが座る。 その表情は、もはやライバルではなかった。
「お前がここにいられるのは、一週間だ。一週間後には、王国騎士団長である俺の父……いや母になったな。母が戻ってくる。そうなれば、国賊であるお前を匿っている言い訳が立たん」
「そういや、騎士団長って……あのおっかない人が、ゼイドの母親!?」
シンは、あの圧倒的な強さを見せたセラフィムの姿を思い出す。
「その意見は、実に間違っている。彼女は素晴らしいお方だ。俺たちスタントチームの労災申請を初めて通してくれた。それに、いつもなら、サービス残業やグレーを超えた、ダークマターのような違法作業のオンパレードなのだが、監察官の立場から、あの悪魔すら生易しいディレクターを牽制してくれているため、今回はほとんどない。本当に、本当に素晴らしいお方だ。……いや、失敬。今の内容は忘れてくれ」
ゼイドはわざとらしく咳をすると、表情を戻す。
「さて、本題だ。これから一週間で、お前は自活できるだけの仕事と住む場所を見つける。お前もライバルである、俺に依存する気もないだろう」
「……うん」
ゼイドは頷くと、シンの前に、一枚の羊皮紙とペンを置いた。
「まず、職務経歴書からだ。お前のスキルと実績を、ありのままに書け」
数十分後――。
ゼイドは、シンが書き上げた英雄譚(経歴書)を見て、深いため息をついた。
「……はぁ。なんだこれは。子供の武勇伝か」
「まず、『好敵手ゼイドとの決闘に勝利』。馬鹿者! 俺の名前を出すな、個人情報保護の観点から問題しかない!」
「ご、ごめん……」
ゼイドは、頭を掻きむしりながら、ぶつぶつと呟き始める。
「いや、待て。『学園最強の騎士との模擬戦において、圧倒的に不利な状況から逆転勝利』。……これなら、『高い問題解決能力』のアピールになるか……? いや、やっぱ無理だな」
その瞬間から、彼の雰囲気が、徐々に変わり始めた。
「では、次に行きましょうか、シン。『聖獣グリフォンとの対峙』。これは素晴らしいご経験です。ですが、ただ『戦った』では、採用担当者には何も伝わりません。この経験を通して、何を学び、どのようなスキルを得たのかを、具体的に記述する必要があります」
「え……? なんで、急に丁寧語……?」
シンの困惑をよそに、ゼイドは完全にスイッチが入っていた。
「よろしいですか、シン様。あなたのその素晴らしいご経歴を、採用担当者が理解できる言葉に『言語化』するのです。例えば……」
彼は、シンの英雄譚を、指でなぞりながら、無慈悲に、しかし的確に“翻訳”していく。
「『神剣の真の力を解放』。素晴らしい実績です。ですが、これでは伝わりません。ここは、『極度のプレッシャー下における、特殊機材のオペレーション能力と、高いストレス耐性』と記述しましょう」
「は、はい……」
「『王国騎士団を撃退』……シン様、ふざけているのでしょうか? 国家権力を敵に回したと書く馬鹿がどこにいますか。規範意識の欠如を疑われます。この項目は削除です」
「……す、すみません」
「『錬金術で上級回復薬を創造』。これも、『既存のプロセスに囚われず、独自の創意工夫で、従来を上回る成果を出した』とアピールできますね。……ちなみに、再現性は?」
「い、いえ。あの時は適当に作ったので……」
「論外です。削除しましょう」
「は、はい……」
「よろしいですか、シン様。重要なのは、あなたの『経験』を、相手の求める『スキル』へと論理的に接続し、あなたを雇用することが、相手にとってどれほどの『利益(メリット)』になるかを提示することです。我々はこのプロセスを『アチーブメントの再定義』と呼んでいますが、ここまではよろしいでしょうか?」
「あっ、はい」
シンは、完全にゼイドの気迫に呑まれていた。
【コントロールルーム】
「…………」
モニターに映る、流暢なコンサルティング用語を並べ立てるゼイドの姿に、セラフィムは、ただ、呆然としていた。 やがて、彼女は、絞り出すように、呟いた。
「……ディレクター。あれは、好敵手(ライバル)などでは、ありませんよね」
「――――ただの、転職エージェントじゃないですか」
神楽は、満足げに頷く。
「ああ。我が部署が誇る、最高のキャリアコンサルタントだよ。専門家を配置するのは、当然だろう?」
【ゼイドの家】
三日にも及ぶ地獄のコンサルティングが終わり、シンの職務経歴書と履歴書は完成した。 ゼイドは、それを満足げに眺めると、一枚の地図をシンに手渡す。
「よし、では、今から共にギルドへ向かうぞ」
「ギルド?」
「ああ。王国の社会支援により、無料で就職口が斡旋されている場所だ。この地のギルドは、『ハローワーク』と呼ばれているがな」
「は、ハローワーク――!?」
シンの口から、前世の記憶に深く刻まれた、懐かしくも、絶望的な響きを持つ言葉が飛び出した。
――◇お礼とお願い◆――
第17話、お読みいただきありがとうございました!
感動の再会と別れ……からの、まさかの転職エージェント・ゼイド登場! 次回、シンの「英雄譚」は、ハローワークで通用するのか…!?
もし、少しでも「面白い」「続きが気になる」と感じていただけましたら、 下の【★】での応援やフォローをいただけますと幸いです。
また明日の6時30分にお会いしましょう。 Studio_13
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