第4話
朝は昨日より穏やかに始まった。夏の残り香がまだ校庭の片隅に残り、屋台の準備に駆ける生徒たちの声が遠くから聞こえる。エレノアは早めに学園に来て、広場の端に設けた小さなワークショップコーナーをチェックしていた。色とりどりの布、手作りの看板、簡単な作業説明が並ぶ。どれも「ちょっとだけ参加してみよう」と思わせる作りになっている。
「朝一の設営、問題ないか」
セシルが無言でやって来て、テーブルの角を指で確認する。彼は言葉少なだが、手際は確かだ。
「ありがとう。あなたには来場者の導線と安全確認を任せるわ」
エレノアは微笑みを作りながら答える。彼女の声は普段より柔らかい。ここは勝負場というより、居場所を作る実験の現場だ。
ユーディがタブレットを持って近づいてきた。「掲示板の反応は安定しています。昨夜の波は落ち着き、来場者の期待も良好です」
「よし、このまま定着させたい。滞在時間と再来意欲を一番に見るの。派手さはライラに任せるわ」
エレノアはブースの小さな看板を直し、そこに手書きで「ゆる募! お菓子交換と一言カード」と書き加えた。
午前中、通りかかる生徒たちに声をかけるのは簡単だった。最初はちらりと覗くだけの子が多い。スマホを片手に「写真だけ撮らせて」と言う者、友達に「ちょっと暇だし」と誘われて座る者。やがて一人が名札に名前を書き、隣の人にお菓子を勧める。会話が生まれ、笑いが零れる。滞在時間は少しずつ伸び、ブースは午前中のうちに小さなコミュニティになっていった。
「ねえ、これ誰が考えたの? こんなに居心地いい場所は学園で初めてだよ」
「エレノアさんのアイデアですって。あの人、表向きは冷たいけど、こういうの上手なんだね」
雑談の端で聞こえた声に、エレノアは少し照れたように微笑む。彼女はこういう反応をデータとしても楽しんでいたが、その合間に、本当に居心地が生まれる瞬間を観察することが心地よかった。
午後になり、ワークショップはさらに人を引き寄せた。ライラの派手なショーで盛り上がった来場者が、次に「静かに話せる場所」を求めて流れてくる。ある男子生徒が不意に語った言葉が、ブースにいる誰かの心を刺激する。
「ボランティアって、やってみると案外楽しいんだな。あんまり堅苦しく考えるもんじゃないんだ」
「そうだよ。呼びかけるだけで誰かが来てくれる。居場所って、自分で作るものなんだね」
その言葉に、ミラが嬉しそうに手を叩いた。彼女はブースの隅で、小さなカードに来場者の一言コメントを丁寧に書き留めている。ミラの文字は丸くて暖かく、読み返すだけで笑顔になる。
「ミラ、今日は本当にありがとう。あなたの笑顔が人を引き寄せているわ」
エレノアはミラに声をかける。ミラは少し照れながらも「そんなことないですって!」と笑う。二人の距離は、少しずつ縮まっていった。
夕方、エレノアはユーディとデータを確認した。参加者数、平均滞在時間、再来受付のサイン数。どれも計画した目標を上回る勢いで伸びている。
「データ的には成功です」
ユーディが淡々と言う。「ただし、コメント欄に‘演出に操られた’という疑問が出てき始めています。まだ少数ですが、無視はできません」
エレノアは画面をのぞき込み、いくつかの書き込みを読む。「‘演出だとしても心地よかった’って書いてくれている人もいる。今は両方が混在している状態ね」
その夜、学園の裏掲示板にはそれとは別に、ライラ側のファンが小さな釣り文句を投じていた。直接的な攻撃ではない。むしろ「問い」を立てるスタイルだ。
「手伝っただけで得られる満足って本物? 演出が仕組まれているなら、それって欺瞞じゃない?」
一部の投稿は巧妙に疑問を煽り、共感を誘導する文面だった。拡散の速度は遅いが持続性があり、理性的な判断を促すように見せかけることで、賛同を得やすい作りになっている。
エレノアはその文面をじっと見つめた。彼女は自分のやってきたことに後ろめたさはない。人を参加させるための設計をしただけだ。だが、世間は設計よりも「動機」を問いたがる。
「ユーディ、これにどう対応する?」
「現状は様子見が最善です。過剰反応すると拡散を助長します。だが、もし論点が‘演出と善意の境界’に移るなら、説明責任を果たす準備をしておくべきです」
エレノアは頷き、ノートを開く。彼女のページには今日の会話録と、参加者の一言カードの写しが丁寧に貼られていた。生の声が、計算と違う価値を持つことを示している。
翌朝、学園の雰囲気は昨日より少し複雑だった。支持する声と疑問の声が混ざり合い、互いの存在が互いを強調している。エレノアは自分が作った場所に行き、そこで実際に話を聞くことにした。直接の対話が、数字以上に効く時もある。
「どうしてここをやってるの?」
中学生くらいの女の子が小さな目を見開いて訊ねる。彼女は少し不安そうで、誰かに認めてもらいたい年頃だ。
「ここで誰かと話すきっかけを作りたいんです。学園で居場所を探す人が、ちょっとだけ手を伸ばせる場所にしたいから」
エレノアは正直に答えた。言葉はシンプルだが、相手の目に届いた。少女は笑って頷き、キャンディーを差し出す。
「ありがとう。来てよかったって思う」
その声は小さかったが、エレノアの心に確かな手応えを与えた。
その夜、ユーディが最後の報告を持って来る。「掲示板の勢いが変わりました。疑問系の投稿は拡散しているが、同時に現地参加者のポジティブ投稿も増えています。両者の勢力は拮抗しています」
「拮抗は良い。対立を作るために動くのではなく、参加者の声を育てるために動くの」
エレノアは静かに答え、ページに次の施策案を書き込む。今度は、実際にブースを作った生徒たちが自主的に運営できるよう簡単なマニュアルを配るつもりだ。自律性を与えることで、「運営による操作」の印象を薄め、自分たちの居場所として定着させる戦略だ。
ベッドに入る前、エレノアはもう一度掲示板を眺めた。疑問や非難の声はあるが、そこに混ざる生の声は彼女のやるべきことを教えてくれているようだった。ページの端に小さな丸印を付け、自分に向けた問いを書き込む。
「操作か、きっかけか。境界線はどこに引くか」
翌日、その問いに対する答えを探すためにエレノアは静かに学園へ向かった。
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