第11話 クリル侯爵
貴族たちと話合いを終えると、俺は再びニーヴァ伯爵の接待をしていた。
俺は既に彼をお嬢様の親戚のお客様ではなく、取引先の社長として扱っている。
「どうだ、この辺りだ!!
竜の氏族と決戦前、我が祖先はこの辺りに並び、初代リーリス様の演説を聞いていたそうだ!!」
「おお、ここでですか!!」
「ああ!! そしてこの時、我が祖先は初代リーリス様から家名を賜る栄誉を受ける筈だった!!」
「しかし、初代ニーヴァ子爵はそれを断った!!」
俺達は庭で、はしゃいでいた。
外には暇を持て余した貴族がカードゲームやチェス大会を開いて時間を潰していた。そんな彼らから奇異の眼で見られているが、全く気にならなかった。
「おっほん。『リーリス様、我が家名は我らの敵の断末魔として、その魂に刻まれることでしょう』」
ニーヴァ伯爵が祖先の真似をして見せる。
俺のテンションは爆上りだった。
「か、かっこいい……!! 流石は初代様の血を色濃く受け継ぐ伯爵様でございます!!」
「ふふふ、それほどでもあるがな」
ちなみに、なぜ俺が初代ニーヴァを推すのかと言うと。
「吸血鬼の戦いは異能に左右され、合戦を行って勝敗を決します。
しかし初代ニーヴァ様は少数精鋭の強襲や奇襲で、多くの敵貴族を倒してきました……。
強大な異能での大味な戦いではなく、コンパクトでスタイリッシュな戦闘スタイルで初代リーリス様を支えたのです」
俺はその子孫に熱く語った。
「敵勢力は伯爵階級以上の貴族三部隊での行動が常識にまでなった。アーリィヤ公爵家に与えた戦略的価値は、他の追随を許さなかったことでしょう……」
敵だけでなく、現状を見れば味方すら格上殺しの異能を恐れたのだ。
「伝記の八巻では、初代ニーヴァが睨みを利かせただけで、侯爵級の敵貴族が部隊を動かせず身動きが取れなくなった。
子爵階級が侯爵階級の敵を事実上の行動不能にする、その戦果は当時の月の氏族にとって代えがたいアドバンテージであった筈です」
「くくく、君のように教養のある庶民がいるとは、亡くなったご当主も鼻が高いだろうな」
ニーヴァ伯爵は上機嫌に笑ってそう言った。くくく、俺のヨイショ攻撃も大分効いているようだ……。
いやしかし、実際にスゴイ御方なのだ、彼の祖先は。
だが俺は出来る男なので、探りを入れるのを忘れない。
「……ところで伯爵様、最近のリーチの多発について、どのような所見をお持ちでしょうか?」
「我が騎士団からも、異常だと報告が上がっている」
「騎士団!? まさかあの!?」
「そうとも、我が伯爵領が誇る、
「あの、初代ニーヴァ様と共に奴隷の身分から成り上がったと言う!?」
この奴隷と言うのは、俺が前に言った領民とは違う。
下僕階級は、一応仕事に応じて給料や休日を保証されている。
その代わり職業選択の自由や、他領への引っ越し、貴族との結婚等は存在しない。分かりやすく言えば、“資産”なのだ。その損壊は、巡り巡って公爵家への損になる。
しかし、この場合の奴隷とは、犯罪者、敵の捕虜と言った、人権を保障されていない連中のことである。
初代ニーヴァは無実の罪で、最前線で使い潰される運命にあった。だが、彼はそれを乗り越えたのである!!
それにしても、“
この吸血鬼だからこそ許される厨二ネーム、ラノベっぽくて大好物だ!!
とは言え、伯爵様ほどの貴族がなぜ困窮しているかと思えば、自前の騎士団の維持費か……。
そりゃあカネは掛かるだろう。軍事費用はいつだって金食い虫だ。
と言うか、平和になって何千年も経つのに、
「……ごほん、やはり、異常なのですね」
「うむ、大きな声では言えぬが、やはり、な」
ニーヴァ伯爵は周囲の貴族たちを見やり、そう静かに言った。
戦場を生き抜いた初代の勝負勘は、現代までも受け継がれているらしい。
「伝記の三巻、四章を覚えているかね?」
ッ、そこは!?
