第11話

学園は徐々に日常を取り戻していた。授業が通常通りに戻り、廊下には生徒たちの笑い声が戻ってくる。掲示板に貼られた学園長の声明と議事録は、噂に確かな枠を与え、無秩序な断定を抑える効果を生んだ。だが完全な沈静化には時間が必要だった。エレノアは控室でいつものようにノートを開き、今日の授業の準備と並行して、先の対策案を練っていた。


「データは安定してきました」

ユーディが淡々と報告する。掲示板のトーンは軟化し、現地参加者のポジティブな投稿が割合を伸ばしている。だが、外部のメディアはいまだに興味を失っておらず、学園の対応が次の材料になる可能性は残っていた。


「外部の注目を長引かせたくない」

エレノアは短く言った。「だからこそ、学園内での自律的な取り組みを増やす。外からの解釈に振り回されない『当事者の声』を育てていきたい」


その日の放課後、エレノアはミラと約束した場所で会った。二人は広場の端にある古いベンチに座り、文化祭の後に始めた小さな活動について話し合う。ミラは最近、地域の子ども向けワークショップに参加するボランティア活動を自主的に企画していた。


「小さな子たちに紙芝居を読んだら、すごく喜んでくれて」

ミラは目を輝かせる。「私、もっといろんな人と関われたらいいなって思ってます」

「いい動きね。あなたが自然にやったことが、人を動かしたの。あれは偽物じゃない」

エレノアは静かに言う。言葉は少ないが、重みがある。


ミラは少し躊躇してから、ポケットから一枚の小さなカードを取り出した。そこには今日のワークショップで手伝った子どもたちの名前と、それぞれからの「ありがとう」が書かれている。ミラの文字は相変わらず丸く、温かかった。


「これ、エレノア様にも見てほしくて。皆が喜んでくれたの」

エレノアはそのカードを受け取り、じっと見つめた。数字やデータで示す以上に、こうした実感の積み重ねこそが場を支えると、彼女は改めて確信する。


翌週、学園では「参加を促すためのガイドライン」が正式に導入され、今後の行事運営における透明性と参加者の自律性が明文化された。エレノアは委員の一員として提案の一部をまとめ、ユーディと共に説明会を行った。教員たちからは一定の評価を受け、学生自治会とも意見交換が進む。


「規則ではなく、原則を示すこと」

エレノアは説明会で繰り返した。「参加を強制しないこと。誘導はするが、選択肢を残すこと。誤解が生じた場合は速やかに説明すること」

教員の一人が頷きながら質問する。「だが、表現の工夫と参加の誘導をどう線引きするかが難しいのでは?」

「線引きは難しいけれど、常に当事者の声を最優先にすることで判断基準は見えてくるはずです」

エレノアの答えは端的で、実務的だった。


学園外では、フリーライターの件に関する記事がいくつか出たが、学園側の丁寧な公開が功を奏してセンセーショナルな展開は抑えられた。外部メディアの中には事態を冷静に報じるものもあり、エレノアはその動きが学園の修復を助けていることを感じた。


ある夕暮れ、セシルが控室に顔を出した。彼はいつもどおり冷静だが、どこか柔らかい表情を見せる。


「最近、君のところのブースが学園内で評判だ。人が集まっている」

「ありがとう。数字よりも大事なのは、ここにいる人たちが続けたいと思えるかどうかよ」

セシルは少し間を置き、ぽつりと言った。「君は変わった。最初は数字を動かすことが中心だった。だが今回は、場を守ることを覚えた」

エレノアは軽く笑った。「変わった、かもしれないわね。でも私はまだ設計者。次は持続性をどう担保するかが課題よ」


その夜、エレノアはノートに次の計画を書き込んだ。学園内での「小さな居場所」プロジェクトを正式に拡大し、各クラスや部活動と連携して自主運営の仕組みを構築する案だ。自律性を持った複数の小さな場が連なれば、外部からの揺さぶりにも強くなる。だがその実現には時間がかかる。人的リソースの確保、継続的なモニタリング、そして参加者の安心感を保つための支援体制が必要だった。


数週間後、プロジェクトの試験運用が始まった。エレノアは各ブースに回り、参加者に簡単なフィードバックを求める。多くの生徒が素直に経験を語り、改善点を提案した。エレノアはメモを取りながら、現場で育つ言葉の重みを噛み締める。


ある日、図書室で学園長が呼び止めた。彼は会議で見せた落ち着いた表情のまま、エレノアに小さな封筒を差し出す。


「学園からの正式な感謝の意だ。君とそのチームの働きに対して、学校として表彰を検討している」

エレノアは驚きと照れを交えた顔で封筒を受け取る。「恐縮です。皆んなの力です」

学園長は微笑んだ。「だが、これは君個人の手腕でもある。学園は君が作り出した変化を評価したい」


帰り道、エレノアはミラと一緒に歩いた。街灯が並ぶ帰り道、二人とも言葉少なに歩いたが、その沈黙はぎこちないものではなかった。ミラがふと口を開く。


「エレノア様、これからも一緒にやってくれますか? 私、もっと人と関わることを続けたいんです」

「もちろんよ。あなたの純粋さがあるから、場は続けられるの」

ミラは嬉しそうに跳ね、エレノアは小さく笑う。二人の足取りは、文化祭の喧騒が遠い過去になりつつあることを示していた。


だがエレノアは心の片隅に、次の不確定要素を感じていた。学園内での取り組みは軌道に乗りつつあるが、外部との関係、メディアの影響、そして人的な摩擦はいつまた予想外の波を作るか分からない。だからこそ、彼女は備えを続ける。学園を守るためのネットワークを広げ、説明責任を果たし、何よりも当事者の声を常に最優先にすることを自らに誓った。


夜、ベッドに入る前にエレノアはノートの最後の行に小さな一文を加えた。


「場を設計する者は、守る者にもなる」

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