第9話 各々の苦しみ
一か月とは、中々に短くも長いものだ。
まず城内の面々にお嬢様の訃報を告げた。
「そ、そんな、嘘っすよね!?」
スーロは動揺し、取り乱した。
「や、やっぱり、私に気を使ってくださって無理をしたからッ」
サキュート卿は崩れ落ちて、泣き崩れた。
彼女の同僚の騎士は呆然とし、料理長はコック帽を胸の前に置いて哀悼を示した。
他の使用人も似たようなモノだった。
「一月後に葬儀を行います。皆、来訪される貴族の方々の歓待の準備をします。各員掃除は念入りに、料理長は宴のメニューと準備の方をお願いします」
寡黙な料理長は、メイド長に頷き返した。
彼女は他にも使用人に細々と指示を出し始めた。
「そして、次の当主が決まるまで、ヨコタさんが当主代行として、公務を代行して頂きます。これは妹様のご要望です」
「微力ながら、尽力させていただきます」
俺は謙虚に頭を下げる。
……ちょっと待って、今思ったが俺のポジションって怪しくないか?
ミステリーやサスペンスなら、権力を握る為にお嬢様を消した、みたいな立ち位置じゃね?
幸いそんな娯楽や疑問とは無縁な下級吸血鬼達は、うんうん、と頷いて受け入れた。
……これはこれでちょっと問題な気がする俺だった。
「すみません、ちょっと気分が優れないので、風に当たってきます」
「……わかりました。ヨコタさん、付き添ってあげてください」
「ええ、そうします」
俺は仕事の内容が頭に入っているので、精神が不安定なサキュート卿に付き添うことにした。
「どうか、気に病まないでください、サキュート卿」
「そんなこと無理だと、わかっているでしょう、ヨコタ様」
城外に出て、俺は彼女に声を掛けるが、サキュート卿はすぐに弱音を吐露した。
「お嬢様は私の憧れで、大恩ある御方だったんですよ!!
口数が多い方ではありませんでしたが、その所作の端々からお優しさを感じていました……」
目端に涙を浮かべ、彼女は苦慮の表情でそう言った。
きっと、共に戦いに出陣してからお嬢様の配慮を更に実感していたのだろう。
「だと言うのに!! 私はこの眼の力を得た時、あ、あろうことか、お、お嬢様をッ、こ、殺せるかもしれないとッ!!
……悪魔のようなもう一人の私が、本能が言うのです!!」
俺は言葉を失った。
サキュート卿の苦悩の、ほんの少しも理解できていなかったことを俺は悔やんだ。
「このおぞましい本性に身をゆだねるくらいなら、死んでしまいたいッ。
ああでも、もういいのかもしれませんね……だって、もうお嬢様は居ませんから」
「自棄にならないでください!!」
涙を流しながら壊れたように笑う彼女の肩を、俺は揺すった。
「サキュート卿!! お嬢様はあなたのその、高潔な意思の強さを愛したのではないのですか!!」
「ッ、それは……」
「俺には無責任なことは言えません。あなたの苦痛を変わってあげられることも。
ですが、可能な限り抗うべきです。たとえそれが、時間稼ぎに過ぎないとしても……」
俺だって、時間の問題なのはなんとなく分かるのだ。
サキュート卿が今のままで居られる時間は、もう僅かなのだろう。
「……って……ださい」
「え?」
「今の私の方が、好きだと言ってください……お願いです」
それは、俺から見ても無様な足掻きだった。
彼女の本性も嘲笑っていることだろう。何をそんなに我慢しているのか、と。
「ええ、俺もお嬢様も、スーロや他の使用人の皆も、今のあなたの方が好きですよ。きっと」
だから俺も、無責任なりに付き合うことにした。
それが、彼女の本能を目覚めさせた、俺なりのケジメなのだろう。
「……ありがとうございます。もう少しだけ、頑張ってみます」
意を決したように、サキュート卿は頷いて見せた。
ヤギのようなツノ、ピンク色のブロンド、細長い毛のない尻尾。
騎士服を虐待している豊満な胸部に、タイツからのぞくふとももはムチムチしていて女性的な色香は城内で一番だろう彼女。
