第3話
翌朝、学園の掲示板は昨夜の余波でいつになく賑やかだった。匿名の投稿に混じって、写真付きの感想、短い実況、そして「真相を知っている」風の疑問符が並ぶ。エレノアは控室の窓辺でタブレットを眺め、ユーディが淹れてくれた紅茶の湯気をほんの一息すする。
「拡散はまだ続いています」
ユーディは画面を指でなぞりながら報告する。「ミラ絡みの投稿が急増中。反応の質も良好です。共感系のコメントが多い」
「想定より深い波ですね」
エレノアは冷静に言った。だが、胸の片隅に残る違和感を消せないでいる。あの日、舞台で起きた“誰かの行為”が単なる話題以上になっていることは確かだ。人が自発的に動くと、その輪は予想以上に大きくなる。
「次の一手をどうしますか?」
ユーディの声は柔らかい。エレノアはノートを開き、昨夜の反応を整理する。
「次は参加のハードルを下げる。‘見るだけ’の観客を一歩踏み出させる仕掛けを作るのよ」
「具体案は?」
「小さなボランティアコーナーを学園広場に用意する。手伝うことで“自分の物語が作れる”と感じてもらう。押しつけず、選べる余地を残すのがポイント」
ユーディはメモを取り、セシルが静かに俯いたまま割り込む。
「観客を巻き込むのはいいが、秩序の管理は俺がする。混乱が出るなら私に知らせてくれ」
セシルの声には、余裕と警戒が混ざっている。エレノアは目を細めて彼を見返す。
「わかってる。あなたの仕事は場を壊さないこと。私の仕事は、場に参加する理由を作ること」
その時、控室の扉が軽やかな音を立てて開いた。銀色の巻き毛に紅のリボンをあしらった令嬢が入ってきた。端正で派手な装い、はきはきとした声。ライラ・ド・マルシェ、名門の元伯爵家出身で、伝統的な“悪役令嬢”像を演じ続けることで堅実な支持を集めている学園の実力者だ。
「やあ、エレノア。話があるって聞いたけど、まさか我が校の文化祭を私流に再構成してみるなんてことはないわよね?」
ライラは笑いを浮かべて言ったが、その目には鋭い計算が光る。
「ライラ。来てくれたのね」
エレノアはにこりと微笑む。「どうしてここに?」
「観客の流れを見ていたの。あなたの仕掛けが裏で動いているって噂でね。面白い試みだと思うわ。ただ、放っておくのも悔しいから、少しだけ意見を言わせてもらうわよ」
ライラは優雅に椅子を引き、腰かける。その仕草だけで控室の空気が一瞬華やぐ。
「あなたのやり方は短期的に伸びる。でも『持続』という視点が足りないわ。熱が一時的に上がっても、次の行事でまた同じ手を使えば飽きられるだけよ」
ライラは切り出す。ユーモアの裏に含まれた批判だ。
「持続を作るなら、コミュニティの核を作ること。単発の驚きではなく、参加する人がまた戻ってくる理由を用意すること」
エレノアはその言葉を受け止め、静かに答えた。
「その通りよ。だから今、単発の偶発で終わらせずに、次に繋げる仕掛けを作ろうとしているの。参加のハードルを下げて、居心地のいい‘小さな居場所’を点在させるつもり」
ライラは眼鏡越しにエレノアをじっと見て、にやりと笑った。
「なるほど。では提案よ。あなたと私で手を組めばいい。あなたの企画力と私の保守的なファン基盤を合わせれば、数字も質も伸びるわ」
その言葉に、控室の空気がぴりりと緊張する。セシルがわずかに眉を動かし、ユーディは即座にデータの想定を切り替える。
エレノアは一呼吸置いてから、柔らかく笑う。「提案はありがたいわ。でも、私は私のやり方でやりたい。あなたのやり方が悪いとは言わない。ただ、私の目的は注目だけじゃない。次に続く場を増やしたいの」
ライラは肩をすくめて立ち上がる。「ふん。あなたが本当に場を作るというのなら、私は見届けるわ。でも、競争は容赦しない。覚悟して」
そして軽やかに去って行った。扉の音が消えた後、控室には少しの静けさが残る。
「ライラを敵に回すのは得策か?」
ユーディが静かに問う。セシルが答える。
「彼女は自分のファン層を守るために動くだろう。だが、共同すれば確かに持続性は高まる。問題はどこまで妥協するかだ」
エレノアはノートを指で弾き、考え込む。ライラの言葉は侮れないが、同時に利用できる余地もある。競争は場を活性化するが、過度の対立は好感度を下げる可能性がある。
昼休み、学園広場に「ボランティアコーナー」の小さなブースが並んだ。手作りの看板、簡単な作業説明、そして“参加すると小さな缶バッジがもらえる”という気軽なインセンティブ。エレノアは一人で立って、通りすがりの生徒ににこやかに声をかける。
「ちょっとだけ手伝ってくれない? すぐ終わるし、あなたの名前で記録に残るのよ」
生徒たちは興味深そうに覗き込み、数人が足を止める。中には最初は遠慮がちだった生徒も、他の人の笑顔を見て参加を決める。巻き込まれ方は自然で、無理がない。
午後、掲示板の反応は再び動いた。先日の“助け合い”の話題に触発され、実際に参加した生徒の画像や短い感想が上がりはじめる。「ちょっと手伝っただけで気持ちよかった」「初めて学園に貢献した気分」──短い言葉が続く。
その夜、エレノアはノートを開き、今日の数値とコメントを洗い出す。参加率、滞在時間、満足度。数字は確かに伸びている。だが、ライラの影は消えない。彼女がどのように対抗してくるか――それを予測するために、エレノアは新たな仮説を立て始めた。
「場を育てるには、信頼が必要だ」
ユーディが静かに言う。エレノアは小さく笑みを浮かべ、ペンを取り出す。「信頼を得るために、まずは一貫性を示す。私が目指すのは‘戻ってくる理由’を作ること。それを壊すような安易な仕掛けは使わない」
窓の外では、学園の夜景が柔らかく光る。エレノアはその光を見つめながら、自分の設計図に新しいページをめくった。競争も炎上も、すべては次の“場”をどう守るかのための材料だ。彼女は息を整え、翌日に控えた更なる施策を静かに練り始めた。
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