第9話
「学園長の許可は取れた」
エレノアは控室でユーディに向かって言った。ユーディは画面に映るログを指でなぞり、穏やかながら確実な声で答える。
「調査委員会が発足しました。外部アドバイザーとして、情報セキュリティの専門家と法務担当が加わります。フリーライターへの接触は弁護士同席で行う方向です」
「いい判断ね。感情論で動くと余計な火種を撒く。今回は事実で勝負する」
セシルが黙ってコートを羽織りながら一言付け加える。「俺は物理的な安全と秩序を確保する。現場で何かあればすぐに対応する」
その午後、学園の会議室には外部から招かれた専門家と法務担当、学園長、数名の教員たちが集まった。エレノアは手元の資料を整理しながら、簡潔に事の経緯を説明する。
「匿名投稿の出所は断定できませんが、解析により複数のアカウントが一部共通の端末指紋を持つこと、及びある市内カフェからの接続が複数回観測されたことが示されました。加えて、あるフリーライターとライラの交友が確認されています」
法務担当が眉をしかめる。「現段階でライラ本人への直接的な結びつきは示せない。外部への追及は名誉毀損のリスクがある。慎重さが必要だ」
専門家が静かに言う。「技術的には、プロクシやVPNを使えば出所は隠せます。だが端末指紋の一致やWi‑Fiの利用履歴が揃えば、かなり絞り込める。カフェの協力が鍵になります」
学園長は重々しく頷いた。「学園の評判も関わる。だが事実を隠すのではなく、丁寧に真相を明らかにしていく。エレノア、君の協力はありがたい」
会議は実務的に進み、夜にはカフェの店主と弁護士、学園側の代表とで事情聴取が行われた。店主は最初驚いたが、記録を遡って紙の出入り帳を提供してくれた。そこには確かに、問題の日時に複数の若者の出入りが記録されていた。
「この時間帯だけ、グループで来ていたことが分かります。写真にも写っている人物の一部と一致します」
ユーディはスクリーンに写真を並べ、店主の証言と照らし合わせる。弁護士は慎重に相互照合の手順を進めることを提案した。
数日後、追跡の糸はやや確かな形で一本につながった。フリーライターの交友関係から辿られた一連のアカウントのうち、いくつかが同じ関係者の端末から作成されている可能性が高い――ただし決定的な証拠にはまだ届かない。だがフリーライターの行動履歴を洗うと、彼がライラの周辺イベントに頻繁に顔を出していた記録が見つかった。
「彼は報道に絡めて露出を得るのが得意なタイプです」
専門家が言う。「媒体に煽られる形で炎上を作ることは技術的に容易だ。だが、個人の意図を技術だけで断定するのは難しい」
エレノアは窓の外で揺れる木の葉を見ながら、思考を巡らせた。相手が外部の記者であるなら、学園はただの舞台になっている。彼らの狙いはセンセーショナルな見出しか、あるいは自分たちの利得を増やすことかもしれない。だがどちらにせよ、事実を丁寧に示すこと以外にない。
夜、ユーディが耳打ちする。「フリーライター本人のインタビュー依頼に、彼の過去のSNSから取材依頼先の一覧が出ました。そこに、ライラの関係者やいくつかの外部メディアの連絡先があります」
「接触のルートか」
「はい。ただし、まだ直接指示を示すものはありません。もし記者自身が単独で動いているなら、法的プロセスで開示を促す必要があります」
数日間の静かな追跡の後、事態は急展開を迎えた。フリーライターが、学園側からの問い合わせに応じて学園へ現れたのだ。彼はカメラを手に、落ち着いた風体で会議室へ入ってきた。表情は余裕があり、どこか準備された印象を与える。
「あなたが、件の投稿に関わったとされていますが?」
学園長が切り出す。法務担当が静かに書類を差し出す。
「私は報道をしています。投稿の一部は私の周囲の会話から出たものかもしれませんが、意図的にねつ造したつもりはありません」
フリーライターは淡々と言う。だがユーディの解析結果を突きつけると、彼の表情が少しだけ揺らいだ。
「あなたが使った端末の一部が、あのカフェのWi‑Fiのタイムスタンプと一致します。アカウントの作成パターンも一致します」
ユーディの声は冷静だが鋭かった。フリーライターは言葉を飲み込み、短く首を振る。
「確かに私はあのカフェで執筆していたことがあります。だが複数の人物と連絡を取り合っていただけで、私が全てのアカウントを操作した証拠はない」
「あなたの交友関係にいる人物のいくつかが、ライラ側の活動家と接触していることも確認しています。あなたが意図せず火を付けた可能性は否定できません」
弁護士が慎重に言葉を重ねる。
フリーライターは長く息を吐き、苦笑を浮かべた。「僕の仕事は記事を作ることだ。話題性がある方が有利だ。だが、もし僕の周囲の人間が過剰に動いたのなら、それは彼らの問題だ。僕が全てを管理する立場ではない」
その言葉には自己弁護の匂いがあった。学園側はその場で決定的な証拠を突きつけることはできなかったが、外部への説明責任を果たすための材料は揃ってきている。エレノアは静かに立ち上がり、会議室の窓に映る自分の姿を見た。
「今回の件は学園の問題だが、学園だけでは解決できない要素が絡んでいる。だからこそ、我々は冷静に事実を提示し、誤解を解くプロセスを続ける。感情的な非難は避けるべきだ」
彼女の声は小さく、それでも力があった。学園長や教員たちはうなずき、会は散会した。
その夜、エレノアはノートに日々の出来事と考察を書き綴った。記者が関与した可能性は高まったが、完全な決着には程遠い。だが彼女は一つの確信を深めていた――外部の力が絡むと、単純な「正義」の輪郭は歪みやすい。だからこそ、真実を丁寧に示すことと、学園の声を未だ届かせていない人々に確実に届けることが最優先だと。
翌朝、エレノアは学園の掲示板に小さな告示文を貼った。内容は短く、誠実だった。事実関係の説明と、誤解が生じた場合の相談窓口の案内。彼女の筆致は簡潔で、攻撃的な言葉は一切含まれていない。掲示板の前に立つ生徒たちの表情は様々だったが、何人かがそこで立ち止まり、書かれた言葉を読み、互いに小さな声で囁きあっている。
学園の外ではまだ波紋が収まらない。だが内側では、丁寧な説明と対話の積み重ねが、少しずつ信頼の回復を生んでいた。エレノアはその微かな動きを確かめると、次の戦略を考え始める。相手が何を望んでこの騒ぎを起こしたのか――それを見極めることが、次の局面を開く鍵になるはずだった。
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