だが、それらの容姿の全てや強力な異能を合わせても、彼女の意志の強さよりも魅力的な物はサキュート卿は持ち合わせていないだろう。
俺は、そう思った。
§§§
スーロは単純なので、わんわん大泣きした後、気持ちを切り替えて仕事に戻って行った。
ある意味で強い子である。次にリーチが出た時は自分も戦うと言い出したくらいだ。
俺も家令としての仕事を行う。
葬儀の予算を計上し、その範囲内で色々とやりくりする。
そして、近くの街に出す御触れの文章を作成した。臨時雇いのメイドを募集すること、葬儀が終わる一か月後までを喪に服すようにと。こちらは当主代行の仕事だ。
そうして、御触れを出して数日、二十名ほどの応募があった。
どうやらこうして人員を確保するのは初めてではないらしく、メイド長も全員と顔見知りであるらしかった。
と言うか、ぶっちゃけ、全員メイド長より年上らしく、彼女よりずっとテキパキとよく働いてくれている。
城内が賑やかになる中、俺も食品やワインの発注、臨時メイド達の給料の管理等々、仕事で忙しくなっていった。
だが、心地の良い忙しさである。何より、お嬢様の死を意識せずに没頭できた。
タイムスケジュールを設定し、適材適所に人員を割り振る。
臨時雇いのおばちゃん達(全員俺のお袋よりずっと若々しい)からは働きやすいと評判だった。
そりゃあ効率と言う概念を中世に落っことしてきた吸血鬼の社会じゃあ、現代日本の働き方は改革的であろう。
とは言え、全てが中世レベルではない。
自動筆記の魔法で貴族の方々に出す長々しい手紙をプリントアウト出来るし、コストが掛るので緊急用だが長距離通信も出来る。
中世のフランスとかは排泄物を路上に窓からポイ捨てしていたそうだが、こっちは魔法で一瞬で乾燥し堆肥になる。ここは現代日本を超えている。浄水も同様だ。
あとは物質の劣化を防ぐ魔法とか。お城全体に掛かってるらしい。
それでも5000年の月日は誤魔化せなかったようだが。
そう言えば、異世界転移モノの金字塔となった某ラノベも、どの魔法が一番チートか、となった際に、必ず劣化を防ぐ魔法が候補に挙がるらしい。さもあらんと言うわけだ。
しかしながら、これも元々は人類の技術なんだろうなぁ、と思うと複雑な気分になる。
さて、月下り(夕暮れ頃)の時間になった頃、俺は城内の聖堂を通りかかった。
掃除の状況や備品の確認の為に中に入ると、そこで妹様が祈りを捧げていた。
「ヨコタ様」
邪魔をしては悪いと思って立ち去ろうとしたが、彼女に呼び止められた。
「はい、何でしょう妹様」
「人の氏族から連絡が来ました」
「早いですね」
俺は驚いた。コストが掛ると言う長距離通信魔法でも使ったのだろうか。
「やはり、かの氏族からはリーチ発生の多発は起こってはいないそうです」
やはり、と言うのは、その犯人がうちの領地に居ると言うことなのだろう。ちなみに、うちの、と言うのは侯爵以下の貴族階級の領地は、公爵家が貸し与えたものに過ぎないからだ。
公爵領が実質的な小国と言うのは、そう言うことだ。
「なるほど、下手人はお嬢様の親戚の線が濃厚、と」
「キュリアさんにもそのことを伝えてありますわ」
「分かりました、後で彼女の知見を頼りましょう」
俺はその報告に頷いて見せた。
が、そこで会話は止まった。
「幼い頃のお嬢様は、どのようでしたか?」
苦し紛れにそう言ってから、もっと別の話題は有っただろ、と俺は自分を内心怒鳴りつけた。
「ふふ、こちらにお座りください」
しかし、妹様は微笑んで長椅子に着席を促した。
俺が座ると、隣に彼女も座った。
「私が産まれる頃には、既にお姉様は当主の座に確定していたそうです」
「それはやはり、かの異能が」
「ええ、私は姉のスペア。或いは保険、または政略結婚の弾。そんなところでした」
