第14話
秋の風が校庭の木々をそっと撫で、葉の色が少しずつ深まっていく。学園は授業と並行して、新しい運営体制の整備に追われていた。外部との協働は限定的に進み、学生評議会の権限拡大、教員の負担軽減策、教材ローカライズのためのワークショップ──エレノアはその中心に立ち、日々細かな修正を重ねている。だが、表面が平穏でも裂け目の縁はまだ揺れていた。
ある午後、エレノアは図書室で教務の書類に目を通していると、控えめなノックが聞こえた。扉の隙間から顔を出したのは、ライラ・ド・マルシェだった。装いは一段と洗練され、いつもの自信に満ちた笑みがあったが、目はどこか真剣だった。
「エレノア。少し話がしたくて」
「来て。席を遠慮なく使って」
二人は窓際の机に向き合った。ライラが手に持つ書類は、リサーチ報告風に整えられている。
「文化祭の件では……私も色々考えたの。短期的に注目を集めるだけでは意味がないと分かったわ。あなたのやり方には、守るべき美点がある」
ライラは素直にそう言った。エレノアは少し驚きながらも、慎重に相手の意図を探る。
「協働を申し出たいの?」
「ええ。ただし、条件がある。私のファン層を学園の活動に組み込みたい。名を借りた支援と、持続的な参加を同時に作る方法を提示できる」
ライラの要求は明快だった。だが裏には、自分の支持基盤を失いたくないという計算と、真摯に場を守りたいという意志の混在がある。
エレノアはしばらく黙って考えた。外部資本の導入時と同じく、合意は条件付きでなければ意味を成さない。
「受けるわ。ただしルールを守ること」
彼女は短く答えた。「学園の主導権は揺らがない。参加は任意であり、当事者の声が絶対になること。あなたの支援は、学園の価値を損なわない範囲で行われるなら歓迎する」
ライラは微笑んだが、その笑みの端に一抹の覚悟が見えた。「分かった。条件をのむわ」
だが、協働の申し入れが表面化すると、反対の声も生まれた。ある保護者団体が「名声目的の介入ではないか」と懸念を表明し、教員の一部には「外部勢力の影響が学園内の均衡を乱す」といった不安が広がった。裂け目は完全には閉じられていない。エレノアは再び対話の場を増やし、透明性を徹底する方針を示した。
その矢先、予期せぬ出来事が起きる。運用中の一部ワークショップで、外部提供の教材を受け取った別校の視察団が、無断で一部コンテンツを商用プロジェクトに使用していることが発覚したのだ。情報は瞬く間に学園内外で拡散され、かつての炎上の残響が心配される局面となる。
「やはり拡張は危険だ」
幾人かの声が高まり、教員会議は緊迫した空気に包まれた。エレノアは冷静だったが、胸中は穏やかではない。彼女はすぐに事実確認と被害状況の把握を指示した。ユーディとルカが中心になってログの追跡を進め、どのように無断利用が発生したかを洗い出す。
調査の結果、無断利用は視察団側の運用ミスと認識不足が重なったもので、故意の盗用ではないことが判明した。だが、結果として学園の取り組みが「商品化され得る」という懸念を再燃させたのは事実だ。保護者や地域メディアは厳しい目を向け、学園は再度説明を迫られる。
エレノアは公開の場で謝意と説明を行った。学園は教材の受け渡しに関する運用プロトコルを即時強化し、ライセンス管理や研修の必須化を打ち出した。また、外部と共有する際の契約類を一つずつ見直す作業を開始した。
「私たちは完璧ではない」
エレノアは広場の小さな集会で言った。「だが学び続ける。揺らぎを認めて、改善することが私たちの責任です」
集会に参加した学生たちの顔が真剣だった。ミラは前に立ち、小さな声で続けた。「私たちの場を守るために、皆でルールを作りましょう。私も手伝います」
問題は収束の方向へ向かうが、傷の痕跡は残る。エレノアは夜、窓辺でノートを開き刻々と増える修正事項を整理した。その紙片の山の中に、彼女は一枚の匿名の手紙を見つける。差出人は書かれていないが、内容は赤裸々だった。
「あなたは上手くやった。でも覚えておきなさい。場を作る者はいつか場に責任を取らされる」
文面は冷たかった。エレノアは一瞬だけ胸が締め付けられるのを感じた。だが同時に、彼女は学園の声を思い出す。ボランティア代表の声、迷子を助けた学生の笑顔、ミラの小さなカード――それらは匿名の脅しより重い。
翌日、学園評議会でエレノアは率直にその手紙のことを話題に出した。「誰が責任を取るのか、という問いは正しい。私たちが場をつくるなら、責任を持って守ることを約束しなければならない。だからこそ、ルールと透明性を強化する」
その言葉に頷く者が多かった。裂け目の縁で揺れていたものが、少しずつ均衡を取り戻していく。
同じ日、ライラが学園の小さなプロジェクト報告会に姿を見せた。彼女は表舞台ではなく、静かに座って耳を傾ける側に回った。終わった後、エレノアは彼女に近づき、小さな声で訊ねた。
「協働の条件、守れてる?」
ライラは微かに笑って答えた。「ええ。学園の言葉を借りて、私の支持層にも伝えます。名声を利用するのではなく、場を育てるために」
二人は握手を交わした。握手は劇的な和解ではない。だが、それは互いの限界と責任を認め合う小さな合意だった。
夜、学園は静まり返り、エレノアは一人で屋上を歩いた。風は冷たくなり、遠くの街灯が穏やかに瞬く。彼女はノートのページに一行を書き留める。
「場は作るだけで終わらない。守るために、選び、削り、時に妥協する。それでも、人々の選択がそこに息づく限り、価値は消えない」
裂け目は完全には消えない。だが縁で踏みとどまる人々の数が増えれば、次に来る波は少し弱くなるだろう。エレノアはそう信じ、小さな灯りを一つ、学園の中に灯し続ける決意を新たにした。
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