第5話

「今日の掲示板、見た?」

「ライラ様がすごいことをやるって噂よ」

「また対抗イベントかしら。面白くなってきたね」


文化祭二日目の朝、学園の空気は昨日よりも張り詰めていた。エレノアは控室でコーヒーを一口飲み、タブレットに浮かぶ通知を無言で追っていた。夜のうちにライラ側からの仕掛けが入ったらしい。派手な衣装と演出で注目を一気に集め、古参の支持層を巻き込む狙いだ。ユーディが小さくため息をつく。


「ライラの拡散力が早いです。想定より反応が強く出ています」

「想定の範囲内よ。彼女は‘安心できる悪役’を演じるのが上手いだけ」

エレノアは淡々と答えるが、内心では警戒している。ライラのやり方は確かに強い。だが短期的なカリスマは、長期的な“居心地”には必ずしもつながらない。それを示すのがエレノアの次の狙いだった。


「今日の計画は二段構えよ」

エレノアはノートにペンで丸を付ける。「ライラが注目を集めている間に、我々は小さな‘居場所’を増やす。派手さよりも滞在時間を伸ばす施策にフォーカスするわ」


そのとき、控室の扉が勢いよく開き、セシルが入ってきた。彼の表情はいつも通り無表情だが、その眼には何か決意めいた光が宿っている。


「状況を見てきた。ライラの仕掛けは一時的に注目を奪うだろうが、混乱を起こすほどではない。だが正面衝突ならば、俺は止める」

「正面衝突は避けたい。観客を二分するだけで双方の印象が落ちる」

エレノアは冷静に答え、セシルと短く戦術を擦り合わせる。彼は静かに頷き、控室を後にした。


午前のプログラムは混戦だった。ライラの派手なショーに人が押し寄せ、写真や短い動画が裏世界を席巻する。コメント欄には「さすが」「伝統は強い」といった称賛が並び、一時的にライラ側の優位が明確になる。だが午後に行ったエレノアの施策は、想定以上の効果を生んだ。


「ワークショップ形式の居場所作り」を広場の端に設置したのだ。小さなテーブルと椅子、手作りの看板、参加者が名前を書くだけで参加できる気軽さ。人々はライラのショーに行ったあと、どこか居心地の良い場所を探す。そこで見つけたのがエレノアのブースだった。


「ねえ、ちょっとお菓子を交換しない?」

「いいわね。誰かと話すのって楽しい」

参加者同士のやり取りが自然に生まれ、滞在時間が伸びる。ユーディはデータを確認しながら微笑む。


「滞在時間と再来指標が上昇しています。ライラの瞬発力は確かに高かったが、我々は‘戻ってくる理由’を作れています」

エレノアは嬉しそうに目を細め、だが同時に注意深く次の行動を考える。


その午後、予想もしないことが起きた。匿名掲示板に上がったのは、ライラ側からの罠めいた投稿――エレノアの運営が「演出のために他人の善意を操った」という批判だ。文は巧妙で、人々の正義感を刺激するように作られていた。


「悪役令嬢が演出の名目で人を操っているって。あれってセコいよね」

「演出ならまだしも、善意を道具にするなんて最悪」

コメントは瞬く間に広がり、エレノアのブースにも一部の足が遠のく。ライラの策が直接的なダメージを与えた瞬間だった。


「ユーディ、出所の解析を」

エレノアは声を落ち着けて命じる。タブレットの画面が淡く光り、ユーディは素早く動いて情報を精査する。


「出所はライラ側の関連アカウントではありませんが、ライラのファン層が拡散の主体になっています。内容は誘導的で、共感を生みやすい文脈です」

「なるほど。炎上狙いのフェイクを流すのではなく、共感を誘う“問い”を投げているのね」

エレノアは覚悟を決める。「反撃ではなく、説明と透明性で返すわ。隠すところを作れば、それが新たな火種になる。誠実に対応するのが一番の防御」


控室から出て、エレノアは広場の小さなステージに向かった。舞台に立つと、人々のざわめきが彼女を取り囲む。彼女は深呼吸してから言葉を選んで話し始めた。


「皆さん、今日の出来事で不快に思われた方がいるなら、まず謝ります。意図的に善意を操作したわけではありません」

ざわめきが少し収まる。エレノアは続ける。


「私がやったのは、誰かが自分の力でできることに気づく“きっかけ”を作っただけです。誰かの善意を奪ったり、誇張したりするつもりはありませんでした。もし誤解を招いたなら、詳しい手順と仕組みを公開します。どうか判断を見守ってください」


彼女は控室で準備していた資料をスクリーンに投影する。匿名投稿のタイミング、案内配置、参加の手順──透明に示すことで、意図と手法を明らかにする。ユーディが裏でデータの出所と手順を逐一示し、セシルは群衆の秩序を保つために静かに周囲を見守った。


観客の反応は分かれた。中には「演出なら楽しい」と笑う者、また「やっぱり操作されてたのか」と眉をひそめる者もいた。だが、情報の公開によって疑問の多くは沈静化し、議論は冷静な方向へ移っていった。


その夜、エレノアは控室で一人、ノートを前にしていた。ライラの仕掛けは確かに有効だったが、公開と対話で失った信頼は完全には戻らない。ユーディがそっとカップを差し出す。


「今日の対応は良かったです。公開して透明性を示したことが、長期的には効くはずです」

「ありがとう。だが痛い教訓だわ。次は、誤解を生まないやり方で参加を誘導する必要がある」

エレノアは短く答え、ページの余白に赤い丸を付けてメモを書き込む。


その夜、匿名掲示板の一部ではライラ上げの投稿が勢いを増し、エレノア擁護派と意見が割れていた。政治的な駆け引きにも似たこの騒ぎは、表向きの学園祭の風景を少し変えてしまった。エレノアはそれでも、翌日に控えた最終日の戦略を固めるべく、冷静に準備を進めるのだった。

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