第8話
閉会から数日が経ち、学園は一見普段どおりの生活に戻りつつあった。だが裏掲示板はまだ騒がしく、文化祭の余韻がスレッドを行き交っている。ポジティブな報告とともに、まだ根深い疑念を撒く書き込みが断続的に現れた。エレノアは月曜の朝、控室の窓辺でタブレットを開き、湯気の立つ紅茶を一口含んだ。
「まだ完全には収まっていませんね」
ユーディが無言でログを差し出す。画面には新しいアカウント群の痕跡、時間差で投下された類似文面、そして特定の写真の再加工を指摘するスレが並んでいる。
「写真の一部が編集されているという指摘か」
エレノアはスクロールしながら言う。写真は角度や明暗が微妙に変えられ、文脈を誤認させるように配置されていた。編集痕を示す指摘は、一見すると小さな専門家のつぶやきだが、効果は大きかった。
「そうです。しかも一部の投稿はアカウント作成の経緯に不自然な点があります。IPの断片情報は取得できましたが、複数のプロクシを介しているため直接的な出所を特定できません」
ユーディの声には疲労が混じる。エレノアはタブレットを閉じ、深く息を吸った。
「ライラの仕業だとしても、直接的な証拠が無ければ攻めきれないわね」
「彼女自身が指示した証拠はまだ出ていません。ただし、ライラの支持層と結びつくアカウントの活動は観測されます」
「支持層が自発的にやった可能性と、指示を受けた可能性は区別しないと」
エレノアは机のノートを開いて、先週の対応手順を読み返す。公開と説明が功を奏したとはいえ、ネットの拡散は別の形で尾を引く。
その日の午後、エレノアは学園の図書室でミラと会った。ミラは相変わらず笑顔が柔らかく、図書カードに無造作に落書きをしていたが、目には少しだけ疲れが見える。
「掲示板、見た?」
ミラは遠慮がちに訊ねる。エレノアは頷く。
「見てる。心ない書き込みもあるけど、現地で話した人たちの声が今は一番強い」
「でも、私、なんだか責任感じちゃって。欠席の演出って聞いたから来なかった人もいたみたいで……」
ミラの声は小さい。エレノアは彼女の手を取り、きつくはないが真剣に答えた。
「今回の主犯はあなたじゃない。あなたはただ、純粋に舞台を信じてくれただけだ。誤解する人がいるのは社会の側の問題よ。私たちは事実を示し続けるだけ」
ミラは涙をこらえながらも笑う。「そう言ってくれると少し安心します。私、誰かを傷つけたくないから」
夜、ユーディが新しい解析結果を持ってきた。詳細ログの解析で、投稿群の発生タイミングと拡散ルートの一部に意外な一致が見つかった。ある市内のカフェの公衆Wi‑Fi経由で複数のアカウントが作成され、その中で同じ端末指紋が繰り返し検出されたのだ。
「ここに注目してください」
ユーディは地図を表示し、赤い点が繋がっていく様子を示す。「カフェの利用履歴と照合すると、登録に使用された端末の一部が特定の曜日と時間に一致します。そこから複数のアカウントが作られている可能性が高い」
エレノアは眉を寄せた。「カフェの監視カメラや客の証言は取れないの?」
「監視映像は地域のプライバシー規定で保管が短期間です。だが、カフェの店主に事情を話せば、出入りの記録や当日の端末類の管理記録が得られるかもしれません」
「行きましょう。直接聞いた方が早い」
翌日、三人はカフェへ出向いた。木の香りがする小さな店内は、文化祭の話題ですら静かに聞こえるようだった。店主は穏やかな初老の男性で、エレノアが事情を話すと、表情を曇らせながらも協力を約束してくれた。
「うちの店、若い連中がよく使ってくれるんですよ。もし不審な利用があれば、出入りの様子を覚えているかもしれません」
店主の証言で、数名の常連が特定できた。ユーディはその中の一つの名前に注目した。
「ここが鍵かもしれません」
ユーディは低く呟く。「この常連の一人、学園とは接点のないフリーライターです。彼のSNSにはライラのイベントに関する言及がいくつか見られますが、直接の指示は確認できません。ただ、交友関係が広い」
