第17話
諮問委員会の初会合は、学園の体育館を使った公開形式で行われた。壇上には学生代表、教員代表、保護者代表、外部有識者、そしてエレノアが並び、傍聴席には関心を寄せる生徒や地域の人々が集まった。空気は緊張と期待が混ざり合っていた。
議題は単純だが重い。「学園モデルの全国展開を承認するか、その条件は何か」──言葉は短いが、そこに含まれる意味は広かった。議論が始まると、会場のあちこちから意見が噴き出した。短期的な財政支援を求める声、学園の価値を守るための厳格な制約を求める声、そして実践者としての学生たちから出る運用上の細やかな懸念。エレノアはひとつずつの発言をひたすら書き留め、問いを磨いていった。
学生代表の言葉が静かに会場を動かす。「私たちが一番恐れているのは、自分たちの意思が抜き取られることです。外部の支援が来るとき、私たちが『どうやって関わるか』を最初に決めたい」
その言葉に、会場は深い頷きを返した。エレノアは胸が熱くなるのを感じた。設計者としての責務が変わりつつある。主体は彼女ではなく、この場にいる人々だという事実が、決定の重心を移していくのを感じた。
外部有識者は制度設計の観点から具体案を示す。「段階的導入、第三者監査、合意形成のための透明な投票機構、そして成果の定義を『定量』と『定性』で二軸に分けるべきだ」
教員代表は実務上の懸念を上げる。「日常の教育負荷を増やさず、外部と連携しても教員の裁量が守られる運用を担保してほしい」
保護者からは、子どもの安全やプライバシーを最優先にする強い求めが示された。
議論は白熱し、時間をかけて合意点が積み上げられていく。エレノアは自分が提案してきた原則が、ここで実際に制度へと昇華していくのを見届ける。彼女は口を挟むことを控え、必要なときにだけ論点を整理して差し出した。設計者としての手を引き、場の自己組織化を優先する──それが今の彼女の役割になっていた。
最終的に諮問委員会は、条件付きの承認を出した。主な骨子は次のとおりだった。
- 段階的展開と試験区の限定。
- 学園主導の第三者監査を年二回実施。
- 学生評議会が運用の「拒否権」と「修正権」を持つこと。
- 成果評価は定量・定性の両面で行い、外部公開は学園アーカイブへのリンクを必須化する。
合意文書に署名が行われると、会場からはざわめきと安堵が同時に湧いた。承認は勝利ではなく、次の責務の始まりである。エレノアは席を立ち、窓の外にある校庭を見渡した。子どもたちが放課後の時間を過ごす姿が、彼女の胸に安定した手応えを与える。
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その夜、仲間たちとささやかな祝杯をあげる。セシルが淡々と杯を掲げる。「承認は得た。だが今からが正念場だ。実行で失敗すれば、全てが信用を失う」
ルカは笑顔で応える。「僕らは現場の声を出し続ける。実行段階でこそ、当事者が一番強く関わるべきだ」
ミラは目を潤ませながら言った。「こんなにたくさんの人と一緒に考えられたのが嬉しい。私、もっと色々やりたいです」
エレノアは静かに杯を合わせる。祝杯の味は甘く、だが後味には緊張が残る。合意の重みを噛み締めながら、彼女は自分たちに課せられた監督と支援の役割を改めて受け止めた。
数日後、試験区として選ばれた地域2校との協議が始まる。準備は慎重に進められ、学園側のチームは運用ガイドラインを手に現地入りした。初回ワークショップは学園の学生が主体となり、地域の教員と共同で進められた。現地の小さな町会議室に集まった子どもたちの目は純粋で、彼らの反応は学園での試行で得たものと同じ種類の温度を持っていた。
だが実施後、思わぬ課題が出てくる。地域ごとの文化的背景、教員のリソース差、保護者の受け止め方‒‒一律のプログラムではカバーできない繊細な差異が現場に現れたのだ。エレノアは学園で積んだ手順をそのまま押し付けるのではなく、まず現地の「聴取と同化」のプロセスを重視する方針を採った。ワークショップは短期的な実施で終わらず、現地での共同編集フェーズを設け、地域の声を反映したカスタマイズを行った。
現場での反応はじっくりと変わった。すぐに広がる成果を求める声もあるが、学園側は「持続する小さな成果」を優先した。外部資本やパートナーは最初の段階で、その方針に従い、短期的なPRよりも長期的な伴走を約束するよう契約に明記された。だが約束は契約上の言葉であり、現場での実行は人の積み重ねが必要だ。エレノアとチームは朝から晩まで現地と往復し、編集と再設計を繰り返した。
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そんな折、学園内部に、新しい動きが生まれた。学生たちが自発的に「共有アーカイブ」の運用チームを立ち上げ、外部発信の一次チェックと、現場の言葉の文脈化を担うことを申し出たのだ。彼らはITスキルと現場経験を組み合わせ、投稿前の簡潔なコンテクスト注記を自動生成するプロトタイプを提示した。
「私たちが主体になることで、判断が速くなる」
学生たちの声には誇りがあった。エレノアは目を細める。設計者としての役割の一部が、自然に次世代へと移行している瞬間がそこにあった。彼女は彼らに運用の最初の権限を与え、学園は形式ではなく実践で「当事者主導」を試すことにした。
夜、屋上で一人、エレノアは静かにノートを開いた。これまで幾度となく波を受け止め、反省し、制度を磨いてきた。だが一つだけ変わらない念頭がある――場を作る者は、いつも「場の変化」に対して脆弱でなければならない。変化に柔軟で、同時に責任を取ること。彼女はその矛盾を自分の胸に抱え続ける覚悟を新たにした。
窓の外、遠くの街灯がゆっくりと瞬く。春はまだ遠いが、学園の中では確かな地歩が生まれつつある。エレノアはペンを置き、翌朝からの長い日々を思って眠りについた。
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