第18話:『賢者の数式』

ゼイドに連れられ、シンは、自活のための仕事を探しに、王都の公的ギルド「ハローワーク」を訪れた。


「これだけの経歴(英雄譚)があるんだ、すぐに良い仕事が見つかるはずだ」


シンは、まだそう高を括っていた。


「いいか、シン。まずは、その勘違いを正そう」


ハローワークの、活気のない建物を前に、ゼイドは言った。


「俺たちがここに来たのは、良い仕事を探すためじゃない。『悪い仕事』とは何かを、学ぶためだ」


建物の中に入ると、目が死んだ冒険者たちが、力なく求人票を眺めていた。 ゼイドは、ギルドの掲示板に貼られた無数の求人票の中から、数枚を剥ぎ取ると、シンの前に並べる。


「見ろ、この『週休二日制』という言葉。これに騙されるな。これは、『月に一度以上、週に二日の休みがある』という意味でしかなく、毎週二日休める保証はない。本当に毎週休みたいなら、『完全週休二日制』と書かれたものを探せ」


「え……」


「次、これらだ。給与は高く見えるだろう? だが、ここを読め。『月45時間分のみなし残業代を含む』。つまり、給料に、既に45時間分の残業代が込みになっている。こういう企業は、大抵、それ以上のサービス残業を強いてくる」


「そ、そんな……」


「これも同じだ。営業職で給与が高く見えるが、ここには『自爆ノルマ』が存在する。同調圧力で、自分の給与からノルマ分の商品を買う羽目に陥るのがオチだ」


「うぅ……」


ゼイドはシンに心の余裕を与える暇もなく、怒涛の連撃をくらわせる。


「そして、こういう求人には決まって『アットホームな職場』という言葉が添えられている。アットホームとは家族的、家族とは無理を聞いてくれる存在。つまり、サービス残業や休日出勤を、文句も言わずに受け入れる家族(どれい)のことだ。この戦場(ハローワーク)では、甘い考えは全て捨てろ」


シンは、ゼイドの講義に圧倒されながらも、一枚の求人票を見つけ、希望を見出したように彼に見せた。


「こ、これなら僕にも合ってるかもしれません。経理補佐、事務職です」


ゼイドは求人票を一瞥し、深くため息をついた。


「……どうせ、楽そうだという理由で選んだのだろう。言っておくが、事務職は君が想像しているよりもハードだぞ。部署間の板挟みになり、鳴りやまぬ伝令鳥(メッセンジャーバード)の対応に追われ、精神をすり減らす。事務職の本質は、計算能力ではなく、コミュニケーション能力だ。……そして何より、君は、この求人票の最も重要な一文を見落としている」


「重要な、一文?」


「ああ」と、ゼイドは、求人票の隅にある、小さな文字を指さした。


「『お茶くみ』。これは、暗に『女性従業員を募集している』という意味だ。男性の君が応募したところで、鼻で笑われ、書類選考で落とされるだろう」


「…………」


シンは、自分の社会経験の薄さを叩きつけられ、絶望の表情を浮かべた。


ゼイドは休憩室にシンを連れていくと、一杯のコーヒーを差し出す。


シンは絶望した目でコーヒーを眺めていると、ゼイドが口を開く。


「シンよ。何を絶望している。目が負け犬になっているぞ」


「……まけいぬ、か」


シンが自嘲紛いに言うとゼイドは、頭を掻きながら言い放つ。


「本当は、気に入った奴にしか教えないんだがな……。シン、お前に魂の生きざまを変える言霊(ことだま)をくれてやる。今から、思考を反転させろ。……いいか」


ゼイドの表情から、いつもの皮肉の色が消え、真剣な顔になる。


「世の中には、二種類の人間がいる。一つは、『答え』を信仰する者。そして、もう一つは、『式』を学ぼうとする者だ」


ゼイドは、シンの目をまっすぐに見つめて言う。


「『答え』を信仰する者たちは、学校教育で『1+1=2』という絶対の答えだけを教え込まれる。だが、なぜ、そうなるのかといった、その『式』の作り方や成り立ちは教えられない。その結果、彼らは、『2』という答えの島の上でしか、生きられなくなる」


ゼイドは皮肉まがいに続ける。


「景気が良い時は、その『2』の島は豊かで、大きく。誰もがそこで幸せに暮らせると信じているだろう。そして、2の島に入れなかった、いわば社会のレールに外れたものを皆が、軽蔑し、馬鹿にするだろう。……だが、不況という潮が満ちてくると、島は、あっという間に沈んでいく。島の住民は、互いを突き落とし、自分だけは助かろうと、島の中心へと逃げる。そして、溺れていく者たちを『運が悪かった』と見捨てる」


