第2話 春休み突入、僕は君と再会する。
春休みに入って、一週間経っていた。
夏の住んでいるのは、愛知県名古屋市西区にある栄生(さこう)という場所だ。名鉄栄生駅から電車を使えば、数分で名鉄名古屋駅まで行けるくらい利便性があり、比較的都会だ。だが、西区の下町感も街の雰囲気から出ている。
「やっぱりめんどくさい」
夏は、栄生駅前のスクランブル交差点を歩いて栄生駅の改札へと向かっている。
「ん?」
栄生駅の改札前の右側にある、アイスの自動販売機の前で羽衣をまとっている少女が立っていた。ピンク色の羽衣で透き通っている。
夏の視線は、自然とその少女に吸い寄せられている。
「すみません」
少女は、不安そうな表情で声を発した。
「はい? 僕ですか?」
「はい。そうです」
「えーっと、それで何か用ですか?」
「間違っていたら失礼ですけど、もしかして夏くんですか?」
「はい、そうですけど」
その返答を聞いて、少女の顔が一気に明るくなった。まるで、やっと救われるみたいな表情だ。
「やっぱりそうだ! 夏くんだ! 久しぶり!」
「久しぶり? 多分、人違いかもしれないよ。僕の名前は、確かに夏だけど他の夏ってやつかもしれないし」
「あー、確かに。でも、夏くんは今、西高校に通ってるでしょ?」
「え、うん。名古屋西高校に通っている」
「じゃあ間違いないよー。私の知ってる夏くんだよ」
夏は、困惑した表情をする。
「ごめん。本当に僕は、君のこと知らないんだ。名前も思い出せない」
「中学三年の時、私に告白したのに?」
「告白?」
「うん。好きって言ってくれたじゃん」
「え? さ、皐月?」
「うん。そうだよ。皐月だよ」
夏は、皐月の全身を上から下までゆっくりと見て、首を傾げる。
「え、皐月ってこんな感じだったっけ?」
「こんな感じだよー。なんで忘れてるの?」
「てか、振った男と会ってよく冷静に喋れてるね」
「まあ、私は神経が図太いで有名だからね。余裕だよ」
皐月は得意げに笑った。その笑顔を見て、夏の脳内に電撃のようなものが走り、夏は痛がりながら右手で頭を押さえる。
「い・・・・・・って」
「どうしたの? 大丈夫?」
「うん。大丈夫」
「なら良かった」
夏は、深く深呼吸をする。
「それで? 僕が全く身に覚えのない皐月はここで何をしてるの? 変な羽衣まで着て」
皐月は、再び不安そうな表情に戻る。
「なんかこの世界の人間全員が、私のことを忘れちゃったみたい」
無理やり作った笑顔を皐月は夏へと見せる。その笑顔は明らかに心細いのを表している。
「忘れた? 本当に誰も皐月のことを覚えてないのか?」
「うん。そうみたい」
「そんなことあるもんか」
「本当だもん。現に、夏は私のことを鮮明に覚えてないでしょ?」
「まあ、言われてみれば確かに。皐月って名前は覚えてるけど、顔までは全く思い出せない」
「でしよ。なんかよく分からないことになってる。どうしよう?」
「どうしようって言われても。どうしよう?」
「私に聞かないでよ。聞いてるのは私!」
「いや、僕に聞いても分かるわけがないでしょ」
「まあ、そうだけど・・・・・・」
「悪いけど他の知り合いに当たって。僕はこれから本屋に行ってのんびりする予定があるんだ」
夏は、ポケットから交通系カードを取り出して改札へ向かうとする。皐月は、夏の右腕を掴んで止める。
「そんな! 見捨てないでよ! あと、他の知り合いの子たちにも話しかけたけど、誰って言われたし、変な子扱いされたー!」
「分かった、分かったよ!」
皐月は、夏の腕からそっと手を離して嬉しそうな顔を見せる。
「ありがとう!」