貴族の次男次女とはそういうモノだとは思うが、改めて当人から語られるとエグイ話だ。
「その上、私の異能は両親が望んだものではありませんでしたから。それは、ある意味幸いでした。
お姉様と同じ異能だったら、私が当主に、と持ち上げる声もあったでしょうから」
貴族社会とはかくも面倒だと、俺はそう思った。
「私はお姉様が羨ましかった。
私の持っていないものを全て持っていましたから。
それを妬んだ頃もありましたが、物心がついてしばらくしてそれも消えました」
「それは、どうして?」
「お姉様の生き方は、窮屈そうでしたから」
なるほど、と俺は思った。
お嬢様は完璧な上流階級の貴族だった。
口数が少ないのも、それは彼女の言葉には責任があるからだ。
婚約も決まっていたと言うし、確かに窮屈だったのだろう。
「妹様は婚約とかされていなかったのですか?」
「勿論、されていましたよ」
ふふ、と口元を隠して彼女は上品に笑う。
「私の嫁ぎ先は氏族の侯爵家でしたが、歳は600歳も上でした。
最近妻を亡くしたばかりでしたから、丁度良かったのでしょう」
「う、うーん……」
貴族は若くして霊廟に入るのが多いと聞いて、俺はその話に引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
実際、領民たちはそれなりに千年の寿命を迎えるケースが多いらしい。彼らには祖先から引き継いだ毎日こなすべき仕事が有るからなのかもしれない。うーん、元社畜として親近感が……。
「でもかの御方は、私が神職になると聞いて、背中を押してくださいました。婚約もあっさりと解除してくれて、正直ホッとしましたわ」
「へぇ、話が分かる人だったんですね」
「まあ。以前の奥様を愛していらしたようなので。私も幼い頃にパーティの席でお顔を拝見したことがありますが、美しく優しそうな方でした」
俺からすれば、吸血鬼は全員美男美女ですけどね!!
「両親はそれに反対しましたが、お姉様は私を肯定して下さりました。
結局、神職になったのは両親が棺桶に入ってからなので、私も神官としてはまだまだなのですけど」
と言うことは、十数年前ってことか。
吸血鬼としてはたしかにまだペーペーだろう。
「……あれ?」
そこまで言って、妹様は何かに気づいたように目を見開いた。
「私ったら、全部自分のことばかり……ああ、そうでした、私はお姉様と遊んだり、下らないお喋りをしたことなんて、無いのでした」
それは……俺は何と言えば良いのか分からなかった。
俺には兄弟は居なかったから、それは良いことなのか悪いことなのか分からない。
小中高の学校に通っていた頃は、同級生は妹が生意気だの、兄貴が優しいだの、色々と兄弟のことを話していた覚えがあるが、その程度だ。
「……ああ、そうだったのですね。
私はもっと、お姉様とおしゃべりしたり、遊んだりしたかったのですわ」
彼女の乾いていた目元が、湿り気を帯びる。
「なのに、お姉様……どうしてッ」
俺は、彼女の手に黒い神器の短剣が握られていることに気づいた。
所有者に確実な復讐を約束する祝福にして、それを遂げた時に持ち主の命を奪う呪われたそれを。
「妹様、それを預からせてください」
勿論、それを俺が持っていても意味はない。
復讐を願った妹様以外にそれは使えないはずだ。神は人間の小賢しい抜け道を許さないだろうから。
「俺は、妹様に死んでほしくはありません」
もし仮に復讐の必要があるなら、それは彼女だけでなく、俺達のものでなければならない筈だ。
少なくとも、俺はその覚悟を決めている。怖くないわけじゃない、だが仲間がいる。
「……ヨコタ様」
彼女は俺を見上げ、ぼうっと俺の顔を見た。
そしてすぐにハッとなってこう言った。
「分かりました。その代わり、私に勇気をください」
俺は、その意味が分からないほど朴念仁ではなかった。