「……」


ゼイドの言葉が、シンの心の傷を抉った。脳裏に、前世の記憶が蘇る。新卒で入った会社を辞めた時、親族たちは彼を馬鹿にした。しかし数年後、恐慌で、その親族たちも職を失うと、「仕方がない」と言って肩を寄せ合い、慰めあっていた。


「だが、『式』を学ぼうとする者は違う」


ゼイドは、シンの目を、まっすぐに見つめて言った。


「彼らは、なぜ『2』の島が存在するのか、その本質を理解しようとする。故に、沈みゆく島にしがみつかず、自分で『1+?=3』という、まだ誰も知らない、新しい『式(海図)』を描き、自らの思考と行動力で『船(ボート)』を作り上げ、誰もたどり着いていない、『3』の島を目指して、船を出すことができる」


「シン。お前は、与えられた答えの島に住む者になるな」


そして、ゼイドは、最後に、力強く告げた。


「――自らが『式』を描き、『答え』を創り出す存在になれ」


シンは、ゼイドの言葉に、ただ、圧倒されていた。


「……で、でも、どうやって」


「いきなり、数式は描けん。まずは、最も単純な図形……点と線を引くことからだ。ついてこい。案の定、ここには良い求人はなかったからな」


ハローワークを出た二人は、より高度な職業が斡旋されている私企業が運営する、魔術師ギルドへと向かった。


そこには「王宮魔術師・見習い」「騎士団・作戦参謀候補」といった、華やかな求人が高給与と共に並んでいた。


「す、すごい! ハローワークとは大違いだ!」


シンが食い入るように求人を眺めていると、ゼイドが、氷のような一言で斬り捨てた。


「はしゃぐな。経験も、専門知識もないお前が、花形の仕事に就けるとでも思っているのか」


「うっ……」


「それと、自分の立場を忘れるな。お前は公式には『生死不明』、世間の噂では『聖女殺し』のお尋ね者だぞ」


「そ、それは……」


「王宮や騎士団のような、身元を徹底的に洗う公的機関が、お前のような男を雇うと本気で思っているのか? 書類で弾かれて終わりだ」


ゼイドの、あまりにも正論な指摘に、シンは完全に言葉を失った。


「じゃ、じゃあ……僕は、どうすれば……」


ゼイドは、求人リストの、誰もが見向きもしない最下層のカテゴリーを指さす。


「『未経験者大歓迎』。ここからだ」


ゼイドが示したのは、「隣国の建設現場」の求人だった。


「いいか。明日から、お前は『賢者の弟子』でも『神童』でもない。ただの、日雇い作業員だ。それが、お前の『本当の再出発』になる。覚悟はいいな? 式を描くため、まずは、真っ直ぐな線が引けるようになってこい」



【コントロールルーム】


「……建設作業員ですか。数ある仕事から、なぜ、この仕事を?」


セラフィムが、モニターを見ながら呟く。


「理由は三つ。一つ、元の世界でも応用が利く。二つ、仕事のイロハが分かる。そして三つ目……これが最も重要だ。……この書類を見ろ」


神楽は、数十枚の羊皮紙の束をセラフィムに渡す。 彼女は、その書類を見て目を見開いた。


「こ、これは……」


「そう、彼がこれまで破壊してきた、舞台セットの損害賠償請求書だ。彼が自らの無双を発揮するために壊してくれた、膨大な建物や機材のな。働くというのなら、少しでも回収せねば勿体ないだろう? 彼の労働力(リソース)が」


セラフィムは、請求書の一番上に記載された項目を指さし、声を震わせた。


「……待ってください。魔術学園の本校舎の破壊費用まで計上されていますが、あれは元々、全壊していましたよね? しかもこの書類形式……このまま経費として、中央(ヘッドオフィス)に提出するつもりですか!」


神楽は、セラフィムからひったくるように書類を取り返すと、悪びれもせずに言った。


「何を言っているのかね? 私はただ、『健全な肉体には健全な魂が宿る』という、教育的観点から、彼に肉体労働を斡旋して……」


「ごまかさないでください! 数字の一桁単位まで、全て記憶しましたからね! 上に提出する際は、私も立ち会いますので、その際はお覚悟を」


神楽は、面倒くさそうに頭を掻きながら、セラフィムから視線を逸らした。


「まあ、見ていろ。私があの仕事を斡旋した、本当の理由が、すぐに分かるだろうからな」


神楽は、モニターに映る、シンの姿と新しい学園の建設予定図を眺めながら、悪魔のように、そして、最高に楽しそうに、笑った。




――◇お礼とお願い◆――


第18話、お読みいただきありがとうございました!


まさかの就職活動編、そしてゼイドの熱い「言霊」。 次回、シンは「日雇い作業員」として、本当の再出発を切ります。


もし、少しでも「面白い」「続きが気になる」と感じていただけましたら、 下の【★】での応援やフォローをいただけますと幸いです。


また明日の6時30分にお会いしましょう。 Studio_13

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