第6-1話 世界崩壊の授業 ①創造神コウと真実の告白 



 現れたのは、ジャージ姿のサラだった。

 セイはガタンと音を出して立ち上がる。


「サラ?! なんで?! じゃあサラがここに連れてきたの?!」


 なんでわざわざそんなことした?

 でもなんか、違和感がある。


 “サラが”、こんなことをするのか?


 疑問をサラは両手を元気一杯に振り上書きした。


「おはよう! こんにちは! こんばんは! サラだよ!」


 サラは教卓の前で《白い男》と共に並ぶ。

 男は、呑気な態度で出席簿を持っていた。


「ほら席座れ~頭を垂れよ~」


 お前かよ……ッ!

 拳を握りしめ、唇を噛んだ。

 男は、堂々と腕を組み胸を張る。


「そういえば自己紹介がまだだったな、セイ・カボルトよ」


 教卓の上へ駆け上がる。腕を高らかに天井へ掲げ、彼独自のハンドサインで己の存在感を見せつけた。


「称えろ! 崇めろ! 敬え! 物質を創りし原初の一柱、この俺“創造神コウ”が、お前を助けに来てやった!」


 コイツやっぱりバカだ。

 なぁにが創造神だ、騒々(そうぞう)神だろ漢字違うぞ。

 サラがコウの足袖をぐいっと掴んだ。


「コウちゃんほら降りて」

「はいよ」


 どん、と重たい振動が響く。


 俺はコウを、じっとり睨んでいた。

 一つだけ言えることがある。

 コイツだけは、信用してはならない。

 サラが続けた。


「コウちゃんは、こんなんだけど、本当に創造神だよ、ね? チャドちゃん」


 赤い目を向けられたチャドは、震えていた。

 恐ろしいという感情すら超越した、畏怖の感情。あまりに怯える彼は、長い尻尾を自身に巻き付け、落ち着かせるように毛並みを撫でていた。


「は、はいッ! コウ様は、間違い無く、創造の神です」


 コウが名を呼ぶ。


「───チャド」


 低く、冷たい声。

 コウから名を呼ばれたチャドは体を硬直させ、息を止めた。

 まるで心臓を鷲掴みにされたような、異様なプレッシャー。


「席外せ。ここから先は、一介の悪魔が聞いていい内容じゃねぇよ」

「はッ! 失礼致しました!」


 チャドは椅子から飛び出すと床に膝をつけ、頭を深く下げると敬意を示す。一拍、礼を終えた彼は、手を触れずに窓ガラスを開けた。

 蝙蝠の翼が、開く。悪魔が教室から逃げ出した。

 かちゃんと、窓ガラスがひとりでに閉まる。

 生徒たちはざわざわと小声を漏らす。


「悪魔? チャドくんが?」

「今誰か窓開けた?」


 困惑のざわめき。疑問だらけのざわめき。

 そんな中、セイが呟いた。


「チャドが逃げるほど、お前ら本当に偉いんだ」


 アイツは正直、外道だった。

 ゲームで容赦なかったし、平気で嘘をつくし、勝つためならなにをしてもいい価値観が見えた。

 そんな悪魔が、コウの言葉一つで簡単に逃げ出した。


「なんなんだ、お前」


 コウは神らしい。あれ。それじゃあ、サラは?

 そういえば、サラのことは何も知らない。


 生徒たちは、いつもと違う先生と、日常からかけはなれた空気に圧倒される。

 カチ。カチ。

 時計の針が進む度、誰も話さなくなっていく。


 何かが、起きようとしている。


 生徒たちの意見は一致していた。

 コウは生徒の困惑や驚愕の表情を眺めながら、教師用の椅子を引き連れ教卓で頬杖をついた。

 黒い目でじっとりと、セイの様子を観察して、より一層低い声で忠告する。


「セイ・カボルト、あらかじめ言っておく。俺を侮辱するのは許さないが、サラを侮辱するのはもっと許さねぇ。傾聴しろ」


 コウはくるりと回り、黒板へ顔を向け、チョークで図を画く。

 サラはコウが会話のバトンを自分へ差し出したと判断し、生徒を見渡した。


「本題に入ろう」


 サラの声が、教室の困惑を鎮める。

 息を飲む音。

 椅子が軋む音。

 みんなが、サラを見ていた。


「この世界は、全て偽物だ」


 セイが言葉にしかけたその時、コウが口を動かす。


「まぁ、俺を疑うのも無理はない。こんな状況、俺がお前の立場なら、即ッ、逃げ出して家に帰りふて寝するだろう」

「やろうかな俺それ」

「やりたいならやってみろ。家に帰ったとて、居るのは偽りのご両親だ」


 コウは勢いよく立ち上がり、椅子がガタンと壁にぶつかる。

 ───これが、日常崩壊の合図だった。



「お前ら! 昨日の記憶を言ってみろ! 昨日は何を食べた? 両親の名前は? なんも答えられねぇよな!」


 誰も、動かない。

 誰も、答えない。

 世界の音が、たった一言で奪われた。


「そういえば、なんも、覚えてない」

「コウせんせいどういうこと?」

「お母さ……お母さんどこ?! 家は?! どこ!」 


 一人でも精神が乱れば、二人、三人と増え、やがて集団に伝染する。教室内は混乱で満たされ、一人教室から飛び出した。椅子が倒れる音と共に、崩れるように数多の子供も走り出す。

 重なる困惑と悲鳴。

 狂乱の教室。


 ───日常が、崩壊する。


 コウ《神》が、真実を口にした。


「人間どもは、“今日のために作られた人形”だ。植え付けられた記憶も感情も、全て紛い物。ここは偽物しかいない世界だぞ」


 しん、と教室は静寂で包まれ、窓ガラスが風で揺れる音が、やけに鼓膜の中で響く。子供はまだ数名居るというのに、教室の空気はずしりと重たく、誰も、口を開かない。

 コウが問う。


「これでも、家に帰りたいか?」


 セイは静かに、首を横に振った。

 嫌だ。

 帰りたくない。

 みんな本物にしか見えなかったのに違った、なんて。

 ここは俺がよく知る小学校。

 けれど、空気が現実じゃない。

 ここが偽物であることを、実感する。


 セイの隣で、少女は心を落ち着かせるようにゆったりとした仕草で立ち上がり、ランドセルから携帯電話を取り出す。

 しかし、少女は動きを止めた。


「……どれで、かけるんだっけ」


 俺は知っていた。女子生徒が扱う携帯電話の、おおよその使い方を。


「……わ、わたし、あれ」


 ゆっくり、上履きの足音が教室を鳴らす。少女はまるで誘われるように、突然、走り出した。

 持ち主本人が扱えない携帯電話。

 家への帰り道を忘れた同級生。

 昨日のことを誰も答えられない、みんな。

 俺だけが、昨日のことをよく覚えていた。

 震えた声で、目の前の人物に話しかける。


「昨日は、学校が休みになった」


 ねぇ、お前は本物だよね?


「涼策、一緒に居たよね? 何があったか、答えられるよね?」


 その声には、本物であってほしいという、祈りが込められていた。


 涼策の答えは、沈黙。


 これで、真実が明かされた。

 この学校は偽物だ。生徒も偽物。みんな偽物。

 心のどこかで分かっていた、真実だ。



毎週水、土21時33分投稿

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