「てか、皐月ってそんなキャラだったっけ? ほら、もっとお淑やかっていうか、落ち着いていたというか」
「それは覚えてないからそう思うだけだよ。これが私」
夏は、難しい顔をして首を傾げる。
「皐月の言うことが全部本当なら、そうかもね」
「本当だもん!」
「分かったって。それで、これからどうする?」
「えーっと、分かんない」
「おい。じゃあ、とりあえず青菜に会いに行くか」
「青菜? 久しぶりに名前聞いた!」
「そうなんだ。会うのは中学卒業ぶり?」
「うん! 青菜は元気にやってる?」
「やってるよ。相変わらず、勉強できるし」
「さすが青菜だね。真面目は良いことだよ」
「不真面目ですいませんでしたね。青菜と違って、どうせ僕は勉強できませんよー」
「もー、そんな卑下しないでよー。明るく行こ!」
夏は、ふっと微笑む。
「それじゃあ皐月の言う通り、明るく青菜に会いに行くか」
「うん!」
二人は、改札を通って、電車に乗った。
名古屋駅の金時計側の出口からすぐ左に、大きなエスカレータがある。それは、タカシマヤゲートタワーモールへ向かっている。名鉄、地下鉄、百貨店などに繋がっていて、詳細を説明し出すとキリが無い。ゲートタワーモールの部分だけで言うと、全八フロアあって、ファッションやカフェなど様々ある。
そこで、夏と皐月は、建物内にもあるエスカレーターを使って八階まで来ていた。
皐月は、嫌そうな顔をする。
「図書かーん?」
「書店な。図書館じゃない」
「同じじゃん。どっちも本がある」
「バカか。書店は、本を売っているところ、図書館は、本を貸し出しているところだ」
「へー、そうなんだー」
「やっぱり、皐月はちゃんと勉強した方がいいよ。そうすれば、もっと本に触れられる。きっと、皐月の嫌いな本の良さに気づけるさ」
「知ってる? 私と本は、水と油なんだよ? それに夏にだけは言われたくない」
「おい」
「それでここに青菜がいるの?」
「ん? ああ、そう、いるよ。というか、今日二人で会う約束してたんだよ」
皐月は、興味なさげな顔をする。
「そうなんだー」
「そうそう。青菜は多分、ラノベのコーナーにいると思う」
「分かった。行こ!」
「あ、ああ」
二人は、書店に入り込んでいく。
ここはエスカレーターを中心にして、一フロア全てが書店になっている。たくさんの本棚があって、それぞれコーナー分けもされている。それゆえに、目的の本を探すのはかなりの手間がかかる。
ラノベのコーナーは、漫画の近くの角にひっそりとある。二人は、そこで立ち読みをしている少女を見つけた。
夏は、安心した表情をする。
「青菜」
少女は、チラッと右横を向く。
「あ、夏。ちょっと遅刻だよ」
「ごめん、予想外のハプニングがあってさ」
「ハプニング?」
「うん。皐月なんだけど・・・・・・」
夏は、ゆっくりと視線を皐月に移す。それに釣られて、青菜も夏の横にいる皐月のことを見る。
青菜は、きょとんとした顔をする。
「この子、夏の知り合い?」
皐月は、その言葉を聞いて悲しそうな顔をする。夏は、その皐月の様子を心配そうな表情で見ている。
「青菜。信じられないかもしれないんだけど、皐月、この子は青菜もよく知っている人なんだ」
「んーっと、ごめんね。初対面だと思うんだけど」
「青菜は、この子と中学生の時に出会ってから、よく遊ぶ仲だった」
「本当にごめん。知らない」
「え? 卒業式の日はまだ覚えてたはずなのになんで?」
皐月は、夏の困惑している表情をチラッと見て、青菜に近づく。
「ごめんね。私のこと分からない、よね」
「う、うん。こっちこそ、覚えてなくてごめんなさい」
「敬語じゃなくていいよ。同い年だし、昔からの知り合いから敬語で話されるとなんだか気持ち悪い」
