第8話 誰が彼女を殺した?




 これは夢だ、と思う夢を明晰夢とか言うらしい。

 なんで俺がそんなことを思い返しているかと言うと。


「ヨコタ」

「はい、お嬢様」


 俺はお嬢様の私室に、彼女と二人きりでいたからだ。

 基本的に彼女の身の回りのお世話はメイド長だ。俺がお嬢様の部屋に呼ばれることも基本的に無い。あの時のお茶会が初めてなくらいだ。


 なのでそんな主人のプライベートルームに、下僕とはいえ立ち入るなんてありえない。


「着替えを手伝って」


 ほら、夢だ。


「かしこまりました」


 俺は頭を下げて、お嬢様に従った。

 お嬢様の後ろに回り込む。


 彼女の絹のような触り心地の髪の毛を寄せ、コルセットを覆う布を外した。

 お嬢様の髪の毛から香水の香りが鼻腔をくすぐる。


 上着のホックを外し、肩が大胆に露出した上着を外した。

 細い彼女の背中の一部が露わになる。

 そのままコルセットを固定する編み紐を一つずつ解いていく。


「御前を失礼します」


 俺は前に回り、コルセットの留め具を外した。

 その解放感からか、お嬢様の吐息が俺の髪に掛かった。

 妙にリアリティのある夢だった。


「……」

「どうしたの、早くして」

「はッ」


 躊躇いつつも、俺はスカートに手を掛けた。

 スカートと、スカートのボリュームを持たせる重ね布を外した。


 お嬢様はコルセットの下の肌着と、ストッキングを吊り下げるガーターベルトのみになった。


 思うわず、息を呑む。

 俺が童貞だからではない!!


 神が造形を行ったような、完全無欠の少女の肢体。

 あの不思議の国のアリスの著者である、ルイス・キャロルが少女の裸体に神秘性を見出した理由がよくわかる。これは筋金入りのロリコンでなくても男の本能を刺激される。

 お嬢様は人間で言うところの十五歳から十七歳程度の見た目だ。実年齢はその二十倍はあるだろうから、きっと合法だろう。喜べロリコンども。


 少なくとも俺はロリコンではないので、着替えを続ける。

 くそ、俺だって神に造形されてるはずなのに!!


 ガーターベルトを外し、ストッキングを外す手伝いをする。

 肉付きの少ない太ももから足先まで、それを左右。

 香水とは違う、ミルクのような匂いまでする。


「汗を吸っているわ、下着も外して」

「はッ」


 俺は後ろに回り、ブラのホッグを外した。

 目を瞑り、ショーツも同様に外した。


「そこにある寝間着を取って」

「かしこまりました」


 お嬢様は完全なる上流階級、着替えは従者が行うもの。

 だからお嬢様も素っ裸なのに羞恥心なんて抱いていない。だから俺も恥ずかしがる訳にはいかない。


 俺はタンスから、ナイトウェアのキャミソールを手に取った。

 胸部以外スケスケだった。うーん、流石貴族の寝巻き。


 俺はお嬢様にキャミソールを着せると、着替えは終わった。

 お嬢様は天蓋付きのキングサイズのいかにも高そうで装飾が色々されているベッドに横たわる。

 いよいよ就寝されるようだ。


「ヨコタ」


 そこで、彼女が俺を再び呼んだ。


「は、何なりと」

「ベッドを温めてくれる?」

「それは……いえ、仰せのままに」


 添い寝しろ、と言うことらしい。

 俺が子供の頃、家に遊びに来た親戚に姪っ子によくやってあげた覚えがあった。


 俺もベッドに横になると、お嬢様は俺の肩に引っ付き、腕を抱くように抱きしめてきた。本来なら触れることすら適わない、高貴で美しいお嬢様が、俺の腕に引っ付いている。

 小さく、薄い。腕に力を込めたら折れてしまいそうだ。


「ヨコタ」

「はい」

「家の者達をお願い」


 それは、どういう意味だろうか。

 それを訪ねる前に俺は眠気が襲ってきた。


 そして、俺は目を閉じた。




 §§§



 朝、はスカーレットガーデンには存在しない。

 起床時刻、と言うべきだろうか。


 俺はだるい体を起こし、目をこすった。


「俺、溜まってんのかなぁ……」


 あんな夢を見るなんて。

 スーロは鼻が利くので、うかつに性欲を処理できないのだ。

 この間はしっかりと洗ったはずなのに、あいつは嗅ぎつけてきたのだ。発情期の犬っころめ!!