長椅子から立ち上がり、彼女の前に片膝を突く。
妹様はゆっくりと俺に顔を近づけ、そっと襟をはだけさせた。
俺は、目を閉じる。
血を吸われる、その痛みを待つ俺は、だがそれが来ないことに疑問をもって目を開けた。
妹様は、目を見開いていた。
「この、噛み跡は……」
「ああこれは、お嬢様が亡くなられる前の日に」
「お姉様が?」
俺がその言葉を口にした瞬間だった。
――妹様の口元が歪んだ気がした。
「本当にお姉様は、いつも私の先を行っておられるのですから」
くすり、と彼女はどこか自虐的にそう微笑を浮かべた。
「では、上書きです」
妹様は、お嬢様と全く同じところに咬みつかれた。
お嬢様の時と同じ、血を吸われる感覚、血液の喪失感に襲われる。
実の姉を失った妹様は、その喪失感で吸血鬼として覚醒する。
……その認識が大きな間違いだったと俺が知るのは、しばらく経ってからのことだった。
「嗚呼、すごい……」
姉に似た、されど控えめな美少女に、活力が満ちるのが俺にもわかるほどだった。
彼女は公爵階級の吸血鬼。吸血鬼達の支配階級、その頂点。その異能もまた、最強クラス。
彼女の足元の影が自らを覆い、そして沈むように消える。
そして、窓際から何事も無く現れる。影を媒体にした、瞬間移動。
間違いない、この異能は!!
「“
妹様は、己の異能に名付けられたその名を口にした。
それは奇しくも、初代リーリスの姉、他家へ嫁いで嫉妬から妹を恨み、最終巻までライバルとして立ち塞がった吸血鬼と同じ異能だった。
汎用性、効果範囲、射程距離、そして代償らしい代償の無いと言う低燃費さを兼ね備えた、お嬢様とは別ベクトルの……ティア1級の強スキル。
初代リーリスの仲間はこの異能で毎回蹴散らされ、姉と一騎打ちになると言うパターンが定番だった。
この復讐神の神器が無くても有り余るほどの、災害クラスの異能だった。
俺はこの時ようやく、この儚げな少女があのお嬢様の妹だと思い知った。
「――お姉様、分かりました」
目を閉じ、彼女はそう呟いた。
「本当に、ズルいんですから。お姉様は」
目を開けた妹様は、俺がこれまで知る彼女ではなかった。
とろけるような、奈落の闇のように底なしの、妖艶な笑み。
お嬢様のように幼げで、背徳的な、人を虜にする――俺は美しいと思った。
「この人は、私のなのに」
ね? 、と小首を傾げて微笑む少女。
吸い込まれそうだ、と俺は思った時だった。
――その時全身に、一瞬だけ痛みが走った。
それで俺はハッとなった。
「妹様、お戯れを」
「……ふぅ、やはりまだ私は、“妹”なのですね」
彼女は俺の、新しい噛み跡をなぞる。その所作から、艶めかしさが出ていた。
そして、意地悪するようにこう言った。
「もう、お姉様は居ないのに」
「妹様ッ」
「……ッ、すみません。呑まれかけましたわ」
俺の声に、妹様は目を見開いて我に返った。
公爵階級の吸血鬼でさえ、本能には抗いがたいと言うのか。
或いは、だからこそ、なのか。
「ごめんなさい、今のは、私の本心じゃッ」
「分かっています、分かっていますよ……」
怯えるように震える妹様を宥めるように頭を撫でる。
「お願いです、寂しいです……抱きしめて、お姉様、お姉様ッ」
俺は言われるがままに、少しでも彼女の孤独と苦しみが癒えればと抱きしめた。
彼女は少しの間だけ泣いてから、俺から離れた。
「では、俺は仕事に戻ります」
「はい。お引止めしてすみませんでした」
俺は立ち上がり、そう言ってから聖堂を出た。
妹様は笑顔で俺を見送ってくれた。――小悪魔のように、小さく可愛らしい舌をぺろりと出して。
そして各々、苦しみを抱えながら、葬儀の日はやってくる。
俺達の、復讐の日が。
妹様から預かった黒い神器の短剣が、少しだけ熱を持った気がした。
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