「分かった。じゃあ、タメ口で。それと名前は確か」
「犬井皐月。改めてよろしく」
「皐月ね。状況から察するに、私の自己紹介は不要だよね」
「うん、大丈夫。青菜のことは鮮明に覚えてるよ」
夏は、真剣な顔で皐月のことを見る。
「いや、皐月はみんなのこと覚えてるでしょ。忘れてるのは、僕らだけ」
「そうだね」
皐月は、不安さを感じる笑顔をする。
青菜は、やや周囲を気にする様子を見せる。
「ねえ、夏。なんかちらちらと細かい視線を通行人から感じるんだけど何かした?」
「いや、僕はなんもしてないよ」
「それじゃあ、なんで?」
「多分、原因は・・・・・・」
夏は、皐月のまとっている羽衣に視線をやる。
「え? 私?!」
「違う。皐月がってよりかは、皐月のつけているその羽衣だと思う」
「これ?」
「うん。なんか見方によっては、コスプレでつけているようにも見えなくもない。端的に言えば、変な子」
「夏もそんな酷い扱いするんだー」
「いやいや、客観的に見てってことだから。僕の意見じゃない」
「嘘だ」
青菜は、皐月の羽衣をじっと見つめる。
「確かに」
「なに? 青菜まで変な子って言いたいの?」
「そこまでは言わないよ。少なくとも、書店には似合わない格好だと思う。もちろん客観的に見て」
「もー! 二人とも酷いよー!」
皐月の声が響く。その声を聞いて、近くの店員がごほんと咳払いをした。
三人とも、申し訳なさそうな顔をする。
「場所、変えない?」
青菜は、小さく声を出した。夏と皐月は、小さく頷いた。
三人は、十二階のレストラン街にあるカレー屋に来ていた。全員注文したご飯は食べ終わっていて、手元には空になった食器と半分くらい水が入ったグラスが置いてある。
青菜は、一口水を飲む。
「ふー。それで何があったの? 皐月が説明するより夏が説明して欲しい」
「え? なんで、僕?」
「皐月の記憶がない人が、説明した方が私は分かりやすい」
「分かった」
夏は、今日起こったことを全て青菜に話した。事実だけでなく、主観も含めてだ。
青菜は、難しい表情をする。
「つまり、私たちには皐月の記憶がなくて、皐月はその羽衣をわけもわからず着ているってこと?」
「超絶簡単に言うとそんな感じ。それで困って、青菜なら皐月のこと覚えてるかもって思ったんだけど」
「ダメだったってわけだね」
「うん。もしかしたら全世界の人間が皐月のことを忘れてるのかも」
青菜は、数秒考え込む。
「皐月?」
「ん? なに?」
「ご両親はどうだった? 皐月のこと、覚えてた?」
「・・・・・・」
「あーっと、答えたくなかったら大丈夫だよ」
「大丈夫、答えられる」
皐月は、つばをごくりと飲み込む。
「パパとママはね、私のことを覚えてないどころか見えてなかった」
「見えてなかった? 話しかけたの?」
「話しかけたよ。でも、なんの反応もしてくれないし、そもそも視界に入ってない感じがした」
「そうだったんだ。ちょっと前にご両親と喧嘩したとか、皐月との関係で変わったことはない?」
「特になかった」
「ないかー」
「あ、でも一つだけ、心の中でモヤモヤしてることがある」
「なに?」
「私は、どこかに行かないといけなかった気がする」
「どこか? 場所は分からないの?」
「うん、分からない。だけど、そろそろ行く時がくるってことは感じてる。それ以上は何にも思い浮かばないし、感じない」
「行く時がくる・・・・・・どこかへ・・・・・・」
青菜は、真剣な表情で夏の顔を見る。
「皐月はきっと何かに巻き込まれてるんじゃない? ほら、例えば超常現象的な何かが起こって、周囲からだんだん見えなくなっていくとか」