 俺は身支度を整えて、さて今日の仕事は、とメモを確認しようとした時だった。


 絹を裂くような悲鳴が聞こえた。

 メイド長だった。


 俺は何事かと声の方に向かって行った。

 この間はゴキブリに悲鳴を上げていた。(スカーレットガーデンにもゴキブリは居るのだ)


「やあ人間君」

「おはようございます、キュリアさん。

 メイド長の声はどちらから?」


 お城は広いので、声が反響して聞こえる。どこから聞こえたのか分からないので、同じく声に反応してきたキュリアさんに尋ねた。


「うーん、どうやらリーリスの部屋みたいだ」


 キュリアさんの眼が淡く輝き、周囲を見渡しそう言った。

 透視の異能を使ったのだろう。


「お嬢様の部屋? まあ確かにお嬢様の部屋にゴキブリが出たらことだな……」

「部屋中が大掃除になるかもね」


 俺とキュリアさんはそんな軽口を叩きつつ、お嬢様の部屋に向かった。


「メイド長、どうしたんですか?」

「まったく、この月上り(早朝)の時間から何事だい」


 俺とキュリアはお嬢様の部屋に辿り着いた。

 本当にこのお城は広い。


「お、お嬢様が……」

「お嬢様がどうしたのですか?」

「リーリスの魔力が感じられない……」

「えッ」


 キュリアさんは、すぐに部屋に入り、お嬢様の眠るベッドに近づいた。


「そんな、バカな……」

「ど、どうしたんですか!!」

「……リーリスから魔力の鼓動が存在しない」


 彼女のただ事ではない様子に、俺が問うとキュリアさんはそう言った。


「完全に、死亡している」

「なんだ大げさな。お嬢様は真祖の吸血鬼ですよ?」


 呆然としているキュリアさんに、俺はそう言った。

 あの伝記の初代リーリスも、全十巻で三回くらい死ぬ死ぬ詐欺をして、その度に復活して見せた。四回目以降はどうせ生きてるだろと周囲は思ってたほどである。


「そうか、人間には魔力を感じる機能は無いのだったね。

 魔力は生命力の根源のひとつ。全ての物体や生物に存在している。

 その中の正と負の魔力、それのバランスによって人体の魔力が成り立っている。

 今のリーリスは、その正の魔力がからっぽなんだ」

「……つまり、どういう事ですか?」

「このままではリーチと化す。この抜け殻を処分する以外方法はない」


 俺は、ようやく事態を理解した。


「ふ、復活、復活は出来ないのですか!!」

「この器にはもう、魂は存在しないよ。君も錬金術の原則は聞いたことはあるだろう?