「ヨコタよ。『我は虚空の
初代ニーヴァが、初代リーリスに忠誠を誓った際の言葉。
それを伯爵は口にした。
俺は、神妙に頷いて見せた。
「……長く話しすぎてしまったようだ。君も仕事に戻りたまえ」
「ははッ、伯爵様とのお話は望外の幸福でありました」
「うむ」
ニーヴァ伯爵はゆっくりと頷き、こう言った。
「今宵の余興、楽しみにしておるぞ」
角が取れると伯爵は中々にダンディなオヤジであった。
§§§
俺がこのお城を仕事場にして、良かった点のひとつが、大浴場の存在である。
25メートルプールを有に超える広さを持つクソデカ浴場で、お嬢様の入浴の度にお湯を張り替えられる。
これが日本だったら一回の入浴に掛ける水道費に震えそうになるが、公爵家は貴族の中の貴族。そんなの気にしない。
使用人は普段桶に溜めたお湯で身体を拭くだけだが、お嬢様が入浴した際はその残り湯を使わせて頂けるのが恒例であった。
城内で男は俺を含め三人だけなので俺達は女性陣の入浴が終わってからだが、それが気にならない広さなので毎回一時間近く入ったりする。入浴が楽しいのは初めての経験だ。
常夜の世界であるスカーレットガーデンでは、夜とは月が沈んでいる時間のことである。
人間が日の光を受けて身体にエンジンが掛かるように、吸血鬼たちは月の光を浴びている間に活動する。
吸血鬼は闇夜を見通すが、暗闇は決して彼らの味方ではないのだ。
そして、月が沈んでから、吸血鬼は入浴を始める。
城内に集まった貴族たちも同様だ。
メイドや貴族が連れてきたお世話係は、彼らの入浴の際もお世話をする。
勿論、いかがわしい意味ではない。使用人たちはちゃんと服を着ている。
貴族たちの着替えを手伝ったり、背中を流したり、入浴中でも仕事は多い。
最初に女性が入り、程なくして男性が入浴する。
人数が人数なので大忙しだ。
流石に俺は貴族の入浴の補助はしなかった。メインホールの飲み食いの片づけがあったからである。
それも終わり、貴族たちが火照った身体で割り当てられた部屋に戻るのを見て、俺達使用人もようやく風呂に入れる。
おっと、吸血鬼なのに風呂に入るのか、というツッコミは無しだ。それは俺も通った道である。
女性陣が先に入浴に向かって行って、俺らはその後だ。
一応風呂はかけ流しとは言え、今日はあんまり入浴は楽しめ無さそうだ、と思っていると。
「おい、そこのお前」
俺は声の方を向いた。
そこには、見た目12歳くらいの金髪の美少年が居た。
服装が男性用でなければ、美少女でも通りそうである。
「これはこれは、クリル侯爵。何なりとお申し付けください」
俺は恭しく頭を下げてそう言った。
そう、何を隠そう、彼がクリル・ヴリコラ侯爵。
お嬢様の元婚約者である。
彼とお嬢様が結婚するなら、おねショタ愛好家の諸兄の皆様にとってはさぞ眼福な光景が見られたことだろうが、そうはならなかった。そうはならなかったんだよ。
俺は最初、クリル侯爵と聞いて、どんな陰険なクソお貴族様野郎なのか、と想像したが、予想は遥かに斜め上を行った。
だって初代クリルは、ヤバかったんだもん!!
