第7話

朝の空気はいつもより静かだった。文化祭の最終日を控え、生徒も来場者も昨日の騒ぎを経て少し落ち着いた表情をしている。エレノアは早朝に学園へ着き、広場のブースを一つずつ巡った。昨夜公開した資料の反応は概ね落ち着き、現地参加者による自主運営の動きも軌道に乗っていた。


「今日は前に出ないで、場を見せる日ね」

エレノアはユーディに向かって静かに言った。ユーディはタブレットを覗き込みながら頷く。


「データ上は自律運営が進んでいます。拡散は抑制され、現地投稿が多く、来場者の満足度も高めです」

「良いわ。私の出番は少なくする。代わりに、各ブースの代表たちにマイクを渡して、彼らの言葉で語ってもらうつもり」

エレノアは控室で簡潔に指示を出した。セシルは無言で聞き、やがて短く言った。


「俺は場の秩序を守る。混乱が出るたびに介入するが、基本は彼らの自発性を尊重する」

「頼もしいわ」

二人の間には余計な言葉がいらなかった。作業は淡々と進む。


午前のプログラムが始まり、各ブースの代表たちが順にマイクを取って自分たちの活動を紹介する。手作りの缶バッジ作り、即席劇のワンシーン、訪れる人への一言メッセージ配り。どのスピーチも拙さはあるが、どことなく誠実で、来場者の心を掴む。


「私は最初、手伝う意味がわからなかった。でも、実際に誰かと話してみたら、自分が想像していたより世界が広がった」

ブース代表の一人、ルカの言葉に会場から小さな拍手が上がる。エレノアはその拍手を静かに聞き、胸の中で何かが温かくなるのを感じた。


午後になり、学園のメインステージでは「参加者代表座談会」が行われた。壇上には実際にボランティアをした生徒たち、イベントに寄稿した数名の来場者、ユーディとセシル、そしてエレノアは壇上には上がらず、舞台袖から見守る立場を選んだ。


「今回の文化祭で一番印象的だったのは?」

モデレーターの問に対して、参加者たちは素直な言葉を紡いだ。


「知らない人と話して、友達ができたこと」

「ささいな手伝いが、誰かの一日を変えたって実感した」

「つながりができるって、楽しい」


会場の反応は温かい。裏掲示板では依然として論争的な投稿があるものの、現地の声が拡散されるたびに、その勢いは幾分か弱まっていく。現場の生の声が、ネット上の疑心を打ち消していった。


夕暮れに近づき、メインステージ脇で小さな一件が起きた。幼い来場者が迷子になり、母親が慌てて探している。ブースにいた生徒数名がすぐに動き、手分けして校庭の隅まで捜索した。数分後、泣き出しそうな子どもが無事に見つかり、母親と抱き合う光景が生まれた。


「ありがとうございました! 本当に助かりました!」

母親の涙混じりの声に、周囲から拍手が起きる。その拍手は、今日一日の「場」が生んだ信頼の証のように思えた。エレノアは袖でその様子を見て、心底ほっとした微笑みを浮かべる。


その夜、閉会式が終わると、学園内は片付けと余韻で静かに満ちていた。エレノアはユーディ、セシルと共に最終のデータを確認する。


「参加率、滞在時間、再来意欲、どれも目標を上回りました。公開後の反応も概ね収束しています」

ユーディが淡々と報告する。セシルは無表情のままだが、いつもの通りの厳しい目を彼女に向ける。


「よくやった」

それだけを言って、彼は手を差し伸べた。エレノアはその手を取るわけではなく、軽く頭を下げる。


「今回の学びは大きかった」

エレノアはノートにペンを走らせる。メモは次の段取り、改善点、そしてこの場をどう継続させるかのアイデアで埋まっていく。だが、彼女はふとノートの隅に書いた一言を見返す。


「自発の芽は、無理強いでは育たない」


静かな余韻の中、エレノアは自分がしたことの価値を改めて噛み締めた。数字は確かに重要だ。だが今日見たのは、数字が示す以上の、確かな“つながり”だった。彼女の設計はきっかけを与え、その先を人々の手に委ねることに成功した。ライラとの争いは完全には消えていないが、今回の結果は一つの勝利だった。


夜の学園を後にしながら、エレノアは思う。次はもっと大きな場を作ること、そのときにも今と同じく「人の選択」を尊重し続けること。彼女のノートは新たなページをめくり、インクの跡が未来の設計図を静かに描き始めた。

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