「フリーライター……外部の記者か」
エレノアは考える。「彼がどこまで関与しているか突き止める必要がある。だが、もし外部の人間が学園内部の情報を操作していたら、問題は大きくなる」
ユーディは更なるログを掘り下げ、フリーライターの足取りを追った。公開SNSの投稿、過去の取材記録、交友関係。やがて一枚の写真が出てきた――学園祭の日、ライラと一緒に写るその記者のスナップだ。コメントは讃辞に満ちている。
「この写真は……」
エレノアは画面に見入る。「ライラと写真を撮っている。距離感が近いように見えるけど、これだけでは十分な証拠にはならない」
調査を進めるほどに、糸は複雑に絡まっていった。支持者の自主的な行為、外部メディアの興味、匿名アカウントの意図的な編集。それらが混ざり合い、一つの“真相”を隠す幕になっているように思えた。
ある夜、匿名掲示板に衝撃的な書き込みが現れた。出所不明だが、曰く「文化祭での善意は偽装だった。ある記者が仕掛けた」という内容だ。文体は断定的で、裏取りを行ったと主張する細かい情報が付随していた。スレッドは瞬く間に増殖し、懐疑の渦が再び拡がる。
エレノアは息を詰めた。「また炎上の火種を投げ込んだのか」
ユーディは画面を冷静に解析する。「文面の出所は先ほどのフリーライターの交友に接するアカウント群と一致する兆候があります。もし彼が意図的に情報を編集して流しているなら、責任の所在は明確になります」
「でも、確証が必要よ。証拠を出す前に糸を引いている相手にこちらの真偽を揺さぶられたら、状況は悪化する」
エレノアは冷静に言葉を選ぶ。彼女の頭の中では既に次の動きが組み上がっていた。無防備に反論を繰り返すのではなく、確かな一手で相手の出方を封じる必要がある。
その夜、エレノアは学園の屋上に一人で上がった。風が淡く吹き、遠くの街灯が夜景を飾っている。彼女はノートを開き、これまでの手順を整理した。設計としての自分のミスはどこにあったのか――過度に曖昧さを残した点か、公開のタイミングか。答えは簡単ではない。
「戦い方を変えないと」
彼女は独り言を言って、ふと下の方で誰かの足音を聞いた。振り向くと、セシルが静かに屋上の扉を開けていた。
「考え事か?」
「少し」
セシルは寄りかかるように立ち、夜景を見下ろす。「外部の介入がある以上、学園の枠だけで対処は難しい。だが、公的に動かすことも一つの手だ。学園側に報告し、外部と連携して情報の出所を突き止める選択肢もある」
「でも、学園が動くと大事になりすぎる。私たちの意図は場を守ることで、騒ぎを大きくするつもりはない」
エレノアは悩ましげに答えた。セシルは短く笑った。
「君はいつもバランスを考えている。利害を天秤にかける時間はそろそろ終わらせて、行動の時間だ」
その言葉に、エレノアの表情が引き締まる。無為に時間を浪費している余裕はない。相手が仕掛けを狙っているなら、こちらも盤面を変えるべきだ。
翌朝、エレノアは学園の事務室に赴き、担任と学園長に状況を報告した。文書化されたログと解析結果を持参し、外部の協力を仰ぐことを申し出る。学園長は驚きながらも、事の重大さを認めて調査委員会の設置に同意した。
「学園の信用を守るための対応です。慎重かつ迅速に行動します」
学園長の言葉にエレノアは安堵し、同時に戦いが次の段階へ移ったことを実感した。匿名の影を炙り出すための糸口は見えつつある。だが、相手が外部の記者であるならば、表に出れば出るほど複雑な記者クラブやメディアの利害が絡む。エレノアはそれでも、ひとつの決意を固めた。
「真実を出す。だけど、誰かを不当に叩く材料にはしない。事実を示して、誤解を解くためのやり方で」
彼女はノートにそう書き込み、ペンを置いた。夜明け前の冷たい空気が、次の波を予感させる。それはただの学園内の騒ぎではなく、外部の力が絡んだ、もう一つの局面の始まりだった。
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