彼の異能、『
この異能によって改造されると、たとえその部分を切り落としても改造された状態で肉体が再生される。
どこぞのスタンドのように、腕が曲がった状態で治る、みたいなもんである。
初代クリルは、これによって敵を嬲る趣味があった。
魔物や獣の手足を付けたり、人体を奇怪なオブジェにして敵の実家に送りつけたり、挙句婚約者を爆弾にして婚約相手の目の前で爆破したり、脳みそをクチュクチュして情報を吐かせたり。
尊厳を破壊しつくされた相手は、殺してくれと叫ぶほどだ。
その残虐性は、主人公陣営でもピカイチだった。
残虐なのがデフォな吸血鬼達でも、そこまでやるか、みたいな反応をされるのが常であった。初代キュリアからも苦言を呈されたほどである。
そんなんだから、彼はトラブルメーカーでもあった。
こいつによって勝った戦いもあるが、こいつの所為で引き起こされた戦いの方が多い、そんなクソ野郎なのだ。
それでも名言が多く、妙な魅力のある存在だった。九巻で退場したけど。
「僕はいつ、湯あみをすればいい?」
「……? もう貴族様が使用する時間は終わっていますが」
この後、使用人が使い終わったらみんなで大掃除をしなければならない。
「違う!! いや、そうか……」
クリル侯爵は、なぜか目を逸らした。
「僕は他の奴らに肌を見せたくないんだ」
「はあ、かしこまりました。何とかしてみます」
そう言うお年頃か、と俺は思った。
……実際は、そんなレベルではなかったが。
この城で男の使用人は数人しか居ない。
そいつらと協力して、城の外にある洗濯用のデカい桶にお湯をいれることに成功した。
子供が入るなら、良い感じだと思う。
「クリル様、粗末なもので申し訳ございませんが、お湯の準備が整いました」
俺はがらんとしたメインホールで退屈そうに待っているクリル侯爵に声を掛ける。
「……お前、リーリスの家令なんだよな?」
「はい、そうですが」
「ならいいか。お前!! 湯あみの手伝いをしろ」
「かしこまりました」
これだから子供はワガママで困る、とその時の俺はそう思っていた。
「……まあいいや、贅沢言うもんじゃないし」
桶風呂を見てこのガキはそんなことを言いやがった。
イラっとしたが、相手は子供(どうせ百歳以上)だと自分に言い聞かせた。
服飾には詳しくないが、多分ダルマティカと呼ばれるタイプのチュニックを脱いで、彼はその上着を俺に放り投げた。着替えは自分でやるらしい。躾がなっていない。
「ああ、お手伝いします」
俺はこのまま見ていては、手伝いもしなかったのか? と言われかねないので、彼の脱衣を手伝うことにした。
「ん、なら早くしろ!!」
クソガキがよぉ……。
俺は笑みを張り付けて、彼の前に立ってベルトを外した。
彼の正面に立って、俺は気づいた。
肌着の、胸部に膨らみがあった。この時は気のせいだと思っていた。鳩胸なのかもしれない、と。
俺は屈んでズボンを下ろし、その下着を脱がすと、ほら可愛らしい男性の象徴と女性のす……じ?
「何を驚いてるんだ。知ってるだろ、うちの家のこと」
硬直している俺に、彼は、いや、彼女? は言った。
「僕は最初、女として産まれたんだ。けどリーリスとの婚約が決まって、男になることになった」
“
あの、『僕はいつ、湯あみをすればいい?』って、そう言うことかよ!!
女顔だと思ってたら、本当に女だったのかよ、吸血鬼は見た目が良いから違和感なかったよ!!
俺は究極のジェンダーレスを目の当たりにしていた。エロ同人界隈の者どもなら狂喜乱舞していただろう。薄い本が厚くなるな!!
「あ、いえ、自らに異能を使用しているなどと、思わなかったので」
メイド長の、異能を使用した結果をって物言いの理由が、今分かった。こいつ女から男になったのかよ!!