「ラノベの見過ぎでしょ」
「じゃあ、目の前の出来事を夏はどうやって説明するの?」
「うーん、まあ、仮に何かしらの超常現象だとして、僕らはどうやってそれを解決するの?」
「そこなんだよね。皐月のご両親は見えてなくて、私たちには見えてるのもよく分からないし」
「うーん。ん?」
突然、夏のスマホに着信が入った。バイブレーションをしているスマホの画面を見ると、そこには蟹田友樹と書いてある。
「ごめん、ちょっと電話」
夏は、応答ボタンを押す。
「あ、もしもし?」
「お! 夏! 今ちょっといいか?」
「まあ、大丈夫じゃないがいいよ」
「え? 取り込み中なら全然掛け直すけど」
「大丈夫。それで用件は?」
「えーっとな、この前電話で話した中学の同窓会の話あっただろ?」
「うん。皐月も来るって言ってたやつか」
「そうそう。日程と場所が決まったから電話してみた」
「メッセージでよかったのに」
「いや、なんとなく電話しそうと思っただけ。まあ、どうせ夏は既読だけして返信しないからよかったかも」
「間違いない・・・・・・ってちょっと待って!」
「どうした? そんな大きな声出して。電話越しでも伝わるくらいうるさいぞ」
「ごめん。ちょっと驚いて」
「それで? 何に驚いたんだ?」
「確認したいんだけど、友樹は皐月のこと覚えてるの?」
「当たり前だろ。夏の初恋の相手で、夏はその子に振られた。これで満足か?」
「うん。ありがとう」
「なんだよ。これのどこに驚く要素があったんだよ」
「こっちの話。あんまり気にしないで」
「分かった」
「あ、同窓会の日程を教えて欲しい」
「お、夏もついに行く気になったか。良かった、良かった」
「気まぐれだよ」
「理由なんてなんでもいいさ。それじゃあ、言うな」
「うん」
「来週の土曜日、十八時に中学校集合になったからよろしく」
「分かった。わざわざ電話してくれてありがとう」
「はいよ。また当日にな」
「うん。また」
夏は、電話を切る。皐月と青菜は夏の様子を疑問そうな顔で見ている。
「皐月、良かったね」
「え? なにが?」
「蟹田友樹って覚えてる?」
「うん。覚えてるよ。でも、私その人と一回くらいしか話したことないよ」
「そうなの?」
「うん。それでその人がどうかしたの?」
「それが皐月のこと、覚えてるって言ってた」
皐月は、不思議そうな顔をしている。
青菜は、また何か考え込む。
「青菜、どうしたの?」
「夏。なんで友樹は皐月のことを覚えてるんだろう。私はすっからかんで、夏でさえもちょっと忘れかけてるんでしょ」
「まあ、確かに。なんでだ?」
「うーん。行き詰まったね」
「あ、そうそう。二人とも友樹から同窓会の話聞いた?」
青菜と皐月は、夏の質問に対して頷く。
「さっきの電話はそのことだったんだけど、同窓会行ってみない? もしかしたら何か分かるかもしれないし」
青菜は、心配そうな顔で皐月のことを見る。
「私は全然大丈夫だけど、皐月が・・・・・・」
「大丈夫だよ。ずっとこのままは嫌だし、モヤモヤしっぱなしも嫌だから私も行く」
夏は、皐月の目を見てゆっくりと頷く。
「分かった。友樹には僕から連絡しておく。青菜と皐月も行くって」
「ありがとう」
「それじゃあ、今日は一旦帰ろう。皐月は家に帰っても平気?」
「うん、大丈夫。パパとママは見えてないだけだし、ご飯とか飲み物は冷蔵庫から取って食べるから」
「分かった。またなんかあったり、分かったりしたら教えて」
「うん。ありがとう」
三人は、会計を済ませてそれぞれの家へと帰って行った。
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