時の流れは残酷で……

七乃はふと

一世紀待ったこの出会い

 私は百年間売れ残った時計だ。その私を拾い上げたのは、妙齢の女性だった。私を持ち上げ様々な角度から観察すると「これに決めた。よろしくね」と赤ん坊を抱き上げるように持ち上げられた。

 その笑顔は超新星爆発間近の恒星のような明るさだった。

 ラッピングによって遮られていた視界が突然開ける。

 私を選んだ女性と、幼さの中にしなやかな美しさを備えた少女の姿。

 二人が私のことで話してる。どうやら妙齢の女性は一人娘の少女の入学祝いとして、置き時計の私をプレゼントに贈ったらしい。

 制服を着た十代半ばの娘に贈るには、いささか渋くないのだろうか。と、突っ込んでみたがもちろん聞こえない。

 少女は私を自室に持っていくと、勉強机に置いた。部屋着に着替えて椅子に座ると、すぐさま携帯を取り出した。ほらもう飽きているじゃないか。これは一週間以内に時計屋に里帰り――突然背面のダイヤルを触られた。携帯を見ながらもこちらに向ける眼差しは抜刀した真剣そのもの。

 ダイヤルが回され、動かされた長針と短針がある位置で止められた。携帯を見ていた少女が「良し」と言ったところで現在時刻を合わせていた事に気づく。目覚ましの設定を済ませた少女は空気抵抗を感じさせない動きでベッドに潜り込むと、私に向かって「今日からよろしくね」と言って電気を消した。


 私は定期メンテナンスを受けるため月に一度、実家の時計屋に運ばれる。メンテしてくれるのはこの街の全ての時計を作ったと豪語する時計職人。

 診てもらった結果。部品交換や外装に傷は見つからなかったそうで、「だいぶ大切に扱われているな」と、お墨付きをもらった。


 彼女の朝は早い。朝の六時。ヘッドボードに置かれた私は約束の目覚ましを鳴らす。すると毛布に包まっていた彼女の上半身が起き上がり、伸びた腕が的確に目覚ましをストップさせる。

 少女は疾風のように着替えを済ませると、扉を開け、朝食の匂い漂う階下へと降りていく。

 朝食を済ませたらすぐに出かけるのはいいが、おっちょこちょいなのか、週の半分は母親に呼び止められて、手作りのお弁当を受け取る声が聞こえた。


 近況を聞く時計職人がこんな質問をしてきた「その子の着替え一部始終見てるのか」下品な質問への返答として、長針と短針で指を挟んでやった。


 彼女はよく同性の友達を連れてくる。内容は授業の事、流行りのファッション、そして色恋。姦しい彼女たちの会話だが、時計である私は左から右に流す。

 ある時、友達が私に目を付けた「なんか地味じゃない? 」悪意はないとは分かっていても、どこかで部品が軋む。それを聞いた少女は「いいの。私は気に入ってるんだから」と言ってくれた。それを見た友達も「失言だった」と謝る。

 二人の関係の深さに、私は出来る限り力になりたいと考えた末、ある考えが閃いたので、それを実践している。

 二人が部屋で遊んで笑顔の時はチックッタックッと針をほんの僅かゆっくりと動かし、テスト勉強やエアコンが壊れて今にも頭から煙が上がりそうな時は、チッタクチッタクと針を早めた。

 友達は終始気付かなかったが、少女の方はというと、「今日めちゃくちゃ長く遊べてない?」「もうこんな時間経ってる! 」ほんのりと気付いてくれただけで、私は満足だった。


「あんまり、使いすぎるなよ」

 その時は時計職人に刺された釘の意味が分からなかった。


 少女は帰ってくるなり、制服のままベッドに飛び込むとそのまま寝息を立ててしまう。いつもの時間より十五分ほど早く起きているからだ。今までお弁当を持って行っていたのに、今は近くのコンビニでお昼を買っている話を聞いた。

 昼寝から目覚めて欠伸をしながら部屋着に着替え、寝転がりながら携帯の動画を見始めた。そこには、今まで見たことのない少女の姿。

 体育館でレオタード着て舞い踊る少女。手に持つ桃色のリボンが無重力空間を泳ぎ、先を進む少女に追従している。少女が円を描けば、リボンがその周りを桜の花びらのように舞っていた。

 体育館に咲いた満開の桜の木の周囲には、男女の生徒が目を奪われている。口を開けて魅入っている彼らの中に違和感を感じた。

 少女が自分のフォームを確認するため、何度も最初から見直す。やはりギャラリーの中、一人の男子生徒だけ様子が違う。同じようにほっぺを赤くしているのだが、両隣の男子生徒の眼前に向けて必死に手を伸ばしていた。

 その姿を少女も気づいていたようで「なにやってんだか」と吹き出していた。

 二人は、そういう関係なのか。私は無意識のうちに動画のシークバーを進めたり戻したりしてしまった。

 驚いた少女の声で、すぐに止めた。犯人である私の事はバレなかったが、携帯が身代わりとなってしまった。


 その日は激しい雨が降っていた。


 ドアが蹴破られるように開いた。

 少女がずぶ濡れで飛び込んできたのだ。

 水を吸った制服のままベッドに飛び込んだ。顔は見えないが、小刻みに肩が震えているのが見えた。その震えは次第に大きくなり、同時にくぐもった啜り泣きの音。

 泣きながら、同じ言葉を呟いていた。私はそれを解読しようと、懸命に耳を傾けた。

「お母さん。お母さん」

 それだけで、事情が飲み込めた。直後、私の中の歯車に大きくヒビが走った。


 少女の心の穴はかなりの大きさだと、時計の私にも容易に予想ができた。

 線香の匂いに包まれて帰ってきた少女は着替えもせず、ベッドで座り込んでしまう。食事も取らず、その場で石像のように動かない。夜になっても電気をつけず、偶に部屋を出でも二分ほどで戻ってきては、ベッドの上で同じ姿勢をとる。