俺は『
それは、初代クリルが決して自分には使用しなかったからだ。
この能力の結果は不可逆。自分に使用した場合、元に戻した時に違和感を覚えたら、自己同一性に罅が入る。
だから彼は、怪我をした時にそれを改造して無かったことにするぐらいにしか、自分には使わなかった。過去に一度やらかして、トラウマを負ったからだ。
「僕らは貴族だぞ。子孫を残すのが仕事だよ、その為に何でもするのは当然じゃないか」
だと言うのに、クリル侯爵(性別:クリル)は当たり前のようにそう口にした。
「まあ、僕の
き、貴族って、怖い……。
どっちの生殖器も使えるのかよ(震え声)。
「……失礼しました」
「いい、変なのはわかってる。お前はお前の仕事をしろ」
「……はッ」
俺は己を奮い立たせ、心を殺して公爵家の使用人に徹することにした。
そうでなければ、クリル侯爵に失礼だからだ。
「……しかし、伯爵家や侯爵家の方々の異能は、今の時代実用性が無いと聞きましたから、驚きました」
「僕の場合、時間を掛けてるからね。十年くらいかけて、こんな中途半端な変化しかできてないし」
そう言えば、初代クリルが異能を使用した際に、相手を粘土細工のように弄る描写があった。10年掛けてこれか……。
……待てよ、これじゃあ、今の頻度でリーチにするの、無理じゃね?
どうしよう、第一容疑者が容疑から外れたんだけど……。
貴族にとって使用人は空気みたいなもの。まさか彼、おっとクリル(性別)が空気に向かって嘘を吐く変人ならその限りではないが。
「僕の父さんは、リーリスと婚約が決まって、すぐに霊廟に入った。
“仕事”が終わったからさ」
俺はクリルの身体を布で洗いながら、その言葉を聞いた。
「知ってるかい、二千年前から千年ぐらい前までの暗黒期を。十世代ぐらいの世代が進んだ家もあるくらいだ。みんな、生きてる意味を見出せなかったんだよ」
吸血鬼の価値観は変わらない。
だが、そんな彼らですら、ようやく今の諦念に満ちた価値観に変わったのはここ1000年ぐらいと言うことなのだろう。
「お前達庶民から見れば滑稽に見えるだろうけどね。
なあお前、リーリスの両親、先代とその奥方が戦死したって話、どう思う?」
「ご立派に己の責務を果たした、とお聞きしました」
「それね、僕とリーリスの婚約が決まったすぐ後なんだ」
「……ッ」
俺は、クリルの言葉に息を呑んだ。
「立派、立派ね。あの強大な異能を持つ先代が、リーチ相手に戦死。しかも奥方まで巻き込んで。本当にただの戦死なのかな」
「……」
「その後始末をしたのは、リーリスだった」
吐き捨てるようにクリルは言った。
しかし、すぐにニヒルに笑い出した。
「ねえ、婚約者に婚約破棄を言い渡されて、挙句リーリスはもう居ない。“仕事”をこなせない僕は、何の為に生きてるんだろうね」
これは独り言だ。空気相手に、丁度いいから話しかけている。
少なくとも、俺はクリルに掛ける言葉を持たなかった。
きっと彼も、答えなんて求めていない。
そんな時、無意識だった。
「痛ッ」
古い桶だ。ささくれで俺の手の甲を引っ搔いてしまった。
「あー、もう、なにしてるのさ」
「失礼しました、お気になさらず」
「ほら、手を出しなよ」
クリルは俺の手を取って、傷口をなぞる。
ぞわぞわ、とした感覚と共に、傷口が塞がっていた。
「まあ、こんな大したことない引っ掻き傷ぐらいなら、ね」
「ありがとうございます、クリル様」
「気まぐれだよ、気にするなよ」
そして、クリルは何気なく指先に付いた俺の血を舐めた。
「ッ……リーリス?」
「どうかなされましたか?」
「……いや、気のせいだよ」
クリルは周囲を確認するように視線を彷徨わせたが、もう庭には誰も居ない。
「湯あみはもういい。着替えさせてよ」
「かしこまりました」
俺は乾いた布を用意し、クリルの身体を拭いて、着替えを手伝った後、ようやく風呂に入れた。
風呂場の掃除が終わり、俺はようやくこの日の業務を終えて、眠りに就いた。
お嬢様の通夜まであと二日だった。
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