第6話

翌朝、学園はいつもより忙しげだった。講堂のスピーカーが文化祭の進行を告げ、廊下には新たな噂がこだまする。エレノアは控室で早めに来て、データ画面を開いた。ユーディの顔は疲れているように見えたが、眼差しはいつもどおり正確だ。


「昨夜から掲示板の動きが変わりました」

ユーディはタブレットを差し出し、いくつかの投稿を示す。「‘演出で善意を操る’という筋書きを補強する証拠めいた書き込みが増えています。写真とタイムスタンプの照合で、こちらの匿名流布と関連づけようとする動きが散見されます」


エレノアは画面を詳しく見た。確かに、不要に断定的な書き込みが増えている。根拠の薄い推測に、感情的な反応が乗って拡散していることがわかる。


「出所は?」

「複数アカウントが介在しています。直接的にはライラ側のファンコミュニティが軸ですが、裏取りを進めると断定は難しい。彼女らは‘問い’を投げて拡散させるのが上手い。今回の一連の投稿はそれに沿ったものです」


エレノアは息を吐いた。「誤解が拡大している。先に公開しておいてよかったが、説明が足りなかった部分があるのね」


「具体的にはどの点を補足しますか?」

ユーディの問いに、エレノアはノートに目を落とす。ページにはこれまでの時間差、投稿内容、実際の配置図、参加者の証言が丁寧に貼られている。


「参加者の証言をもっと前面に出す。写真や短い動画だけで判断されるのは危険だわ。現地で手伝った人の声を集め、彼らの”意志”が尊重されたことを示したい」

ユーディはうなずく。「では、現地参加者へのインタビューと、ボランティア登録データを公開します。個人が特定されないよう配慮しつつ、実際に自発的に参加している証拠を提示します」


エレノアは短く頷いた。「それと、ライラ側の主張も尊重する形で対話の場を設ける。対立を煽るより、建設的な議論を示した方が学園の信頼は戻るはず」


午前中、エレノアは学園の小さな会議室に招集をかけた。参加者は自主参加で集めたボランティアの代表十数名、執行委員の何人か、そしてユーディとセシル。ライラに関する直接の批判を受けた側として、彼女は最初に短く挨拶した。


「皆さん、お忙しいところありがとうございます。今日は誤解を解くために皆さんの声をお借りしたいんです。誰も強制していません。来ていただけるなら、率直な感想を聞かせてください」


参加者たちは少し緊張していたが、口を開くとその言葉はどれも真摯だった。ある男子生徒は言った。


「ただ流れで手伝っただけです。でも、そのときに誰かが困っているのを見て、自然に体が動きました。誰かに頼まれたわけでもなく、自分の判断でやったことです」

別の女生徒は続けた。「缶バッジが欲しくて参加したけれど、終わった後に話した相手とまた学園で会って、友達ができました。それが嬉しかったんです」


一人ひとりの声が会議室に静かに積み重なっていく。エレノアはメモを取りながら、参加者の表情を見た。嘘をつく余地はない。生の言葉が、彼女の企てが「操作」ではなく「きっかけ」だったことを裏付け始める。


「写真や動画だけでは伝わらない部分がある」

エレノアは締めくくりにそう言った。「私の仕事は環境を作ること。そこで誰かが自主的に動いたなら、それは操りではなく選択です。皆さんの声を元に、公開資料を更新します」


参加者たちは静かにうなずき、何人かは控えめな笑顔を見せた。その表情はエレノアにとって、数字以上の価値を持っていた。


会議が終わると、ユーディはさっそく資料の整理を始める。裏掲示板用に用意したQ&A、現地参加者の短い証言、タイムラインの詳細。情報の透明化が進むにつれ、拡散の勢いは徐々に収束していった。


午後、学園の掲示板にはエレノア側の更新が公開され、彼女は短い説明文を添えた。


「私たちは学園祭を通じて『参加するきっかけ』を作りました。誰も強制されていません。疑問を持つ方がいるなら、直接会って話をしましょう。ここは学びの場であり、対話の場です」


文面は簡潔で、責任感を示すものだった。掲示板の反応は数時間後から落ち着きを見せ、批判の多くは建設的な議論へと変わっていった。ライラの支持層の中にも、冷静に事実を見直す声が現れる。


「君の対応、やり方は正しかったと思うよ」

夕方、セシルが控室に戻ってきてそう言った。彼は無表情だが、言葉には確かな承認がある。


「ありがとう。だけど、これで終わりじゃない」

エレノアはページをめくり、明日の最終日のプログラムに目を走らせた。「明日はより参加者主体の企画を用意する。私が前に出ることは控える。場が自律して動くところを見せたいの」


セシルは短く頷く。「その方が良い。場が自律すれば、外部からの攻撃にも強くなる」


夜、エレノアはベッドで天井を見上げながら考えた。今回の騒ぎは自分にとっての試金石だった。計画は成功して数字を上げたが、透明性と誠実さが求められる場では、それだけでは足りない。人の信頼は、公開と説明、そして尊重によって築かれることを改めて理解した。


「操作と意図せぬ誤解の違いを、もっとわかりやすく示さなければ」

彼女はそう呟き、ノートの余白に翌日の台本の断片を書いた。ページは静かに、しかし確実に増えていく。学園祭の最終日が、また新しい波を呼び起こす準備を進めていた。

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