第10話
学園の朝は静かな緊張で満ちていた。掲示板の説明文が校内のあちこちに貼られ、教室では友人同士が小声で情報を交換している。エレノアは控室でユーディと最終確認をしていた。調査委員会の動き、弁護士との連携、外部記者への追及プラン。どれも慎重に組み上げられた手順だ。
「今日、こちらから『事実関係の確認』の場を公開で設けます」
ユーディは静かに報告する。「学園長の了承は得ています。外部メディアの立ち合いも一部認められました。目的は一つ。誤解を減らし、根拠のない断定を抑えることです」
エレノアは頷いた。彼女が望むのは責め合いでも制裁でもなく、事実の露呈とそこから生まれる再構築だ。噂の当事者たちが顔を合わせ、論点を整理し、学園側の記録をもとに時間軸を確定する。透明性を示すことが、失われた信頼を回復する最短の道だと考えていた。
午前の会場には学園関係者と数名の外部記者、弁護士、そしてユーディやセシル、ボランティア代表が控えとして出席した。フリーライターも呼び出され、彼は落ち着いた表情で席についた。ライラは出席しなかった。本人は「外部の騒ぎに学園が過剰反応している」と述べているという伝聞だけが回る。
会は学園長の短い開会の言葉で始まり、時系列に沿った資料の提示が行われた。掲示板への投稿タイムライン、現地での参加登録データ、ボランティアの証言、カフェの出入り記録、技術解析の報告。ユーディは冷静にデータを示し、法務担当は公開の基準と注意点を逐一説明した。
質疑の時間が回ると、フリーライターに対する問いは自然と鋭くなる。彼は最初こそ「自分は取材と記事執筆が仕事で、周囲の動きをまとめただけだ」と繰り返したが、提示されたログの枚数に押される。接続記録と端末指紋の一致、作成されたアカウントの挙動の類似性、カフェでの複数の人物との滞在時間。問いの輪郭は次第に明瞭になる。
「あなたが、少なくとも一部のアカウント作成の時間帯に関与している可能性が高い」
法務担当が静かに言う。会場に一瞬の静寂が落ちる。
フリーライターは深く息を吸い込み、やや低く話し始めた。「確かに、僕はそのカフェで原稿を書きながら、複数の編集者や情報提供者と連絡を取っていた。時には会話の中で‘話題を増幅させよう’という冗談交じりのやり取りがあったかもしれない」――彼はここで一度言葉を切った――「だが、僕が直接誰かに指示してアカウントを作らせたとは言えない。もしそういう動きがあったとしたら、それは僕の管理外だ」
質疑は続き、外部記者たちが記録を読み上げ、当事者と証拠の突合せを進める。だが会の空気は次第に、単なる暴露の場から「選択の場」へと移っていった。現地で声を上げてくれたボランティア代表が立ち上がり、自分たちの体験を語り始めたのだ。
「私たちは誰かに命令されたわけではありません」
若い女生徒の声は震えていたが、言葉は確かだ。「ただ、そこに手伝う機会があった。参加してみたら、誰かと話せて、また来たいと思えた。メディアで言われているような‘操られた群衆’ではないです」
別の代表が続ける。「演出があったのは事実かもしれない。でも、それは人が動くきっかけでしかなかった。行動の主体は自分たちでした」
発言を聞きながら、エレノアは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。設計はきっかけを作る。だがきっかけが意味を持つのは、それを選ぶ誰かがいたからだ。会場に集まった顔ぶれを見渡すと、子どもから教師、外部記者まで、様々な立場の人間が同じテーブルで話を聞いている。ここで示されたのは、断定ではなく、多数の小さな選択の集合だった。
会は最終的に、学園側からの提案を示して閉じられた。主な内容は次の通りだ。
- 学園は今回の一連の出来事の全記録を公開する(個人情報保護を前提とする)。
- 外部の関与が確認された場合は、法的手続きに従って対応する。
- 学園内での今後のイベントに関しては、参加者の自主性を重視するガイドラインを整備する。
- 誤解や被害を受けた個人には学園側でフォローを行う窓口を常設する。
この提案は場にいた多くの者の支持を受け、会はその方向で合意を得た。終了後、フリーライターは表情を曇らせながらも、学園長の前で一言述べた。
「私の周囲の一部の行動は、結果として不適切でした。意図の善し悪しにかかわらず、結果に対する責任は免れません。取材の仕方を改めます」
その言葉は責任表明としての効力を持ち、同時に事実関係の解明が進む余地を残した。
会が終わるころ、外の空気は少し柔らいでいた。掲示板には会の要旨がまとめられ、議事録の抜粋が共有される。賛否両論は残るが、論点が整理されたことで議論の質は変わった。エレノアは静かに席を立ち、控室の窓から学園の庭を眺めた。
すると、ミラがひょこりと控室に入ってきた。彼女はいつものように笑顔だが、目には確かな強さが宿っている。
「エレノア様、会の様子を見てきました。みんな、自分の言葉で話してて……なんだか嬉しかったです」
ミラは控えめに言う。エレノアは近づいて彼女の肩に軽く触れた。
「あなたのおかげで、多くの人が参加するきっかけを見つけた。あなたは悪くないわ」
ミラは照れくさそうに頷く。だが彼女の表情には以前よりも芯がある。騒ぎの渦中で、自分自身の立ち位置を見つけたらしい。
夕暮れ、学園の掲示板には学園長が出した正式な声明と、今後の方針が掲載された。ネットの反応はすぐには収まらないだろうが、事実を重ねる手続きを踏んだことで、次第に議論は建設的な方向に移っていく予兆が見えた。
エレノアはノートを開き、新たな一行を書き足した。そこには短く、しかし強い決意が記されている。
「場を作るとは、始めることだけでなく、守ることでもある」
明日は新しい週の始まりで、学園は通常授業に戻る。だがエレノアの頭の中は既に次の計画で一杯だった。波紋の源を追う過程で得た知見を生かし、もっと確かな“場”を育てるために。彼女は窓の外の淡い夜景を見つめ、静かにペンを置いた。
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