 人体は、肉体、精神、魂によって成り立っている、と。

 そのうちのどれかが欠損し、手遅れになるまで時間が経過した状態を“死”と呼ぶんだ」


 死。

 お嬢様が、死んでいる。


「う、嘘だ!!」

「私だって信じたくはない!!」


 キュリアさんが狼狽えた俺にそう怒鳴り返した。

 感情的になることの少ない、いつも冷や水を浴びせるようなことを言う彼女が、だ。


「私は千年生きた同胞を何人も解剖したことが有る。

 リーリスの今の状況は、寿命を迎えたヴァンパイアそのものだ」

「そ、そんな、そんなことって」


 メイド長が顔を覆って泣き始めた。


「……原因は? 自然死、で良いんですよね?」


 俺は、他殺ではないのか、と念を押して尋ねる。


「争った形跡もない、着衣に乱れも無いし、遺体に傷や呪いの形跡も無い。

 私からは、寿命が尽きたとしか言えないね」

「それほどまでに、お嬢様は消耗していたってことですか?」

「恐らくは……」


 お嬢様の異能は、最強の異能だ。

 だが、代償が無い訳でもない。


 俺達が動揺していると。


「い、いやあぁぁぁ!!」


 妹様が、現場を見てしまった。

 彼女もキュリアさんと同じ結論に至ったのだろう。悲鳴を上げて、叫んでいた。


「お、落ち着いてください、妹様!!」

「だッ、誰が、誰がお姉様を!!」

「自然死ですッ、それ以外考えられないそうです!!」

「そんな、嘘です!!」


 妹様は、ベッドに近づいてお嬢様の亡骸を揺すった。

 だが、事実は変わらない。


「お姉様、お姉様!! やっと、お近くに居られると思ったのに!!」


 遺骸に縋りつき泣き叫ぶ妹様。

 冷たくなったお嬢様は、何の反応を示さない。


 すると、他の足音も聞こえてきた。


「……とりあえず、他の使用人達にはまだ伝えない方がいいだろうね」


 キュリアさんが言った。

 その意味を、俺は図りかねた。


 だが、俺は反射的にドアを閉めた。

 ドアの向こうから、スーロやサキュート卿の声が聞こえる。


「皆さん、何事っすか!!」

「スーロ!! 仕事に戻れ、命令だ!!」

「え、でもッ」

「お嬢様の命令だ、従え!!」


 俺の怒鳴り声に、分かりました、と声が聞こえた。

 すぐにここから遠ざかる足音が聞こえた。


「キュリアさん、人払いの意味は何なんですか?」

「……いや、私としたことが論理的ではないが、やはり誰かに殺されたのではないか、その可能性に縋りたいのだ」


 それはキュリアさんも、現実を受け入れられていない証左だった。


「……それを判断する方法はあります」


 一瞬、誰の声だか分らなかった。

 妹様だった。


「我が神、リェーサセッタ様に問うのです。

 かの御方は全ての悪を知る、全悪知の女神。

 そして、それにより正しい復讐の機会を与えて下さる御方」

「なるほど、それはいいかもしれない」


 キュリアさんは顎に手を当てて頷いた。


「……もし、本当に下手人が居た場合、どうするのですか、妹様」


 メイド長が顔を上げ、妹様に問うた。


「邪悪と復讐の女神が、正しい復讐の際に神器を授けるのは私も聞き及んでおります。

 ただし、それを使用した場合、次なる復讐を防ぐ為に、復讐者の命を奪い去る、とも」


 俺はメイド長の言葉に絶句した。

 そして、俺は妹様の聖堂で見た聖印のレリーフを思い返した。

 尾を噛む蛇を貫く短剣のレリーフ。それは、復讐の連鎖を終わらせる神、それを表していると言うことか。


「お嬢様亡き今、貴女は一番濃いアーリィヤ公爵家の血筋の持ち主なのですよ!!」

「私はもう、信仰の道に身を投じました。お家には戻れません」

「ですが!!」

「一先ず、お家騒動は脇に置かないかい?」


 妹様に食って掛かるメイド長。

 キュリアさんは二人にそう促した。


「私も本当に、リーリスが自然死なのか知りたい」

「……わかりました。儀式をしましょう」


 妹様は、床に魔法陣を描き始めた。


「その、神様にお願いって、本当に大丈夫なのか?」


 宗教に疎い日本人としては、神様の力に頼るのは何だか縁遠い話だ。

 神の力を借りるなんて、まさにファンタジーって感じだが。


「我らにこのスカーレットガーデンを与えたもうた月の女神ルナティア様、貴方がた人間の女神メアリース、そして邪悪の女神リェーサセッタ様は七大神性とも称される偉大な神々。

 その権能は絶大です。神々にとって、己の司る権能は存在意義そのものですから」


 メイド長は手を組んで、祈りの姿勢のままそう言った。うちの神様は呼び捨てかい。

 しかし、この広いスカーレットガーデンを創造した月の女神と同格なら、心配はないかもしれない。

 スカーレットガーデンは日本列島の半分くらいの広さがあるらしいし。

 ……って、その広さでなにがガーデンやねん。日本は庭くらいに狭いってか!! そうだよ!!


 そうしているうちに、妹様は魔法陣を描き終え、祈祷を始めた。


「――我らに寄り添い給う偉大なる邪悪の女神よ、我が怒り、我が憎しみ、我が悲しみの嘆願を、どうか聞き届け給え――」


 魔法陣が光る。

 そして。


 その中心に、黒い刀身の短剣が現れた。


「ふ、復讐神の神器!?」

「バカな、復讐の神が、復讐対象が存在することを認めただと!?」


 メイド長も、キュリアさんも、その事実に驚愕した。

 論理的根拠では、犯人など居ない。

 だが、あらゆる悪を知る神は、復讐の対象は存在すると、妹様の復讐の正当性を認めたのだ。


「だ、誰です、リェーサセッタ様!!