 玄関のチャイムが鳴っても無視。携帯がなっても無視。もちろん私の目覚ましも無視。

 そんな日々が続く中、窓の外から少女を呼ぶ声。いつも遊んでいた友達だった。

 少女はよろよろと窓に近づくと、友達が気づいたのか、外から声をかけている。

 最初は学校の事など他愛ない事だったが、ある一言が少女の雰囲気を変えてしまう。

「お母さんの死はアタシも悲しいよ。でもさ、で閉じこもってたら――」

「そんな事? あなたにはそんな事でしょうけど、わたしの大好きなお母さんは死んじゃったの。わたしのせいで死んじゃったんだから!」

 少女はバンと音を立てて窓を閉めてしまう。

 外からは、友達の嗚咽混じりの謝罪の声が聞こえていたが、降り始めた雨音によってかき消されてしまった。

「死にたい。お母さんに会って謝りたいよ」

 死。時計であるわたしには縁のない言葉。知ってはいるが他人事だった言葉。

 少女が死にたいと言った途端、私は悟った。少女は死のうとしている。

 フラフラと立ち上がると、部屋から出ようとしていた。駄目だ。出たら少女は戻ってこない。しかし私には少女に駆け寄って縮こまった背中を撫でる手足はなかった。

 携帯が鳴る。少女は画面を確認するも足は止まらない。

 だから私は唯一止められる針を止めた。

「あんまり、使いすぎるなよ」

 一瞬時計職人の言葉が思い出されたが、躊躇っている時間はなかった。

 世界が暗室のような緑に包まれる。

 少女は目を擦りながらドアノブに手をかける。

 開かない。ノブがびくともしないのだ。

 体当たりしても開かないので、窓へ向かう。もちろん開かない。鍵は空いているが一ミリも開かない。

 助けを求めようとしたのか、ベッドに置かれていた携帯を触って固まる。

 もちろん携帯の時も止まっている。まるで接着剤で固定されたように、シーツにくっついていた。

 少女は床を踏みつけ、壁を叩いて大声で助けを求める。

 でもそれは無駄な事だった。私は少女以外の時を止めたのだから。

 時を止めてしまえば、楽しいことができなくなる。だから私は少女以外を止めた。なのに何故あんなに苦しんでいる。

 助けが来ず、疲れ果てた少女はヒューヒューと今にも消えてしまいそうなか細い呼吸をしている。

 私は何か間違えたのか? しかしなにが間違っているのか分からない。

「使いすぎるなって、わしは言ったぞ」

 時計職人、頼む、教えてくれ。

「これは、お前が招いた事態だ。お前で解決しないといかん」

どうすればいいんだ。もったいぶらずに……。

「お前の電源をオフにするんだ」 

 なら簡単、いや無理だ。

 私の時は止まっていない。しかし私には手足がないから、自分をオフにできない。

 時計職人――。

「これはお前たちの問題だ。ワシがやったら何の解決にもならん。考えろ」

 それきり、声は聞こえなくなってしまった。

 少女が首を手で抑え、両足をバタバタ動かして苦しげに呻く。

 このままでは死んでしまう。

 私は死に抗う少女を見て、ある考えに至った。

 部屋にベルが鳴り響くと、虚な少女の目に微かな光。

 そうだ。こっちだ。

 ベルを鳴らし続ける。

 少女がベッドから転がり落ちながら、目覚ましを止めるボタンを押すが、時が止まっているので押せない。

 私は止めることが出来るのに、鳴らし続けた。

 立ち上がった少女が私を両手で鷲掴みにすると、

「ああああああああああああああっ」

 渾身の力を込めて床に叩きつけてくれた。

 砕け散る私が、最期に見たものは、携帯で助けを呼ぶ少女の後ろ姿だった。


「おい、起きろ」

 時計職人、私は一体。

「修理依頼をもらってな、今終わったところだ」

 誰が、そんな依頼を……まさか。

「そのまさかだよ」


 少女は無事に救助されていた。その後、同級生より一年遅れて卒業した後、あの動画の青年と結婚。今では一児の母になっていた。

 彼女は私を恨んでいなかった。むしろ目覚ましが鳴ったことで助けられたと思っていた。

 私は真実を伝えられないまま家族の成長を見届け、そして少女は穏やかに齢を重ね、高校からの友達や家族に囲まれて微笑みながら永遠の眠りについた。


 今日はお礼と最後のメンテナンスをお願いしにきました。

「一緒に入るのに動かす必要あるのか」

 ええ。向こうでも正確な時を知りたいと、彼女が遺したので。それに……。


 こうして私は彼女の腕時計になった。あの時、言えなかった事を伝えるために。

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時の流れは残酷で…… 七乃はふと @hahuto

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