第16話:『愚者の告白』

洞窟の中、揺らめく焚火の光が、二人の顔を照らしていた。 シンの手には、冷たく、そして重い、神剣グラムが握られている。


目の前には、愛する少女、リリーナが、自らの死を懇願して、ひざまずいていた。


世界を救う「英雄」になるための、合理的で、正しい選択。


脳裏に、校長からの取引がよぎる。 これを成し遂げれば、罪は許され、再び、あの栄光の日々に戻れる。


「…………」


シンは、震える腕で、ゆっくりと神剣を振り上げた。 神剣が、聖なる光を放つ。 リリーナが、静かに目を閉じた。


シンは、祈るように死を受け入れた彼女を見つめる。


この剣を振り下ろせば、悪夢は終わる。


呼吸が荒くなり、身体中が震えた。


彼は目を見開き、思考の奥へと堕ちていく。


(振り下ろせば、全て終わる)


(終わる。終わる。……何が終わるんだ?)


(そうだ、この地獄みたいな状況が終わるんだ)


(華やかで、持て囃された学園生活に戻れる)


(全てが満たされていた、あの時に帰れる)


(罪悪感はあるのか? もちろん、ある!)


(だが、リリーナも望んでいる。だから、これは仕方がないことなんだ!)


シンは覚悟を決め、振り上げた神剣を、振り下ろした。


「……ああぁぁぁあ!」


(これで、あの学園生活に戻れるんだ。あの生活に……)


シンの脳裏に、学園生活を謳歌する、数多の映像が浮かび上がる。


称賛の声、尊敬の眼差し。


そして最後に、振り向きながら、満面の笑みを見せるリリーナの姿が映し出された。


『シン様』


その、あまりにも朗らかな声が、鮮明に響いた瞬間。 振り下ろした剣は、彼女の頭上で、ピタリと止まっていた。


「……でき、ない……」


シンは、涙と共に力なく呟くと、神剣を、カラン、と音を立てて地面に落ちた。


神剣の黄金の光が、急速にくすんでいく。


全てを諦めたように、シンはその場に崩れ落ち、子供のように、声を上げ、ただ、ひたすらに泣きじゃくり始めた。


それは、英雄でも、賢者でもない。 ただの一人の、傷ついた子供の叫びだった。


「ごめん……ごめんよぉ、リリーナ! 僕には、僕にはできない……!」


「……シン、様」


リリーナは目を開き、泣きじゃくるシンを見つめる。


「……僕は、僕はね。本当はね、本当はね。神童でも、英雄でもなんでもないんだ。僕は……ぼくは……」


涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、彼は、初めて、この世界で、自分の本当の弱さを吐露し始めた。


「元いた世界では、僕は……誰からも必要とされていない存在だったんだ! 小さい頃は出来のいい兄と比較され、学校でも努力しても何もかもが平凡で……。社会に出ても、要領の悪さから、使えないやつだって何度も言われて……!」


「僕は、生きていても、死んでいるようなもんだったんだ……。誰からも必要とされなくて、誰からも認められなくて! 僕がいても、いなくても、世界は何も変わらない。そんな、そんな価値のない人間だったんだ……!」


「でも、この世界に来て……師匠がいてくれて……君がいてくれて。初めて、自分が必要とされてるって、何かを成し遂げられるかもしれないって、そう思えたんだ。恋も愛も知らなかったし、僕には関係のない話だって思ってたのに、この世界にきて、恋や愛の意味と重さを初めて知ったんだ……」


泣きじゃくるシンを、リリーナは、そっと、そして強く抱きしめた。 彼女は、まるで幼子をあやすかのように、彼の背中を優しく撫でる。


「ぼくは、ぼくは……」


シンはろれつの回らない声で泣き続けていると。

リリーナはさらに優しくも力強く抱きしめた。


「……頑張って、生きてきたんですね」


その言葉を聞いた瞬間、シンの心の最後の堰が、完全に決壊した。


溢れる感情を止める術はなくなり、彼は、リリーナの胸の中で、声を上げて泣き続けた。



【コントロールルーム】


部屋は、水を打ったように静まり返っていた。 スタッフの誰もが、モニターに映る、あまりにも生々しい、脚本(シナリオ)にない魂の交わりに、言葉を失っていた。


セラフィムは、自分のデータパッドに、何も記録することができない。いかなる論理で言語化しても、この光景の前では、稚拙な言葉に成り下がる。そのため記録する術がなかった。


神楽は、ただ、無言で、モニターを見つめている。 その表情は、いつもの不敵な笑みではなく。 静かで、そして、どこか寂しげな表情だった。



【翌朝の洞窟】


泣き疲れて眠っていた二人が、洞窟に差し込む朝日で、目を覚ます。


現実は、何も変わっていない。彼らは、依然として「世界の敵」であり、何の解決策もない。 静かな絶望が、再び二人を包み込もうとした、その時。


一羽の、伝令の鳩が、音もなく洞窟に舞い降り、シンの足元に、小さな羊皮紙の巻物を落とした。 シンが、震える手でそれを開く。そこに書かれていたのは、懐かしい、師の筆跡だった。


『――もし、お主が、全てを捨ててでも、その娘を助けたいと、本気で思うのなら』


『わしのもとへ来るがよい』


その言葉を見たシンの頬を、一筋の涙が伝った。 それは、絶望の涙ではなかった。





――◇お礼とお願い◆――


第16話、お読みいただきありがとうございました。


英雄ではない、ただの「愚者」の告白。そして、リリーナの言葉。 絶望の底で掴んだ、師からの細い糸。次回、シンが新たな一歩を踏み出します。


この「本物の物語」が、もし少しでも皆様の心に届きましたら、 下の【★】での応援やフォローをいただけますと幸いです。


また明日の6時30分にお会いしましょう。 Studio_13

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