第2話 街道にて
陽の光がまだ白く、朝と昼の境目に揺れていた。
路肩の草は腰のあたりの高さまで伸び、風が通るたび、波のように起伏する。
人の手が入らなくなって久しいのか、獣道を少しマシにした程度の街道はたびたび草が脇から飛び出している。
ララカはいちいち草をわさわさ触っては、「ふひひ」と声を漏らす。
村の外に出るのは、ほとんど初めてなのだ。――草の匂いが違う。風の味も違う。
そう思うと、胸の奥がむずむずして、笑いがこみ上げる。
一方のイチガは、黙々と歩く。
ララカから押し付けられた荷袋には、干し肉と水筒、薄手の布団と簡単な着替え、あとは村中からの護符が沢山。
それを確かめるように触りながら、時折空を仰ぐ。雲の影が大地をなぞるたび、遠くの丘に点々と現れては消えていく。
すると、前方から女性が一人、血相を変えて駆けてきた。
「た、たすけ、て」
声も絶え絶えに叫ぶ女性。その影から出てくるガラの悪い男たち。
「イチガぁ…助ける? ってもう行ってるぅ!」
風より早いイチガの一撃が男たちの鳩尾に、うなじに入っていく。
一撃を食らって動けなくなっていく巨漢たち。
あとを追ってきた仲間らしき男は、何が起こったのか事態がつかめていない。
「ねー? この女の人が悪い人って線もあるんだからさぁ? ってやっぱ、そうなのかよッ!」
女に後ろから組み伏され、自由を奪われるララカ。首に太い針を突きつけられる。
「い、良い? 近づいたら……恋人、殺しちゃうわよ?」
「恋人、じゃない」
スタスタ二人へ近づいていくイチガ。
焦る女。
「じゃ、じゃあ大事な奥さん? 」
イチガの足音が止まる。
次の瞬間、ララカのおでこをフワリとさする。
「大事、ではあるが」
――音が遅れて届いた。
気づけば、女の針は宙を舞い、イチガの手の中に収まっている。
針を失った自分の手と、イチガの手元を見比べる女。
「奥さん、でもない」
イチガは淡々と告げ、針を女の目玉へ向ける。
女は「ひっ」と声を上げながら、両手を上げて降伏のポーズをとる。
ララカへ下がっていろ、の合図をし、呻き声を上げている仲間を回収しようと、そろりそろりと動いていた男に声を掛けるイチガ。
「この女、何をした?」
「……うるせぇ、お前にやるよ」
「要らん。お前らにもこの針を使われたくなきゃあ、正直に言え」
先ほどの早業以上をされては、いよいよ殺されてしまう、そう察した男たちはしおらしく語りだした。
***
「この女の旦那、借金放りだして逃げちまったもんで。仕方なくコイツを奴隷商人に…」
「んで? なんで私が襲われるの?」
小高い丘から遠巻きに見守っていたララカが声を張り上げた。この声に女がか細い声をあげる。
「……スミマセン、お二人の…お二人の路銀で借金を賄えないかと、咄嗟の判断で」
「わーお!! 怖ーい」
もはや観客気分のララカは、自分には無関係、と言う声を上げる。
これにため息をついたイチガ。
「おい、借金取り。借金って幾らなんだ?」
「ご、5千リジュールほど」
両手を上げていた女が、必死で抗議する。
「ウソよ! そんなに無かった! せいぜい3千リジュール」
「うっるせえ! 利息ってモンがあんだよ! 無学は黙ってろぉ」
「む、無学じゃないわ。 ちゃんと針子の腕はある」
これを黙って聞いていたイチガが口を開く。
「……アンタの、稼ぎ口。旦那以外に、あるんだな?」
突然の問いかけに、女は少し躊躇しつつも肯定した。
「ある! 誰より綺麗な刺繍を、誰より早く打てるわ」
これを聞いたイチガが持ちかけた。
「なあ、この女、売ってくれないか? そいつらの治療費に、色をつけて4千。このまま手ブラで帰るより、ずっと良い話だと思うんだが。どうだ?」
男たちは目を泳がせ、女はイチガの顔をまじまじと見つめた。
***
「り、利息ってモンを、よう?」
わなわなと拳を握る男に、先ほど鳩尾を撃たれて肩を貸してもらっていた男が声を掛けた。
「なあ。この際それで、手を打とうぜ。あのニイチャンが本気になりゃ俺達なんか簡単に身ぐるみ剥がされちまう。なんならそのまんま、お陀仏でもおかしくネェ…有難いことに、見逃してくれて、かつ金もくれるってんだ。ここは乗っとこうぜ」
どうやら仲間の声が効いたらしく、大人しく金を受け取る男。
受け取った金を数えて確認する事もなく、仲間を連れて林の影へ隠れていく。
どうやらこの辺に根城があるようだった。
はーーーーー!っと息を吐いたイチガ。
早くも大金が出て行った、心許ない財布を眺めていると、目をキラキラさせた女に腕を掴まれた。
「ありがとう、ございました!」
「イエ」
「ねー? 成り行き上、だよねー?」
丘から降りてきて、イチガの肩を叩くララカ。
しかし女に腕を離してもらえず、イチガは動けない。
「あの! 刺繍、たくさん作ってお返ししますので!」
「……別に、お返しとか…」
「いえ! 命の恩人、ですし!」
やがて歩きはじめる3人。イチガの腕にまとわりつく胸の肉が、彼の思考を邪魔する。
(振り払えないの、なんでだ?)
***
その様子を眺めていたララカ。おずおずと声を上げた。
「あのぉ、お姉さん? そいつ、村一番のピュアボーイなんで…」
「あら? そうなのぉ?」
「ピュア、ってなんだ?」
「いや、だからね? あんまり」
「……だって、貴方たち、恋人でも夫婦でも無いのよね? なら私にも可能性あるんじゃない?」
イチガとララカに、衝撃が走る。そんな発想があるとはッ!
「新婚ホヤホヤで旦那に逃げられちゃったケドぉ、こんなにいい男と知り合えるなんて!」
「…タスケテ、ララカ…」
まるで子犬のように濡れた目をララカへ投げるイチガ。
しかしララカの目は合わない。
「け、経験豊富なお姉さんに…色々習って……」
村長の娘として大事に育てられたララカ。知識はあるが実戦経験は無いに等しい。
それに対して、イチガにガンガン迫る女――名前をエリンと言っていた。
彼女は向かっている渓谷の向こうの街の出身で、案内してくれると言う。
(そこって……旅人から咄嗟に路銀を奪おうって発想になる人が、うようよ居るような場所なのかしら?)
足元がおぼつかないイチガを他所に、目的地の街ケイクオウルへ思いを馳せるララカ。
――ララカの、婿探しの旅は始まったばかり。
――イチガの、言葉以上の想いを探す旅も、始まったばかり。
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