第5-2話ニャルラトホテプの罠 ②静寂の街とゲームの始まり



 勝利した黒山羊は高らかに笑う。


「やっぱ初心者潰すのは楽しいな~ッ?!」

「サイテー!! ゲドウッ! ゲドウッ!」


 初心者潰し。

 ルールを全く知らないものを誘い勝利の悦に浸る下衆な行為を、産まれて初めて味わった。

 あまりの悔しさに唇を噛んだが。


「……でも、楽しかった。ありがとう」


 久しぶりに笑った気がする。

 もう一度やりたい次は勝つとチャドを誘おうとした、その時。

 チャドは辺りを観察し、見渡していた。


 突然。


 チャドは椅子をがたんと傾かせ、勢いよく立ち上がる。

 黒山羊の長い耳がピンと立ち、何かを『聞こう』とアンテナのように動かしていた。

 チャドの様子を見て、もしかしてと思考する。

 親に呼ばれたのかな?


「帰るの?」

「いや……」


 アタッシュケースを抱えたチャドは、オレンジの四つ目が揺れ動いていた。

 尻尾も震え自身の足に巻いている。

 警戒だ。

 さすがに違和感を覚え立ち上がる。


「ねぇ、ねぇ、セイもなんも聞こえない?」


 ようやく、俺も異変に気づいた。

 店のBGMが、無い。

 空調の音すら、無い。

 ただでさえ静かな空気が、しんと冷たい奇妙さを孕んでいた。

 出口を指差す。


「外行ってみない?」

「そ、そうだね」


 チャドはアタッシュケースを抱え、フッと消した。


「エッ消えた?」

「しまったの」


 どこへ。まぁいいか今は。

 思考をそらし、足を進めながら聞いた。


「あれ何入ってるの?」

「バイオリン」

「弾けるの?! すごい!」

「ただの趣味だって。そのわりに沢山チップ貰えたんだ、さすが天国だねどこも気前が良い」


 こいつ今自慢したな?

 二人は気をそらすために、雑談を続ける。



▼▼▼



 店を出ると、ヒトの姿が忽然と消えていた。


 ここは大通りではないが、大人が一人も居ないなんてありえない。

 月明かりだけが照らす天国の街。

 看板の電気が落ちた居酒屋。

 足音も、気配も、何も感じない、都市の通路。

 セイ、チャドの順で声が漏れた。


「うわぁ」

「はぁ?」


 二人は目を合わせる。


「チャドなにか」

「してない」


 チャドへ緑の目線を歪める。

 お前は悪魔だ、初心者を潰す外道の悪魔。

 その言葉も嘘なんじゃないか?


「本当に? なにもしてない?」

「疑り深いな」

「だってお前嘘つき」

「それはッ……ごめん。さっきはごめん」


 チャドはセイと目をしっかりと合わせた上で、山羊の耳を後ろへ下げた。

 だが、オレンジの目が鋭く光る。


「今は信じて。俺だって、お前を疑ってるんだからな?」


 状況は同じ。なのに争っては余計にこじれる。


「わかった。今は信じるよ」


 ふいに。

 誰かに見られているような感覚がした。他に誰かいないのかと辺りを見渡す。

 隣で蹄の音がして呼び止めた。


「どこ行くの」

「駅だよ。あそこデカイんだから絶対誰かいるって」


 駅に行くのは賛成だ。

 チャドの隣を歩き、子供の影が二つと。

 歪な影が一つ、ビルを飲み込む。

 天国の夜空では。

 ハリボテのように大きすぎる月が、二人を見下ろしていた。



▼▼▼



 駅前の広場は誰も居なかった。


 がらんどうの駅。

 電気だけが灯る、音の無い駅。

 シンと静まり返ったこの場所で。

 不自然な《黒い扉》の前に立ち首をかしげる。

 まるでそこだけ空間の穴が開いたような、黒。

 チャドから聞かれた。


「なにこれ」

「お前の扉じゃないの?」

「知らないよこんなの」


 扉の後ろには何もない。

 不自然な場所に設置されていること以外、一見普通の《黒い扉》だった。

 サラの扉は白だった、だから他の誰かの扉だろう。

 知らない扉を前に、チャドが鋭利な爪で指し示す。


「お前鍵は持ってる?」

「鍵、ってこれ?」


 ポケットから《銀の鍵》を取り出した。


「そうそれ。それ使って扉の持ち主について調べてよ」

「どうやって?」

「は? 知らないの?」


 そんなこと言われたって。


「だって今日、天国に来て、この鍵持ってて、って言われただけだし」

「レンタルか。じゃあ仕方ない」


 レンタルというか、コウから渡されたというか。

 気づけば、チャドは金色のドアノブに手をかけていた。


「中身だけ見てみようよ」

「待って?!」


 開けちゃ不味い、その扉はサラじゃない。

 腕を伸ばしたが間に合わなかった。


 空気が上下の向きを失う。

 空間が歪み、耳の奥でノイズが走る。

 そして。




 《黒い扉》が、開かれた。




 青い空が広がる。

 いつも通っていた小学校の、見慣れた校庭と校舎が広がる。

 あれ、なんで。

 ただ呆然と口を開けた。


「え……俺の、学校?」


 間違いない、ここは自分が通っている小学校だ。

 どうして天国の駅の向こうが、俺の“地上”の学校と繋がっている?

 今朝登校した時となにも変わっていない、毎朝毎朝、いつも見る光景。

 混乱した頭で、チャドから手を離し、一歩進んだ。

 チャドは見たことのない学校の校庭を蹄の足で一歩進む。

 その時、扉が閉まる。


 ───ピンポンパンポーン。


「はじめましての方は、はじめまして」


 校内放送が始まった。


「私はニャルラトホテプ。今回はゲームキーパーを務めますので、どうぞ安心してお楽しみください」


 安心。その言葉に二人は違和感を覚える。

 知らない男の声が響く。


「プレイヤーは、セイ・カボルト、チャド・ロ・ヘズンズバーンの二名。ノンプレイヤーとしてサラとコウも乱入しております」


 二人は同時に後ろを見た。

 《黒い扉》がない。


「最終ボスは“ハスター”です。ではこれより、ロールプレイングゲームを始めます」


 チャイムが響き渡る。

 授業を終えた生徒が一斉に外へ飛び出す。

 誰もチャドに疑問を抱かない。

 誰もセイに疑問を抱かない。

 まるで、これが『普通』とでも言うように。

 目を合わせた二人など知らず、子供たちは遊びに夢中となっていた。






次回11月7日21時33分


ここまで読んでいただきありがとうございます!

来週から水、土の21時33分投稿となりますのでよろしくお願いします。


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