 教えてくださいッ、いったい誰がッ!!」


 妹様の叫び声。

 しかし、神はそれに答えない。

 ただ、冷たい刃がそこに在るだけだった。


「……私は、恐ろしい事実に気づいてしまったかもしれない」

「どういうことですか?」

「リーリスは間違いなく、自然死だ。

 だが、こうは考えられないか? 彼女は自らが死亡するまで消耗した、それは彼女を死に追いやったことになると考えられないか?」


 俺達は、キュリアさんの考察に息を呑んだ。


「つまり、リーチの多発には、誰かが糸を引いていると?」

「そう考えるのが自然だろう」


 俺は頭が沸騰しそうだった。

 お嬢様には、色々と恩がある。顔を合わせる機会は皆に比べて少なかったが、上司としては俺がこれまで出会ってきたクソ上司たちよりも何百倍、何千倍も良い人だった。


「だが、それを考える前に、低い可能性を潰して回りたい」

「それは、どういうことでしょう?」


 キュリアさんの言葉に、メイド長が尋ねる。


「この城内に、下手人が居る可能性だ」

「キュリアさん!!」

「言いたいことは分かる。しかし、これは簡単に判別できるはずだ」


 俺は彼女の物言いに、思わずカッとなってしまった。

 だが、キュリアさんは冷静に、魔法陣の中心から黒い短剣を手に取った。


「これは、復讐の神の神器。

 つまり、決して復讐対象以外に、刃が突き刺さることはない。

 間違った相手を殺してしまえば、彼女の権能に傷が付く」

「な、なるほど……」

「少なくとも、身内を信頼するぐらいには使ってもいい筈だ」


 そう言って、妹様に神器の短剣を渡すキュリアさん。


「……で、では、始めます」

「第一発見者は私です。私からするべきです」


 短剣を持つお嬢様の手が震えている。メイド長が手を上げそう言った。


「……すみません、バーメイ」

「いいえ、お家の為ですから」


 妹様は、短剣を振り上げメイド長の顔に向けて刺突した。

 だが、短剣は勢いよく振り降ろされた筈なのに、彼女の額の薄皮一枚すら貫けなかった。


「これが、神器……」


 まさしく、神の与えた奇跡の道具としか言えなかった。


「ヨコタ様」

「ああ、頼む」


 当然、俺に刺さるわけもない。

 実は俺が犯人で、俺視点で描かれる叙述トリックとか、そんなオチとかあるわけない。


「キュリアさん」

「どうぞ、やってみたまえ」


 キュリアさんにも、刺さらない。

 俺達はホッと息を吐いた。



 その後、スーロ、サキュート卿、料理長たち四人の使用人や騎士に神器の短剣を突き刺した。

 結果、誰もにも突き刺さらなかった。


「次に怪しいのは誰でしょうか」


 お嬢様の死体を確認した俺たち四人は、再びこっそり集まって会議を始めた。


 開口一番に、メイド長が言った。その顔には、お嬢様を追い詰めた犯人への怒りで満ちていた。


「では、リーチを人為的に発生させる、と言う点に目を付けよう。

 まずこれは領民たちは除外される。彼らにそんな知識は無いからだ」


 キュリアさんはそう語った。

 文化の発展にはまず、庶民の教育水準が絶対必要だ。


 だがここの公爵領に学校なんてモノはない。

 なぜなら、庶民を教育するなんて必要はないからだ。最低限、文字だけ読めて御触れの内容を理解できれば良い。


「で、でも、そうなると、次に怪しいのはッ」

「ああ、我々、月の氏族の者達になるだろうね」


 妹様の身体が震える。

 それはつまり、親戚一同を怪しめ、と言っているのだ。

 だが、他に候補者はいない。範囲を広げれば他の公爵家の領内になるが、それはスカーレットガーデン全域と言うのと同じだ。


「どの道、リーリスの訃報を報じなければならない。

 その際に、爵位持ちの貴族も葬儀に参加せざるを得ない。

 必然的に彼らはここに集まるしかないのだよ」


 本当に、キュリアさんの頭脳と冷静さは頼りになる。

 冷徹だが情が無い訳でもない。普段からこうなら良いのに。


「では、葬儀の御触れと準備、氏族の方々の歓待に領民から人員を募らなければなりません」

「大体一か月もあればいいだろうね」


 メイド長とキュリアさんが、これからの計画を練り始める。


 一か月、か。日本なら身内に死者が出れば三日以内に葬儀だが、吸血鬼たちにはそれでも十分早いのだろう。


 領民をバイトで雇うのなら、それの管理は俺の領分だ。

 俺はメイド長と相談をしながら、計画を練っていく。


 俺達四人の、復讐計画を。




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