僕らが往く道、僕らが来た道
うしき
水辺
俺は死んだ。それは間違いない。
気付いたらここにいた。海なのか、湖なのか、ひょっとした長大な河なのかもしれない。その水辺に俺は体育座りでたたずんでいた。
さっき来たばかりのような気もするし、もう何十年もここにいる気もする。
ぼんやりと水平線の向こうに見える光を見ている。朝日のようでもあり、夕日のようにも見えるその光を。
辺りは静かで、足元で白い砂を洗う波音と、ときおり優しく吹く風の音しか聞こえない。
キラキラと宝石が躍るような水面を眺めていると、近くでサクリ、と足音がした。
「や、待たせたかい」
その声の主を確かめようと、俺は顔を上げる。そこに居たのは和装の青年だった。年は俺と同じくらい、にこりと笑う顔になぜか見覚えがある気がした。
「俺は幸吉ってもんだ。こういうのは、親か祖父母ってのが常なんだがね。君は親や祖父母より先に来ちまったからな」
そう言うと青年は俺の隣に座った。同じように水面を眺め、そして微笑んだ。
「健一ってぇ名前に覚えはあるか」
「健一? あぁ、爺ちゃんですね」
父方の祖父が健一だった。八十も近いが、畑に田んぼにとにかく元気な爺ちゃんだ。あの爺ちゃんより、俺は先にここに来てしまった。
「あれは、健一は俺の息子だ。つまり俺はお前さんの曽爺ちゃんてことだな」
そう言って青年は照れくさそうに笑った。
その時俺は思い出した。爺ちゃんの家に掛けられた遺影。その中でも若くて、朗らかな笑顔をした物を。あれは確か、戦争に行って亡くなった爺ちゃんの父ちゃん。この青年は、その顔によく似ていた。
「健一は達者か?」
「俺より元気ですよ」
笑いながらそう言う俺を、曽爺ちゃんは嬉しそうに眺めていた。
「幸吉さん、ここはあの世ってやつですか?」
「ちっと違うんだな。ここはお前さんの記憶の中さ」
「記憶? でも、俺は幸吉さんの事は遺影でしか見たこと無いし、それに死んでるし……」
「そんなに難しく考えなさんな。頭じゃなくて、ここの記憶さ」
そう言って、曽爺ちゃんは自分の胸をとんとんと叩いた。
「心の記憶?」
俺は曽爺ちゃんの目を見て言う。その目が少し細められた。
「いや、身体だよ。お前さんへと、親から、さらにその親からと連鎖してきた物さ」
それを聞いて、俺は自分の胸に何か、暖かい物が広がった気がした。つま先を優しく波が洗った。
「曽爺ちゃん、俺、子供なんていないし、やりたかった事だっていっぱいあったんだ」
水平線を見つめる俺の頬に、とめどなく熱いものが流れた。波の上をすべる風が、音をたてた。
「ここの記憶は、所詮は器だけさ。お前さんが、与えられた器に入れた物があるだろう。人からもらったり、自分で拾ったりしたな」
そう言う曽爺ちゃんの声は優しかった。
「教えてくれよ。俺の、俺たちの紡いだ物を受け取ったお前さんがどう生きたか、どう生きたかったのかを」
「俺、大学に行ったんだ……」
「大学たぁ、すげぇじゃねぇか!」
俺は涙声で満足に言葉が続かない、それでも曽爺ちゃんは一言毎に驚き、喜び、時には怒ってくれた。
どれだけ話しても、話は尽きない。穏やかな光はいつまでも変わることなく俺たちを照らしていた。
「ここに来るのは、お前さんみたいに物事がわかるやつばかりじゃない」
そう言いながら曽爺ちゃんは立ち上がって、服に付いた白く細かな砂をぱんぱんと払った。
「赤ん坊や、子供だって来るんだ」
少し目を細めながら、曽爺ちゃんは俺に手を差し出した。俺はその手をしっかりと握り、立ち上がる。曽爺ちゃんの手は、固く、それでいて暖かく、しっかりと俺の手を握ってくれた。
その時、すぐそばに真っ白な髭を蓄えた老人がいることに気付いた。しかめっ面で、なんだか機嫌が悪そうだ。
「ばかもん、いつまで油を売っとる! 皆さん待っておるんだぞ!」
老人はそれだけ言うと、遠くへと歩いて行く。俺はその背中を眺めていた。
「すまんな、あれは俺の爺さんだ」
曽爺ちゃんが苦笑いをする。曽爺ちゃんの爺ちゃんて、一体何代前になるのだろう。ぱっと考え付かない。
「みんなお前さんの話を聞きたがってるのさ」
「俺の話?」
「そうさ。教えてやってくれ、お前さんが来た道を」
不思議と俺は穏やかな気持ちになった。そして、故郷へ帰るような、懐かしさと寂しさが胸の奥を通り過ぎた。
そして、ふと疑問に思いたずねた。
「この水辺はどこまで続いてるの?」
「さぁなぁ……。ざっと三十五億年分はあるんじゃないのかい」
「俺たちが往く道の先は長いの?」
「長い長い、なんせ三十五億年分もあるからな」
はっはっはっと笑いながら先を行く曽爺ちゃんを、俺は追いかけた。この道は、往く道なのか、帰る道なのか、二人の足跡を波と風が洗い流していく。
あの光は、今も昔も変わらずに俺を照らしていたのだと思う。そして、これから先も変わらないだろう。
風を受けた水面が、わずかに煌めいた。
僕らが往く道、僕らが来た道 うしき @usikey
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